ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

そういう人間にワタシハナリタイ

2017-04-15 | 雑念
評価ばかりされ続けた人間が、歳を重ねてからする悲しき行動

それが「人の評価をする事」である。

批判したり、文句を言ったり
テレビや息子の通う学校にクレームを言うのも全て自分の評価シートに基づいて。

自分の基準で"評価する"事でしか自分の存在を認識できないのだと思う。

そういう人に出会って、
そういう話題になった時、僕はその場にいなくなるようにする。

もしくは自分自身もそういう人になっていないかチェックしてみる。

恐らく人間の本性に深く根付く恐ろしい病気なのではないかと思う。

小学校から、いや保育園や幼稚園でさえ
「ひらがなかけたね、上手に片付けたね〜、いい子だね」と評価される。

小学生や進路を決めるという中学、高校はさらにテストや内申点、レッテルなどで評価され続ける。

大学に入って羽を広げられると思ったら、人間関係で「あいつは空気が読めない」と言われたくなくて入りたくもないサークルに入ったり、閉じこもって自分が分からなくなる。

それもこれも評価されたくない!という心の叫びの表れかもしれない。

だから僕は

「公務員が嫌い!」

なのではないっ!

人を評価するだけの人間が好きじゃないっ!

のだっ!

そりゃ、僕だって文句や愚痴を言うことがある。
いや、このブログは下手をするとそれでガス抜きをしているのかもしれない。

でも、「それだけ」になってはいけない。
僕が未熟な人間だって知っている。
だから評価だけをしている人間にはなってはいけないと自覚することが大切だ。

逆に、たくさんの人と感動を共有して人としての成長を促すような人間になりたい。そしてその成長を手助けできる仕事をしていたい。

そんな人ともっと話しがしたい。

だから恐る恐る話しかける。
そういう人生観に触れていたい。

世にも奇怪な人達

2017-04-15 | 雑念
僕の仕事観

とても幸せなんだと思った。
確かに人を養えるほど稼いでいるわけではない。
だから等身大の働き方を細々と続けている。

でもその悪魔の契約のご利益は、
とてつもない無限の仕事仲間が近くにいるということだと思う。

変人ばっか

もうマトモに仕事をしているのか?と疑いたくなるくらいだ。「◯◯さんは、普段は何をしている人ですか?」と聞くのが日常。

もう自分自身も何の仕事をしているのか分からなくなる。でもそのワクワクたるや、毎日がディズニー、毎回USJである。

エゲツないキャラが普通に隣に座っている。
日本語を喋ってくれるだけでラッキーである。

昨日は初のテリトリーに仕事。
そこに集まるメンバーもまたキャラがお濃ゆいようでらっしゃる。

でもどこか別の現場で一緒だった方のお名前も。
「また会いましたね」と握手。別の人とは「10年ぶりちゃう?」と握手。「……」と警戒して近寄れない人も。

確かに多様な人と分け隔てなく仲良くなるのは苦手な僕も。キョロキョロしながら少しは初めましての人にも話しかけてみる。

そしてその人の雰囲気や話し方、素敵な笑顔、考え方も少しだけ会話の中で感じ取れる。

僕はまた少しずつ"元気玉"を大きくするようにパワーをもらう。

僕の栄養素は「奇怪な人との出会い」なのかもしれない。

休みが潰れて少し凹んだけど、奇怪な人に充電してもらって4月の後半は頑張れそうだす。

そうだす。