雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

梅雨と長靴と水たまり

2012年06月20日 | ポエム



▲長い散歩には近所の江津湖という湧水の池に行く。真冬でも水が大好きな愛犬は池に飛び込みそうにする(写真は5月)

 梅雨と長靴と水たまり
 シンプルな長靴のフォルムは美しい。
 そして私は、長靴を履く度にうれしい心持ちがする。
 趣味の園芸家の私は、週末は雨さえ降っていなければ、まず一日中長靴を履いて庭いじりをしている。最近は、仕事場でも朝一番に長靴を履いて、箒とちりとりを手に事業所の周りや近所のゴミを毎日掃除する。それでもやはり長靴を履く度にうれしい心持ちがする。
 なぜだろう。
 小さい頃、ひも靴が苦手だったせいだろうか?ひもの結び方が悪くて、しょっちゅうひもがほどけて結び直す度に、家族の一団から遅れてあせった思い出がある。かといってひもの無いズックも、踵を入れるのがつい面倒で、踵を踏んでいるところを母親に叱られた。サンダルは容易に履くことができるが、簡単に脱げてしまい、野山を駆け抜ける少年としては都合が悪い。その点で、長靴はスポッと簡単に履くことが出来、走っても脱げにくい。そしてもう一つ、長靴にはある程度の深さの水たまりをジャブジャブ歩ける機能的な魅力があった。
 今こそ津々浦々まで道路は舗装され、道路脇の側溝も整備されているが、私が少年だった昭和40年の前後。道はでこぼこで穴だらけ。側溝も無く、いったん雨が降ると道路に水が溢れ、数日はぬかるんだ。私が生まれ育った島には、昭和41年の天草五橋が開通し九州本土と陸続きになるまで、舗装道路が無かった。海岸沿いを走る道路がコンクリート製の防波堤の上を走る数十メートルが、滑らかに車が走る唯一の道だった。もっとも道を利用する車の方も、橋が開通するまでは、運搬に使うトラックやオート三輪車(子どもの乗る三輪車と違いまっせ)が主で、乗用車にいたってはわずかに5台だったという。
 島内を走る車は、道路に出来たたくさんの穴ぼこを避けられず、荒波に揉まれる小舟の様子を早送りで見るように、前後左右不規則に大きくギシギシと音を立てて揺れながらゆっくりと走った。
 そんな道路状況だったので、雨の日は長靴が必需品だった。雨があがっても数日は水たまりやぬかるみが続くことがあり、小学校に通うときもズックではなく長靴を選択した。雨が上がれば靴を濡らすことも無く歩くことも出来たのだが、子どもの習性で水たまりがあるとそれを避けて通ることは出来なかった。避けるどころか、水たまりをわざわざ選んで歩く。長靴を履いてジャブジャブと水たまりに入って行くことがたまらなく楽しいのだ。
 余談だが、そんな道路の穴ぼこには、貝殻が入れられた。各家庭で食べた後のアサリやシジミの貝殻は家の前の道路の補修に提供することが当時の習慣だった。近年、そろそろ認知症が進んでいろんな判断がおかしくなり始めた頃の母が、まだ出来る限りの家事をしていたのだが、食べた貝殻を道路に蒔くのには閉口した。「貝殻は道に」という習慣がしみ込んでの行動だろうが、アスファルト舗装に蒔かれた貝殻はゴミでしかない。
 橋がかかって急速に車社会に取り込まれた島の、貝殻混じりの穴ぼこだらけの道は、まず簡易舗装がされ、その後アスファルト舗装となった。今や車がやっと通るような狭い農道さえアスファルト舗装されているのを見ると、時代の移り変わりを感じる。そうなると、余程雨のひどい時でもない限り家から例えば学校まで長靴の必要性は少ない。確かに雨の日の登校中の子ども達を見ると、小学校の低学年までは長靴を履いているが、それ以上の、中学生などは長靴を履いている子どもは少ない。
 道が舗装され、水たまりをジャブジャブ歩く快感が無くなったせいばかりじゃないと思うけど。
(2012.6.19)


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