今回、あまり厳しい移動日程を組まなかった理由の一つが、経路検索をしていると岩見沢からの移動手段として室蘭本線が出てきたことである。久々にこの経路に乗って見たくなったのだ。しかし、世の人は岩見沢から苫小牧まで千歳線を経由しない鉄道ルートがあることを知っているのだろうか?
ということで、12:45発苫小牧行きに乗車。しばらくは高校生のガキどもが煩い。
そいつらがいなくなった頃(由仁で静かになった)に写真撮影。古山(ふるさん)、三川(みかわ)など、名前が記憶にない駅もあるね。
そうか、安平駅も通るのか。
というところで苫小牧到着。目的地はもちろんあそこだ。
■苫小牧美術博物館「吉田傑の段ボールといきもの」。
「屏風の虎」:殿様「一休さん、虎を屏風から追い出したので、後はよろしく」、一休「むむー」。
「S(h)ake!」:宙を飛ぶように泳ぐ鮭。
「アンモナイト」:高さ180cm。奥には博物館収蔵のアンモナイトもセットで展示されている。
■苫小牧美術博物館「企画展「八王子千人同心と蝦夷地」」。資料出品は函館市中央図書館、八王子市郷土資料館、門別稲荷神社、無料山自然院大成寺、七飯町歴史館、寶樹山正受院極楽寺から。
「CARTE GENERALE DES DECOUVERTES」:1787年の北海道よりも樺太の方が正確に描かれた地図。ロシア南下政策の影響か。
「蝦夷図」:これは日本製の地図だが、渡島半島、噴火湾あたりまでは何となくわかるが、それ以北はメチャクチャである。
八王子千人同心は1799年に蝦夷地が幕府直轄になったのを受けて、1800年に来道。激しい寒さ等で病死(130名中32名)、帰国(同19名)が相次ぎ、約4年で一旦中断された、大変な事業なのである。いくら道南地方とはいえ、北海道の冬を貧弱な建物で過ごすのは難しかろう。
幕末になりロシア、アメリカ、イギリスなどの来訪を受け、再度八王子千人同心が来道することになる。しかし、函館戦争に巻き込まれた千人同心は幕府軍・反幕府軍に分かれて戦うこともあり、戦死や負けた側は本州に強制送還されるなど、何とも悲しい結末を迎える。
しかし一部の人は七飯町などに開拓民として残り、旅館を経営したり、蓴菜を栽培して生計を立てて暮らしたのだそうだ。
中庭展示は磯崎道佳「世界には塵ひとつない」が展示されている。コンセプトは「立派な台座に、ばかばかしいほど大きなホウキを彫像のように展示したい」とのことで、権力者や上から見下ろすような彫像に対する皮肉になっているのだろうか。
これにて美術鑑賞は終了。入場者は1桁しかいなかったと思うので、安心して見ることができる。
再び歩いて苫小牧駅に向かう。後は帰るだけだ。