雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

図書館に行く

2015年04月22日 | エッセイ
 図書館に行く


 最近再び図書館に通うようになった。
 以前、図書館に足繁く通ったのは私の二人の子ども達がまだ幼い頃で、家族皆ででかけて絵本をたくさん借りていた。通うのは、その時以来である。
 私の自宅は恵まれていて、熊本県立と熊本市立の大きな二つの図書館がどちらも歩いて行ける距離にある。私が今利用している市の図書館では一人1回に10冊迄。貸し出し期間は2週間。読み切れない時は次の誰かの貸し出し希望がない場合2週間の延長も可能だ。熊本市民であり貸し出しカードを作れば誰でも無料で利用出来る。
 3月の中旬から通い始めて5週間。貸し出し限度の2週間おきに3回貸し出しを受けている。2、3冊の小説と軽いエッセイや料理関係、園芸、交通などの趣味に関する手引きや案内書を数冊。合わせて6、7冊の貸し出しを毎回受けている。
 図書館のいいところは無料だということだ。
 自身で購入する本は金銭的な理由で、どうしても自分の中で評価の定まっている作家や発行後の早い時期に読みたい本に限られる。近年は新刊の単行本を買う作家は決まっていて、購入する本のほとんどが文庫本や新書である。
 その点図書館の本は、どんな豪華な単行本であろうと本の価格を気にすること無く読むことが出来る。初めて読む作家であっても気に喰わなければ最後まで読まずに返却すれば済む。つまり気軽に冒険的読書が可能となるので自然読書の幅が広がるのだ。
 それからいくら読んでも本棚の本の数が増えない点がある。私は一度購入した本を手離すことはないので若い頃からの蔵書がたまりにたまって、近年家人から本をこれ以上増やさないように言われているのだ。
 かつては「本は購入しないと何度も読みたくなったら」と、思っていたが、一部の特別な本を除いて読み返したとしても再読や再々読をするぐらいなので、どうしても手元にある必要は無いのだ。「また読みたくなればその都度借りてくればよい」という方針に変更している。
 つまり図書館を自分の本棚だと思っちゃえばいいのである。
 もう一つは、調べものがある時にも図書館は便利だ。
 例えば、私はウサギとミツバチが登場する物語の構想を練っていたとして、図書館へ行けばその生態や飼い方に至るまでの詳しい手引書が数種類そろっていて、その場で手に取り、内容を確認し、館内で読むことも可能だし、貸し出しをすることも出来るのだ。
 さらに図書館には雑誌も充実している。
 本屋で立ち読みするしかなかった、買うまでもないちょっと興味のある趣味の雑誌なども館内のテーブル付きの椅子でゆっくり読むことができる。
 図書館の難点は新刊本や人気の作家などの場合、貸し出しの希望者が多く読みたい時にすぐ読めないこと。
 私の前にその本を読んだ人の形跡を見つけることがある。飲食しながら本を読んだのか、煎餅のくずやコーヒーなどのシミを紙面やページの間に見つけた時。ひどい場合は傍線やメモ書きがそのまま残っていることがある。これが難点の第2。あきらかなマナー違反、ルール違反で、気分が悪い。
 先日借りた小説の単行本の1ページの半分にオレンジの太いマジックで書いたグルグルの落書きがあった。その本の内容から幼い子どもを子育て中の若い母親が家事の合間に図書館から借りて読んでいたのだろう。側で子どもはペンを手に広告紙の裏に一心に文字でも絵でもないぐるぐる書きをしている。何かの用事でその場を離れた母親が、戻ってみると開いていた本に子どもがペンを走らせている。母親はあわてて本を取り上げるがその1ページにはオレンジのマジックでぐるぐる書きが‥‥。ページをめくった時はぎょっとしたが。そんな無邪気な子どもとあせる母親の状況を想像し、心がほっこりとなった。
(2015.4.22)

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