コロナウイルスの問題で世界中が混乱していますが、日月神示では今の状況を言い当てていると思われる内容があります。
・食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。さらにまた奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。(「月光の巻」第二十五帖)
・金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。区別と順序さえ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬ意固地さが、そなたを貧しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄(いやさか)の道、神の道(「月光の巻」第二十四帖)
・現状を足場として進まねばならん。現在のそなたの置かれていた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在においてはそれが出発点。それより他に道はないぞ。(「月光の巻」第二十六帖)
・祓いは結構であるが、厄祓いのみでは結構とはならんぞ。それはちょうど、悪を無くすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪を無くすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。よく考えてくだされよ。善と申すも悪と言うも、皆悉(ことごと)く大神の
肚の中であるぞ。大神が許し給えばこそ存在しているのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
(「月光の巻」第二十七帖)
・訳のわからん虫わくぞ。訳のわからん病流行るぞと申してあるがそのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなっているから気つけてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教えでは治らん。病を殺してしもうて、病を無くしようとて病は無くならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すという教えや、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。(「月光の巻」第三十帖)
・足の裏を綺麗に掃除なされよ。外から見えん所が穢れているぞ。日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。(「月光の巻」第三十一帖)
・行き詰まった時は大きく開ける時ぢゃ。ぢゃと申して人心で急ぐでないぞ。急ぐと道が見えなくなってくるぞ。(「月光の巻」第三十三帖)
・かみかかりはよしなされよ。そなたは学に囚われて御座るぞ。科学を越えて神の学に生きて下されよ。そなたは自分で自分の首を絞めるようなことをして御座るぞ。自分で勝手に小さい自分の神をつくっているぞ。一度その神を捨てなされ、固く抱きしめたり、閉じ込めているからわからんことに生き詰まるのぢゃ。(「月光の巻」第三十四帖)
・そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申しているが、すべては大神の肚の中にいて、一応大神が許しなされて居ればこそ存在し、生命しているのであるぞ。悪く映るのは心の鏡が曇っているからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。新しき世界には新しくてんし、天下をこしらえねばならん。(「月光の巻」第五十帖)
・頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。そなたは頭が高いぞ。天狗ぞ。その鼻曲げて自分のにおいを嗅いで見るがよい。(「月光の巻」第五十四帖)
・そなたはなかなか立派な理屈を申すが、理屈も必要ではるが、沫(あわ)のごときもの、そなたの財産にはならんぞ。体験の財産は死んでからも役にたつ。(「月光の巻」第五十五帖)
・そなたはすぐに金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀想だから、などと申しているが、どんな仕事でも、その仕事に融け込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そなたは目の先の欲にとらわれ、欲になり切って、目の色を変えて御座るぞ。それでは仕事にならん。仕事は神が与えたり人が与えてくれるのではないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。この道理さえわかれば、失業はないぞ。自分が仕事ぢゃからのう。
・そなたは形や口先ばかりでものを拝んでいるが、心と行いと口と三つ揃わねばならん。三つ揃うて拝むならば、どんなものでも与えられるのぢゃ。
・そなたの現在与えられている仕事が神業であるぞ。その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ。そのたはそなたの心と口と行いが違うから、違うことが次から次へと折り重なるのぢゃ。
・理屈は悪と申してあろうが、理屈無い世に致すぞ。人に知られんように善いことつとめと申してあろうが。人の知れんようにする善いこと、神心ぞ。神のしたことになるのざぞ。(「夜明けの巻」第七帖)
最後にもう一つご紹介いたします。
・特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り、人民として生まれてくることもあるぞ、末世にはこの種の降誕人(こうたんじん)が沢山あるぞ。(「月光の巻」第三帖)
降誕人(こうたんじん)とは宇宙人のことではないかと思います。地球の最終章では、降誕人(こうたんじん)という宇宙人が沢山生まれてくるということではないかと思います。天使の霊が母体に宿るとのことですので、てんし様ともいえるかもしれません。