平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

限界集落

2007-10-28 20:25:51 | Weblog
今日の読売新聞社説に「限界集落」という記事が載っていた。65歳以上の高齢者が半数以上の農村集落のことを言うそうだ。定期のバス路線も大幅に便数が減少、或いは廃止となり、買い物をするにしても、通院をするにしても集落で生活する高齢者にはとても不便であり、携帯電話もつながり難い状態である。 私の郷里も限界集落そのものであり、子供の歓声など盆、正月にたまに聞く、バス便も2時間に1本(それも殆ど無人状態)、携帯電話は家の中からは通じない、テレビの映りも悪い・・・という地域で今後もどんどん加速していくことが予想される。子どもの頃は殆どの家庭が爺さん婆さん・父親母親・子供4~5人くらいの7~10人くらいの大所帯であったし、婦人会や青年団、子ども会などの活動もうまく連携し活発であった。子ども会の世話は青年団の方々がされていたし、集落の冠婚葬祭なども全て集落(その中の班単位)でまかなっていた。村の鎮守の祭礼なども前夜から親戚や親父の戦友等が往来しとても賑やかだった。 では、何時ごろから限界集落になってしまったのか? それは間違いなく我々の世代が古里を捨てて町に出たからであり、結局は子供も少なくなったのである。 今I(愛)ターンだとかで他の田舎暮らしを希望している人たちを受け入れる施策もあるようだが、私の郷里は保守的でそれも拒んでいる雰囲気である。 いつの間にかゴーストタウンになるのではないかと日々気をもんでいる。 
※写真は今年の最初の日曜日の伝統行事「お日待ち」での床の間飾りである。(私の実家が堂家(どうや)=皆が集まる担当の家)

「自衛官転勤時の不当宿泊手当」報道に思う

2007-10-27 08:23:13 | Weblog
今朝のニュースで「自衛官の転勤時の宿泊手当の不当支払い」が会計監査院から指摘されていた。確かに3日3夜(泊)とか5日5夜(泊)とか現役当時聞いたことがあり、それをもらったことは事実である。 しかし、しかしである。昔から「転勤貧乏」と言う言葉があり、転勤すれば大赤字であるのが現実で、それを2年に1回全国区で転勤しているのだから、我々自衛官は文字通りの「転勤ビンボー」なのである。民間の会社ではお皿一枚でも全部運送会社に頼み梱包輸送してくれて、転勤すれば少しは経費が浮くと言うことを何人の人からも聞いている。(今はどうか知らないが) 子供の幼稚園の入園金、制服代、自家用車の輸送料金、官舎の整備費、転居手伝いの人へのお礼、粗品の贈呈等々転勤費用で出るわけがない部分が多いのが現実である。 転勤費用のかかった分を申請すれば適切に支払ってもらえるならば今後そのようなことは起こらないだろうが、これまではせめてもの「赤字穴埋め対策」なのである。 誰一人として「転勤で大儲けをした自衛官はいない」ことは断言できるし、あまりにも杓子定規にそんな規制をすれば退職したり、新任地異動を拒んだりしてくるのではないだろうか? 本音を言って、転勤回数の少ない(或いは殆どしない)中堅自衛官(海曹等)を羨ましく思ったこともあった。 

ビッグマウス亀田家の謝罪会見

2007-10-27 08:01:25 | Weblog
昨日亀田家を代表し、長男興毅が金平会長同席で謝罪会見をした。デビューした当時からのパフォーマンスとビッグマウス、傍若無人でスポーツマンシップなどかけらもない親父、3兄弟に不快感を覚えたのは私だけではないと思う。格技と西洋のスポーツは感覚的に若干違うが、それにしても相手選手への非礼は日本国民としての恥さらしだった。私は常に相手選手を応援していたくらいだ。今月8日タイトルマッチで内藤大輔選手との対戦での完敗、反則の連続という醜態で決着がついた。それにしてもマスコミも持ち上げ、チヤホヤが負けると急に手のひらを返す報道、一体全体、民間局の報道は事実の正確さよりも視聴率、営利が優先すると言うのはある程度理解はしているが、あまりにも情けない。 20歳の興毅の謝罪会見はなかなかのものだった。果たして私が興毅の立場であればあれほど堂々と会見できただろうか? 今の時代、父親など舐めきっている子供が多くいる時代、父と子の強い絆で結ばれていることに若干の羨望さえ感じた会見であった。(写真は毎日新聞ニュースを拝借)
  

