雲のたまてばこ~ゆうすげびとに捧げる詩とひとりごと

窓の雨つぶのような、高原のヒグラシの声のような、青春の日々の大切な箱の中の詩を、ゆうすげびとに捧げます

好きな色と灰色の雲

2013年07月11日 | エッセイ
 好きな色と灰色の雲

 人のプロフィールの欄に「好きな色」という項目を目にすることがある。
 一番人気の色は緑だろうか?爽やかな青、情熱の赤も人気がありそうだ。紫が好きだというと妖艶なイメージが浮かぶ。アースカラーの茶色が好きだという人も少なくない。限定的になるが、我が母校の済々黌高校のスクールカラーの黄色が好きになってしまった同窓生も多い。
 好きな色は、何だか、その人の性格まで現しそうである。
 私は、高校生の一時期、白が好きになった。純粋を尊び、汚れの無い白い世界にあこがれを抱いていた。空を眺め、真っ白な雲に自分の理想の姿を見た。
 白い雲になることは、夢物語だが、白い雲のような人間になることはできるのではないか、と。
 でもその時はすでに、黒い色をした自分自身の一部を知っていたし、純粋な白い心のままに生きて行くことが困難であることはわかっていた。だからこそ余計に白という色に手の届かないあこがれを感じていたのかもしれない。
 私がこのブログで初めて発表している高校生の頃の詩に、「白」がよく登場している。白い雲、白い鳩、白鷺、雪。それは私の詩の中で、あこがれの象徴でありながら、もろく儚く、故に哀しい存在だ。
 私は、いつの頃からかグレーが好きになった。
 「白がダメなら、ちょっと黒が混じった灰色でも」と、考えた訳ではない。例えば、大好きな空の雲を眺めるうちに、白い雲ではない、灰色の雲の美しさに気がついたのだ。パレットの上で純白の絵の具に黒が混ざって不純になった訳ではない、グレーはグレーの美しさが最初からある、と感じるようになった。
 そう言えば、今迄私が自ら選んで乗った車は、シルバーグレーとダークグレーが2台だなあ。不思議なことに、高校生の頃、あんなにあこがれた「白」の車を選択したことが無い。洋服も確かにグレー系統が多いし、下着のTシャツもグレーを好む。無意識に好きな色を選んでいるのですね。
 週末は、久しぶりに南阿蘇の山小屋に行った。
 5月の連休後と、その後に一度行ったきりで、6月は雨だったり用事があったりで、気になりながらも行くことができなかった。予想通り、草が生い茂っていた。特にやっかいな笹があちらこちらからニョキニョキと生えて、私の身長を超している。
 もともと、5月の連休が過ぎた頃から、草の成長が一気に早まり、1週間や10日で、「その前の草刈りは何だったの」とぼやきたくなる程、草が伸びる。
 草刈りと言っても、ガソリンエンジン式の刈り払い機で、それこそ根元から払って刈って行くのだ。この手の高速回転の機械は、他にもチェーンソーや芝刈り機、ドリルなどを使っているが、愚鈍なようでも用心に用心を重ねて使用する。この中でも刈り払い機は最も危険度が高く、常に緊張する。
 若い頃は、1ℓのタンクに混合ガソリンを満タンにして、それを2回続けて数時間も作業をしたが、最近は1単位でも疲れてしまう。回転する刃が小石を飛ばすので、長袖シャツに長ズボン、麦わら帽子にタオルを巻き、ただでさえ暑い中、下着迄汗びっしょりになってしまう。熱中症予防に始めと途中でも水分を補給する。コマメに草刈りをしないと、延び過ぎた草を刈るのは重いし、刈った後の処理も大変になる。この時期に1ヶ月以上放置した今回は、腕に力が入って、翌日は筋肉痛になった。それでもふだんのデスクワークと全く違う、スパスパと草を刈り払う爽快感がある。
 山の天気は変わりやすいと言われるが、日曜日はカアッと晴れたかと思うと、いきなり大粒の雨が降ってきたり、天気雨が降ったり、遠くでは雷の音も聞こえ、作業もたびたび中断して進まなかった。見上げる空には、青空は少なく、高い所に白い雲が輝き、低い所には様々な濃さと、青みがかっていたり、茶色を含んでいたり、いろんな形状の灰色の雲が走り、何度か眺めてはカメラをかまえた。ああ、グレーはやはり美しい。
(2013.7.11)

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