ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

闘うおとこたち

2008-05-22 | 雑念
はい県庁。

威風堂々と見えます。

なんやかんや言っても大きな存在ではあります。

媚びず離れず付き合っていきたいものです。

本日は「すべらない話第4弾」
神戸事務所にて闘うのです。

指導者愛

2008-05-21 | 雑念
アドベンチャープログラム指導者たちとのフィードバックをしていたとき、ふと思いました。

参加者グループが自主的に行動し気付いていくように我々はファシリテーションを行う。

参加者が取り組む課題解決は難しい。話し合いや身体接触、手助け、言葉かけなどグループにとってストレスはかなりかかる。
つまり困っているメンバーを目の当たりにする。しかし参加者の成長のため、我々ファシリテーターは手助けしない。

そこに学校の先生たちとの明らかなる違いが存在する。
時間が無いからなのか叱る。はみ出た子供を枠に押し込む。挙げ句の果てには問題の答えも「なんでそんなこともわからないんだ」と言って怒りながら答えをアドバイスするしまつ

まぁそれはそれとして…

私はつくづく「教育的S(エス)」だと感じる。メンバーが難しい課題を頑張っているとき、ねらいがあるにしろ、全く答えをアドバイスする気持ちは無い。

指導者愛とは手助けする事ではない。

私はこれからも愛を持って彼らの考えるチャンスを生かしてあげたい。

高校レストラン

2008-05-20 | 雑念
わたしのパラダイムをシフトします。

現場にいない偉い人達は「人数」などの数字で評価する。特に野外教育などの体験学習への評価は厳しい。その人数がスポーツなどに比べ圧倒的に少ないからである。

しかし人数を増やせば「考える力」を育てることより反復練習や集団訓練の様相を呈してくる。軍隊…。

本当に青少年にとって幸せなの?

指導者たちがそんな世界で生きてきたせいでそんな教育手法の押し付けになっていませんか?

そんな思いで数の論理を受け入れがたい自分がいました。

しかし県の主催事業に5年近く関わってきて、何故「数の論理」が脈々といわれ続けるのか?
すでに当の権力者たちも意味をはき違えてはいるかもしれません。

それは教育というプロセスを大切にしなければいけない世界にこそ、多くの人たちに理解・共感してもらわなければいけないからです。だと気付きました。

我々が関わる現場はリピーターが命です。

いくら権力者たちが無茶苦茶な高い利用者数を掲げようとも現場の人間はプロセスを大切にしながらリピーターを確保し満足してもらわなければいけません。

その現場が存在することだけで幸せであるからです。
社会全体を考えても終身雇用が死語になり働けることの幸せを感じながら働いていますか?

調理科の高校生がおいしそうな和食を出すレストランが大人気。接客も初々しく感じがいい。プライドの高いシェフの高級レストランより、一生懸命な高校レストランに行ってみたい。

東洋医学

2008-05-19 | 雑念
アドベンチャー教育は医学界でいうところの「東洋医学」である

家庭教育や学校教育は悪いところがあれば治療して、時には手術を行う
つまり「しつけ」「集団訓練」「体育祭」など介入して生徒をあるひとつの理想像に近付けていく

アドベンチャー教育は本来絶対的な理想像は存在しない
つまり目指す目標は参加者が決める

意欲的なメンバーには大変有効で考える力もつく
しかしいわゆる動員や意識の低い集団は自らをコントロールしようとしないため能率が悪い

しかし人間本来の力を引き出し、健康的な生活を目指す考え方は日本人の考え方に合っている

デメリットは時間がかかり効果が見えにくいこと

大切なのは参加者にとって何が必要なことなのかを問診で共通理解してから治療や活動を行うことです

自衛隊体験研修もいいですがいかにも西洋的な圧倒的な存在を盲信している可能性が否めません

やおよろずの人間が仲良く暮らすには日本は狭くなりすぎたのかも知れません

伝え方

2008-05-15 | 雑念
「夢をかなえるゾウ」という話題の本を読む機会があり2日間で読破

面白かったです

内容は自分を変えたい人への指南書であるが、その伝え方がユニーク

関西弁の神様と文句をいう青年とのやりとりが微笑ましい

つくづく伝え方が大切だと実感します

難しい理論を難しく本にすると伝わりにくい
幅広くポピュラーな作品には魅力があります

言いたいことは簡単に面白可笑しく伝えましょう