雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

パリの空襲警報

2014年03月28日 | エッセイ

 パリの空襲警報


 ソチオリンピックに続いたパラリンピックが閉幕した日。ウクライナ共和国のクリミア半島で住民投票が実施され、住民の意思が示されたとしてプーチンは、欧米など国際世論を無視して編入への道に踏み込もうとしている。
 開催前からテロの発生が警戒され、平和の祭典に不似合いの、軍と警察の力が見え隠れし、開会式や閉会式などの一連のセレモニーに何事も無いかのような笑顔を見せるプーチンに、計り知れない恐ろしさを感じていた。偏見かもしれないが、私も家人もプーチンの顔に好意を持つことが出来ない。開会式の演出のすばらしさにだまされるところだった。
 ロシアのウクライナへの軍事介入のニュースを見て、私が20代の頃に起こったソ連によるアフガン侵攻がすぐに頭に思い浮かんだ。
 当時私は、パリに住んでいてオペラ通りにあるラーメン屋さんで働いていた。お客さんは駐在の在留邦人や日本人観光客が中心だったけど、フランス人の常連も少なくなかった。どんなに説明しても「肉抜きのチャーシュー麺」を注文する新聞社のおじさん。ナイフとフォークとスプーンで優雅にラーメンを食べるチャーミングな女優のおばあさん、必ず折り畳んだ10フラン札の紙幣でチップをくれる貴族のおばあさん。なぜか私のことを気に入り、一緒に食事にいった初老の夫婦。犬を連れてカレーライスを食べに来ていたクリスチャン。アフガン侵攻のニュースに、ラーメンを食べに来たフランス人の多く皆一様に暗い顔をして「第3次世界大戦が始まる」と本気で憂いていた。日本とアフガニスタンは距離的に離れているし、そもそも日本は島国だけど、ヨーロッパの多くの国が陸の上に国境があり、アフガン侵攻は陸続きの同じ大陸で起きた出来事になるのだ。私も戦争の危機感を肌で感じた。
 当時はソ連を代表する東側とアメリカを代表する西側諸国が対立する東西冷戦の時代だった。ソ連を後ろ盾にしていたアフガニスタン政府は、国内での西側寄りの対向勢力の武装蜂起に対し、軍事介入をソビエトに要請したのだ。
 その結果、目前のモスクワオリンピックへの西側諸国のボイコットが起き、4年後のロスオリンピックでは報復として今度は東側諸国がボイコットをした。当のアフガニスタンは未だに不毛のまま彷徨っているし、アメリカが支援した対向勢力の一つタリバーンが911を起こし、核や原発と共にテロが地球と人類の未来に大きな不安の影を作っている。
 今回のウクライナへの軍事介入も、背景にEUとロシアの綱引きがあり、ロシア寄りの政権がEU寄りの対向勢力に追われてロシアへの介入を要請したのだ。前後にロシアでオリンピックが開催された点も共通する。
 日本も遠い大陸での出来事だと無関心では済まされない。この事態が長引いて経済への影響が拡大すれば株安円高になるのは必須で、4月の消費税増税のタイミングもからみアベノミクスに暗雲が立ち籠めている。
 そもそも安部総理自体、誕生当初から私はとても「キナ臭い」ものを感じている。年末のどさくさにまぎれるように靖国参拝をしたのには憤りを感じた。あれがなければ日韓首脳会談はとっくに実現していただろう。中国も韓国も日本に対して拳を振りあげなくてはならない国内の事情があるようだし、日本はもっと大人の対応は出来ないのだろうか。そんなことを言おうものなら、いろんなブーイングが聞こえてきそうだ。今は日本国に対して、マイナスになるような論評が言いにくい風潮はないだろうか。例えば中国や韓国寄りの意見や報道が、「非国民」扱いされるようなことはないだろうか。そういう言いたいことが言えなくなることで戦争が始まるように思う。
 現代史を学ぶ機会がなく、戦争を知らない人がほとんどである私を含めた今の日本人に、次の戦争を止める力があるのか。私が40年程前にいたパリでは、毎月第3水曜日の正午に空襲警報が鳴っていた。第2次大戦を忘れないために、テストを兼ねて警報を鳴らしていると聞いた。平和も努力しないと得られないことは歴史が語っている。
(2014.3.28)
 

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