雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

幸せの時限爆弾

2018年02月01日 | エッセイ
幸せの時限爆弾
 新年もあっという間にひと月半が過ぎた。
 この冬は寒さの厳しい日が多く、熊本では珍しい雪景色も数回見ることが出来た。そうは言ってもすでに二月も半ば。姿は見えないが春の足音が聞こえてきそうな気配はある。一昨日は春一番が吹いたとラジオの天気予報で伝えていた。熊本に春を呼ぶと言われる大植木市も始まっている。
 昨年の6月から時々通い始めて、11月からほぼ毎日の様にお世話になっている事業所への長い通勤時にカーラジオやCDを聞いている。
 先日の朝の通勤途中で聞いた放送で「幸せの時限爆弾」という話を聞いた。爆弾とは随分物騒な響きで幸せとはかけ離れているように感じたが、聞けば仕掛けた直後に自らや誰かを幸せに出来るわけではなく、しばらくの間を置いた後に仕掛けて置いた爆弾が炸裂し、自らや誰かを幸せな思いにさせるというお話だったと思う。
 「幸せの時限爆弾」。いいなと私は思った。
 その放送を聞いて中学生か高校生の頃にしていたイタズラを思い出した。
 それは私の二人の妹の学校の教科書の余白に落書きをするという他愛のないイタズラだった。おそらく退屈な授業であるだろう例えば世界史のまだ開いていない随分先のページに、「眠ったらいかんよ」とかいうセリフ付きで愛猫の姿の漫画のイラストを描いたり、教科書に登場する偉人の写真などに巧妙にヒゲを付け加えておく、などというものだった。授業中の妹がいつそのページを開くことになるかわからないのだが、数ヶ月先にそのページの落書きに出会った妹のことを想像して楽しむ気の長いイタズラだった。これも幸せの時限爆弾かなあ。
 そしてそんなイタズラをしたことを本人も忘れてしまった頃に、時限爆弾が炸裂する。ある日、学校から帰った私は、爆弾の被害を受けた妹の猛抗議を受ける。静かな教室で突然にこみ上げて来る笑いをこらえるのは大変だったらしい。当時を振り返るとそれで妹達が幸せになったかどうかは随分怪しく、おそらく迷惑でしかないが。少なくとも私にとっては幸せの時限爆弾であった。
 先に書いた熊本の大植木市。ぜひ今年も行きたいと思っている。植木市と言えば、随分以前にまだ元気だった頃の母を一緒に植木市に行った時の母の言葉を思い出す。
 「植木市に行ってももう木を植える場所が無い」
 そう、母は言って出かけることをしぶった。
 私は若い頃には植木市で小さな植木の苗木を求めては庭に植えた。ここしばらくは植木市自体に行かなかったし、行っても植木を買うことは無かった。それは自分が人生の晩年を迎え、今から小さな苗木を植えても楽しめる頃には自分の命は尽きているに違いない「今更」という言葉が浮かんだからだ。もちろん、お金さえ出せばすぐに鑑賞できる成木も売ってはあるが、私の小遣いでは最初から無理な話だ。だから最近は植木市の中の春の雰囲気を楽しむために出かけていた。でも今年はもし植木市に行ったらぜひ苗木を求めたい。栗の木が欲しいと思っている。そして私が植えた栗の木に栗の実がなる頃に私の生が尽きていてもかまわない。それこそ「幸せの時限爆弾」だ。木を植えるだけでなく子や孫の次の世代の人のために、いろんな「幸せの時限爆弾」を仕掛けたい。

(2018.2.15)


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