平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

2011 原宿スーパーよさこい

2011-08-29 15:59:51 | Weblog
28日(日)は新宿での夜勤のため少し早めに家を出て、原宿表参道を中心に開催されている「スーパーよさこい」を観た。すごく陽射しも強く、踊っている人たちは汗びっしょりだった。いままでは浅草サンバカーニバルに行っていたが、今年は大震災の影響で中止らしい。あまりの熱気に圧倒され、年を感じた。早めに引き上げ、会社に行きエアコンの効いた場所で一息入れる。今日29日は勤務明け後、久し振りに都庁屋上の南展望台に上り、大都会を空中散歩の気分を味わう。その後三井住友ビル(通称:三角ビル)48階の平和祈念資料館を無料見学し当時の人々の生活苦労や終戦後のシベリア抑留者の悲惨な生活などを見学した。 平和祈念・・は総務省の管轄とのことで、戦争の事実を否定も肯定もせず事実を羅列していたのはよかった。 だれしも殺戮と破壊の戦争を好む者はいまいが、わが国が平和願望、平和を祈ってばかりは他国からの侵略時は国民はいかなる道を選べばいいのか。いざという時のための防衛予算を年々減らし、隣国ではどんどん軍備増強している現実を国民は理解しているのか疑問である。本日はきしくも、ポスト「(すっから)菅」の民主党代表選挙が行われ、野田氏が選出された。選出後の挨拶は相変わらず「なにわぶし」であり、実際に何をどのようにするのか皆目見えてこない。

7名による民主党代表選(マタバカノカオ=また馬鹿の顔)

2011-08-24 21:23:01 | Weblog
昨夜、前原前外相が代表選に立候補の記事が流れていた。 一体全体民主党はこの日本をどこまで駄目にすれば気が済むのか。マタバカノカオの7人がそれぞれの特徴も個性も能力も才知も乏しい7人の候補者がこの未曽有の時期に亡国、売国を推進するのだろうか。ニュースを見るたびに腹が立つのは私だけだろうか? 小沢一郎と言う妖しい人物に操られ、殆どの代表が「小澤詣で」をし、私利私欲のみのための下品な政治家になろうとしている。政治家の矜持、品格と言うものはないのだろうか。 ちなみにマタバカノカオ=前原・樽床・馬渕・鹿野・野田・海江田・小沢のあたまをつなげばそうなる。偶然だろうか・・・・・・。今の国政には呆れてしまう。

自衛隊の「絆」に想う

2011-08-19 05:53:48 | Weblog
今月の初めに原宿にある「水交クラブ」で会社の懇親会があった。そこは主に帝国海軍~海上自衛隊の将校(幹部)が集う場所であり、当夜もたまたまビール祭りの時期であり、会場は満席状態であった。 決して美味しい料理があるわけではないが、そこに行くと現役当時一緒に勤務した上司、先輩、同期生、後輩等々懐かしい仲間が集まっている。我々のグループは総員4名だったが、数名から10数名の海自OBのグループがたくさん来ており、いつの間にかグループはごちゃごちゃ状態になる。それもそうだ、数10年会っていない仲間がそこにいるのだから。会社の人が、海上自衛隊のこのムードには異様さと羨望を感じる・・・と話されていた。総務省キャリア出身のその方は、「我々にはこんな雰囲気は絶対にない、あるのは(先に越された)悔しさとか、パワハラなどによる恨みしか残っておらず、こんな集まりなど催すこともない・・・」とお話しされていた。現状の自衛隊は、国際支援による海外派遣、大震災への支援と上から下まで殆ど休む暇なく、しかも黙々と無政府状態の政府からのあいまい不明瞭な指示、自治体の能力をはるかに超える要請に応じている。いつか強力なゴムが、どんどん伸びきって収縮性が劣化しプツンと切れるのではないかとOBとして心配している。内情を把握不十分な総理や防衛大臣は命令すれば部隊は動くと思っている。精強さを維持するためには訓練も休養も処遇のどの一つもおろそかにしてはならない。防衛費の予算は毎年減らされており、(今回の大震災など)いざとなれば、最大限の貢献をしている。自衛隊特に海上自衛隊は終戦後(それ以前から)も営々と復員局~海上保安庁~海上警備隊~海上自衛隊と帝国海軍のDNAを引き継いでいる、私の初級士官当時は殆どの司令、艦長クラスは帝国海軍、海軍兵学校出身の方で、士官としての躾や海上勤務をするうえでの必須知識はまさに身体で教えられたものである。今は我々の主として勤務していたアナログ自衛艦からコンピュータ自衛艦に移行しておりその両方を備えなければならない。身体はいくらあっても足りないくらいである。海上自衛隊をリタイアし、早くも10年が過ぎたが、時がたつほど「絆」は強まってくる。来月は41年前に同じ釜の飯を食った同期の集いが開催予定である。(写真は当日の水交クラブの会場の様子)

