雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

早朝の市川で野犬と対決する

2013年05月01日 | エッセイ
▲湖面の漣(江津湖)

 早朝の市川で野犬と対決する

 かつての国鉄の時代に「チッキ」と呼ばれた手荷物取扱のシステムがあって、長距離の旅行をするときに、乗車券を提示すれば荷物を割安で送ることができた。旅客も貨物も鉄道が中心だった頃の話しだ。
 熊本の高校を卒業後、美大を目指して上京し、縁あって千葉県の市川市で浪人生活をしていた私は、年末年始の帰省する前日、アパートから歩いて20分位の距離にある国鉄市川駅まで田舎に送る荷物を持って出かけ、手続きをした。
 熊本駅までの夜行列車の特急券と寝台券と乗車券はすでに求めていた。
 自分で選んだ進路のために一人暮らしをしながらも、さみしがりやの私は、大好きな故郷、二人の妹や姉や可愛がっていた猫のいる家族のもとに帰ることは、夢のようにうれしいことだった。帰郷前夜、ワクワクしながら準備をしていて、最終確認の段階で乗車券が見当たらないことに気がついた。
 その日に、市川駅に手荷物を送りために持って行き、提示したのだから、少なくともその時点までは確かに手元に乗車券は存在していた。学割の「学」という大きな文字が入って市川熊本間往復の小さな厚紙に印刷された今では記念の券としてしかほとんど使われることのない「硬券」といわれる乗車券だ。
 乗車券は5,000円程だったと記憶している。貧乏浪人生には大金である。市川駅の手荷物取扱所からアパートまで歩いて帰っている間に落とした以外に考えられない。熟睡できない夜が明けて、外が明るくなってから前日に歩いた市川駅までの道を辿ることにした。
 もともと探し物が苦手で、必要な時に必要なものが見つからないことがよくある。その前に整理整頓や後片付けがまったくなっていないのだ。人生50年生きてきて、やっと後で探す苦労よりもその時に定位置に片付ける面倒の方がましであることを少し学習出来つつある。しかし、探し物が苦手なことは変わらない。救援を求めて一緒に探す家人が「ほらっ。ここにあるじゃない」と言った引き出しや箱は、さっき自分が探した引き出しや箱である。何だかキツネにつままれたような気持ちだ。視界に入っていても、我が脳に達していないのだ。
 だからその日も、乗車券探しはほとんど諦めていた。しかし最初から諦めるには被害額が大きいし、簡単にあきらめられない。人の姿がない早朝の市川の町をきょろきょろと下を向きながら探して歩いた。結果は予想通り、市川駅にたどり着いても券を見つけることは出来ず心は重くなる。
 しかも泣きっ面に蜂。見つからない券を探し、再び駅からアパートに足を向けた駅の近くの薄暗い路上で、6、7頭の野良犬の群れに囲まれてしまった。猫の扱いには少々自信があるが、犬はどちらかというと苦手。壁を背に立ちすくんだ私は、歯を剥き出して低いうなり声で威嚇する犬達に退路を断たれ「やばいなあ」とビビっていた。
 絶対絶命のときに、頭に浮かんだのが、当時愛読していたムツゴロウさんこと畑正憲さんの本で読んだ犬の弱点。爪を立てた4本の指で思い切り犬の鼻柱をたたくという撃退法だ。私は、6、7頭の群れの中のボスと思われる先頭の大きな赤犬の鼻柱を「このやろー」と怒りを込めて渾身の先制攻撃を行った。
 瞬間、ボスの赤犬の顔が青くなり(と、言うのは嘘で、まあ顔色が変わる様な驚き様で)キャイン、キャインと鳴きながら子分もろとも退散したのであった。
 「窮鼠猫を噛む」とはこのことだ。我が生涯にほとんどない武勇伝の一つだ。
 内心、自らの行動に喝采し、一瞬は高揚した気分になりながらも、すぐに乗車券紛失という現実に立ち戻り、心も視線も下を向いて再び歩き出した。
 ところが何とそれから間もなく、駅からさほど離れていない路上で私の熊本往復学割乗車券が見つかったのだ。逆転サヨナラ満塁ホームランの(ま、そこまではないが)私にしては奇跡のような落とし物の発見だった。
 こんなこともあるのね。オリンピックのメダリストがよく口にするフレーズだが「あきらめずに努力すれば望みはかなう」と私めも後進に伝えたい。内容は、金メダルとはずいぶん重みが違い、情けない話しだが‥‥。
(2013.4.30)


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