家族3人「秋の温泉ドライブ」

2007-10-15 11:02:54 | Weblog
8日午前中、横浜を出発・環八-関越道、上信越道経由-下仁田で下車在来道を楽しむ。当日は信州の秘湯松山渓谷温泉「滝の湯」泊、露天温泉と郷土の食事を楽しむ。翌9日奥志賀高原-秋山郷経由-切明温泉の川の露天風呂は増水のため冷たかったが挑戦した。親戚のMさん宅に夕刻着きミオンの温泉と越後の美酒に酔う。翌10日は出雲崎の良寛さん・寺泊の鮮魚センター方面をドライブする。11日午前に親戚宅発水上、奥利根経由で奥鬼怒経由華厳の滝・東照宮を見学し(栗山温泉郷)民宿「一乃屋」に投宿。地鶏や野鳥、岩魚などの珍味を炉端にていただく。民宿の夜は長い長い。きしくもTVではボクシングの内藤-亀田のタイトルマッチをやっていた。(無作法な亀田の完敗で気持がいい)いつの間にか寝てしまった。翌12日は奇岩景勝「塔のへつり」と宿場「大内宿」見学し夕刻磐梯山温泉ホテルに投宿、今回は社員の福利厚生用の「WELBOX」というシステムを利用したので格安でゆったりとくつろぐことが出来た。翌13日は裏磐梯-土湯、五色沼経由-二本松城での菊人形展を見て夕方小名浜の知人Yさん宅に到着、夕食は美味な地元産の鮮魚や地鶏焼き、お酒をいただく。14日午前Yさん宅発、勿来の関、那珂湊の鮮魚センターで買い物などを楽しむ。 九十九里海岸沿いに帰途に着く。旭市のはずれにある「和洋大衆料理 さくら」で昼、夜中間の食事をとるが、非常に美味しかった。 茂原-長南-木更津-東京湾アクアライン経由で8時ごろ無事帰宅した。走行距離約1300kmであった。 健康第一である。  写真:奥志賀高原の紅葉

子供の基礎体力

2007-10-08 08:41:17 | Weblog
今朝の新聞で「子供の体力、危機的レベル」と言う記事があった。 週休2日、ゲームや塾通いなどで子供の基礎体力は20年間連続して低下しているようだ。また、スポーツをやっているのといない子供の二極化が進んでいるようだ。  我々の子どもの頃は、空き缶1個あれば「缶けり」、また地面に円を描いて「相撲」をし、まったく何も道具がなければ「かくれんぼ」や山を走り回り木登りなどをしてそれなりに知らず知らずのうちに基礎体力をつけていたのだ。 ボールがなければ石に綿を巻いて糸でぐるぐる巻きにしてボールも作ったものだ。親からグローブなど買ってもらったときなど舞い上がり、大事に大事に使ったものだ。一方、今の子供達の遊びは環境も道具も全て親たちが提供しているし、野球やサッカーをしている服装も全て完備している。 鼻をたらして、お古の服を着て大自然を走り回った頃はみんなそうだったので別に恥ずかしくもなかったし、自分の生き方を自然身に着けていたのではないだろうか? 子供の基礎体力は成人になっても継続するであろうし、今の頭でっかちの子供が成長したらどんな社会になるだろうか? 今でもガキの頃身につけた基礎体力が役立っている。 サーテ、今日から約1週間の信州、上信越、甲州方面の温泉ドライブに挑戦だ。