<今週のコラムより転載>
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「玉響」には“魂の響き”という意味もある
前から考えていたことですが、来年2013年は、一年かけて全国の主要都市を講演でまわろうと思っています。
いつもイベント事は東京で開催することがほとんどで、地方からはなかなか出て来れないという声も多く頂きます。
そこで、私の方から出て行き、九州(もしかすると沖縄?)から北海道までまわることにしました。
(ただしこの講演会は『玉響』会員限定ですので、一般対象ではありません。)
今年は天変地異にしろ、社会経済的な変動にしろ、とくに大きな出来事はなく終わりそうですが(実際には、あちこちで変動は起きています)、さすがに来年は、いろいろな動きが表面化しそうです。
金融経済はいよいよ行き詰まり、資本主義システムの崩壊は誰の目にもわかるようになるのではないかと思います。
これまでのやり方では立ち行かなくなる。前例のないことが次々と起こる。
知識も経験も役に立たない。情報を集めたり、誰かに聞いている暇もない。
自分の直観を頼りに、次々と判断を下さなければならなくなる。
そんな事態が起きてくるような気もします。
ただ私は、そんな中でも、どこかに希望を見出して行けるものと確信しています。
夜明けの前が、一番暗くなるものです。
日月神示にも、
「夜明け近うなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ」(『松の巻』第7帖)
とあります。
夜明け前の闇夜を照らす一条の光。
『玉響』がそんな光の一つになればいいと思いますし、私が全国を講演でまわるのも、先の見えない動乱の時代、暗闇を光で灯し、進むべき方向を照らしたい、という気持ちも込めています。
話は変わりますが、先週もご紹介した私のインタビュークリップの中でもお話ししていますが、私は高校3年の夏(1979年)に、交換留学生としてアメリカに渡りました。
本当は一年間のプログラムが終了したら日本に戻ってきて、高校3年の2学期からやり直して、大学に進学する予定でしたが、結局戻らずにそのまま向こうの高校を卒業した後、カレッジに行ってしまいましたので、私の日本での学歴は「高校中退」なのです。
留学といったって、フツーのコミュニティ・カレッジですから、こんな学歴では何もツブシはききません。
だから、日本に帰ってきたばかりの20代の頃は、けっこう苦労しました。
(その20代の苦労も、今思うとちゃんと意味があったのですが。)
ところが、1991年、ちょうど30歳になる年、『日月神示』を刊行してからは、突如として自分の道が拓けました。
以来、あれよあれよという間に著作が増え、気がついたら何十冊にもなっていました。
普通でしたらとてもご縁を持つことは難しいような著名な方や、社会的に有力な方とも、お会いする機会があったり、親しくお付き合いしたりするようにもなりました。
それなりに大変な時期もありましたが、著書や月刊誌を通じて全国津々浦々に共鳴者や賛同者が増え、たくさんの方々と触れ合うことができました。
本当に、人生というものはわからないものです。
ただ私は、その人が有名人だからとか、権力や財力があるからという理由だけでは、会うことはありません。
偉そうな言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、正直、私はあまり社交的なタイプではなく、どちらかというと人間嫌いの一面があるので、あまり積極的に人に会うことは好きではないんです。
それでも、人と会うことが楽しいこともありますし、有意義に感じることもあります。
どういう人と会うかは、基本的には、波長が合うか合わないか、で判断します。
いわば、魂の響き合いがあるかないか、です。
「魂(玉)響」ですね。
自分でも気づかないうちに、潜在的にそれが起きていることもあります。
最近はこの「魂響」が起きることが多くなってきて、とくにこちらが捜し求めているわけでもないのに、「本物」と言える人や製品とのご縁があります。
今の時代、世の中に「本物」と呼べる人やモノって、そんなにあるわけではありません。
めったにない、と表現した方がいいと思います。
でも、殊更に探したわけでもないのに、こうしてご縁がヒョイヒョイとつながっていくというのは、何か背後で(霊的に)仕組まれているように思えてなりません。
そのぐらい不思議です。
というわけで、『玉響』は来春ぐらいまでは、対談相手も掲載内容も決まっていますし、それに合わせてイベントを企画したりもしています。
全国講演ツアーの第一弾は、九州・福岡で、1月を予定しています。
詳細は、『玉響』12月号の折り込みで正式にアナウンスします。
福岡の後、予定しているのは、神戸、大阪、名古屋、仙台、札幌などです。
上の各候補地でお手伝いくださる地元ボランティアが確定したところから、具体的な調整に入りたいと考えています。
世の中の動きによっては途中で中断を余儀なくされるかもしれませんが、できる限りまわり、できるだけ多くの会員さんとお会いし、「魂響」を分かち合いたいと思っています。