熱海の夜の逸品

2011-08-17 09:22:48 | Weblog
昨夜、熱海の義兄別荘のご近所さんO社長のお宅訪問で昭和30年~40年ごろ活躍した完動品のジュークボックスにお目にかかる。当時のオートチエンジャーでの選曲、懐かしい当時の歌謡曲が奏でるアナログの音声はCDとは一味違った温かみさえ感じる。 楽しい思い出も悲しい思い出もその曲その曲を聴くたびによみがえってくるのだ。 お話によるとこの逸品は沖縄の米軍基地で活躍し、しばらくは倉庫に眠り、それを譲り受けたものだそうである。 有意義なひと時であった。

終戦記念日

2011-08-15 09:01:52 | Weblog
昨日の勤務明けの足で靖国神社にお参りした。終戦記念日の前日だったが炎天下に多くの参詣者がいた。今年で66年になるのだ。かなり高齢と思われる老人が車椅子でお参りしていた。おそらく同期か、兄弟の冥福をお祈りしてのお参りだろうか。先の大戦において散華された多くの英霊のおかげで今日の繁栄があることを忘れてはならないと思った。東北大震災の復興も国民全体としての大きな課題であるが、政治家の党利党略、私利私欲としか思われない政争にとてもやりきれない気持になるのは私だけであろうか。 靖国神社の帰途に近くの「昭和館」にも立寄り、戦前・戦中・戦後復興の国民生活の労苦を伝える各資料を拝見した。「昭和館」は一部無料ではあるが、常設展示箇所は有料(300円)であり、殆どそこには入っていなかった。各国には「戦争博物館」「戦勝記念館」等々名前こそ異なっているが自国の戦争での労苦や先人の努力などを後世に伝えている施設がある。この昭和館は国立(厚生労働省)で財団法人日本遺族会が委託運営しているとのこと。戦争を知らない世代が8割近くの現在、入館料などで制約せず自由に誰でも気軽に入館できるようにすればよいと感じた。 日本の近くでは韓国と北朝鮮がキナ臭く、くすぶっている。日本人も対岸の火事とは思わず我が国の防衛、将来のあり方などを真剣に考える必要がある。 永久の平和は祈るだけでは継続できないのだから・・・・。

長崎原爆記念日

2011-08-10 08:01:14 | Weblog
今月は6日に広島、昨9日に長崎の原爆記念日を迎えそれぞれ式典が行われた。菅総理は両日とも参加し、米国代表として在日米国首席公使のズムワルト氏が参列した。 核のない世界は夢のまた夢であり、現実にはパキスタンや北朝鮮などは核兵器を保有していると言われている。(実際に保有しているかいないかは北朝鮮人民以外わからないが)核のない、戦争(紛争)のない、原発に依存しない世界にこしたことはないが、現実世界に目を向けると、世界の警察と言われる米国の国力の低下、それに影響して中国の海軍力の増強と傍若無人の行動には憤りを感じる。 国内では外国人への出入国の大幅緩和や土地取得の緩和などで、どんどん三国人に支配される時代が来るのではと危惧している。日本人は戦後66年が経過した現在でも、マッカーサーの日本弱体化占領政策のゆるま湯に浸り過ぎいつまでたっても自立の気慨は見られないのはとても悲しい。坂の上の雲に登場する明治の志士のような、将来を託せる政治家はいないものか・・・・。(写真はmsnニュースから拝借)

今日は前期高齢者の仲間入り

2011-08-01 06:03:32 | Weblog
小学校6年当時の修学旅行の写真を眺め、思い出しながらそれぞれの同級生との懐かしいいろいろな出来事がよみがえる。今日でいよいよ65歳になった。実家の母も衰えがいっそう増してきたような気がする。思い過ごしであればいいが、概ね1年ごとに帰省するが手や顔のしわが本当にお婆さんになったなあ?と感慨深い一入である。 NHKの朝ドラでは主人公の陽子さんが昭和21年の暮に女の子「日向子(ひなこ)」を出産したが、丁度日向子さんと私は同い年なんだ。 陽子さんと私の母は同時代の女性なのだ、戦前、戦中、戦後といろんな体験、苦労をし、今日に至ったのだと思うと大正、昭和、平成を頑張って生き抜いてきた母たちの世代の方々には感服する。昔の65歳と言えば本当に、爺・婆だったような気がする。今の時代私自身を含め、昔に比べ派手な柄、色の服をまとい健康的にあちこち動いているものが多く、老化が遅れているのだろう。自分自身まだ50代後半くらいだと精神的には思っている。 それにしても最近の勘違いや物忘れが多くなったのはやはり老化の兆しか?気をつけなくっちゃ。