ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

恋だの愛だの

2016-11-23 | 雑念


六甲山で現代アートをやっている。

11/23が最終日
その前日に今年2回目の鑑賞

その話の中で
「結婚がしたい」と言っていた若い女性

適齢期ともなれば確かに感じるのだろうプレッシャー

僕はそのことを今朝風呂に入りながら
ある事に気付いた。

前からブログでも展開していた
「つきあっている」とか「結婚している」などの言葉の胡散臭さに

なんで僕がこの言葉に嫌悪感を抱いていたのか。

そして似た様な言葉はどういうもので
その本質はなんだろう。

シャワーのお湯が僕の脳を刺激してある一定の結論を導き出す。

第3者のための言葉

これが僕には違和感を感じるのだろう。
つまり若いカップルでの会話

「私のことどう思ってるの?」
「つきあって欲しいってこと?」
「どうなの?」

完全に相手との契約を結ぼうとしている。
つまり2人だけではなく
第三者に「私達付き合ってます」と言うための言葉である。

そんなことない

そう思う人もいるかもしれないが、
もしあなたとその大切な人が世の中に2人しかいなかったらと考えて欲しい。

付き合う

とか

結婚



存在したのだろうか。

その言葉を求める若者は
ある意味2人だけの世界ではなく

友達に自慢するため、
友達に彼を取られないため
相手が浮気しないための必死の抵抗
相手が私を見てくれるための欲望

本当に醜く儚くそして悲しい人間の汚れた感情なのだ。

若い頃は確かにその薄汚いその感情を



と呼んで楽しい刺激を脳に与えていたいのだろう。

しかし全て



ではない。
全て自分のための言葉

相手のために死ねる

そこから生まれたものではない。

だから嘘っぽいのだ。

もっと色々思いついて哲学したいと思っていたのだが、今日はUSJに遊びに行くからこの辺で。

寒空の強風。

バックドラフトループでもいいかもね。

フライングダイナソー乗れるかな?

今回はボッチじゃないよ。
イッテキマース。

僕は付き合ってとか言わないし、
言って欲しくもないけど、


紅葉がハラハラ落ちる様に
可愛い女性に恋に落ちていく