雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

やってはいけないことをしてしまう

2021年02月21日 | エッセイ
 ガソリンスタンドに行って給油をする時に、自分がある行動してしまうことをなぜか必ず想像する。もし現実にそれを実行してしまったら、大惨事になる可能性もある行動だし、決してやってはいけないことは十分に認識しているにも関わらず。
 以前はガソリンスタンドのスタッフの方に、給油をしてもらっていたので、まだ欲求を抑えやすく感じていたが、近年使っているスタンドはセルフ給油のシステムとなっており、ますますそれをやってしまいたい思いが募るのだ。
 その欲求とは、給油中にガソリンを注ぎ込んでいるノズルを付けたまま走り出してしまうこと。セルフスタンドになってからはガソリンを注ぎ込んでいる手に持ったノズルを給油口から外して、ガソリンを周りにぶちまけてしまうことだ。
 この際だから、もう一つの欲求を告白すると、火災放置を見た時に、もしそのボタンを押したらどうなるんだろうという想像だ。実際に、火災報知器が設置してある廊下を歩く際に、突然目眩がしてフラフラとよろめき、身体を支えようと咄嗟に手をついたところが丁度火災報知器のボタンだったらという具体的な場面を一瞬想像する。
 もちろん、この二つの衝動に対して、実行したこともないし、これからも実行することはないだろう。しかし、ガソリンを入れる度に、火災報知器のボタンを見る度に、かなりの確率でその衝動が起きてしまう私なのである。なんでだろう。
 例えば、街を歩いていて、先を歩く女性の腰に目が行き、歩く度にクネクネとした怪しい動きに誘われて、抱きついてみたい軽い騒動は男なら誰でも抱く。薄着の夏に、胸の大きな女性のあらわになっている胸の谷間を見て、ちょっと触れてみたいと軽い衝動が生まれることも健全な男子なら当然である。いい歳の爺さんになってからも変わらない衝動に我ながら情けない思いがしないでもないが、生まれてすぐに母親のおっぱいを吸った時から男は死ぬまで乳離れが出来ないものらしい。
 もちろん、これらの衝動に対して、私の理性は頼りないなりにも一応作用して、私は知らない女性に抱きつくことも、おっぱいを触ってしまうことも無く、犯罪者にならずに済んでいるのである。
 ところが、世の中の出来事を見聞きしていると、やってはいけないことをやってします人がたくさんいる。それも学校の先生だったり、お医者さんであったりするから「何でまたそんなことをしてしまったの?」と理解に苦しむことも多い。
 しかし「自分なら絶対にしない」「馬鹿なことを」と簡単に片付けていたことを最近よく考えてみた。もしかしたらその先生達は、やってはいけない衝動が何年も何十年もあったのかもしれない。同じ状況を迎えてもそれまで999回は、いや9999回は衝動を抑えることが出来ていたかもしれない。やってはいけないことをした人のニュースを見て私と同様に「何でまたそんなことをしたの?」と思っていた側の人かもしれないとふと考えついたのである。
 歳をとると、あちらこちらのネジが緩み、錆びつき、いつか私も自分を制御出来ない時が来るかもしれない。99999回や抑えられた衝動を抑えきれなくなる一瞬が自分にも来るかもしれない。そうなると180度違うと思っていた犯罪者と自分は案外それほど違わないのだ。
 以前働いていた職場には給食があって、調理員の女性が一人でスタッフの食事を作っていた。その方は、調理場に設置されていた消火器が日頃から気になっていた。
 あの消火器のヒモを引いたら、どうなるんだろう。
 そしてとうとうある日、そのヒモを引いてしまう。ちょっと引いてみて、水道の蛇口みたいにすぐに止めるつもりだったらしい。自身と調理場全体は、消化器からすごい勢いで吹き出したうすいピンクの粉だらけになってしまった。
 毎日のように8時間以上過ごす仕事場にある消火器を見て、何回目の衝動だったんだろう。

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