参議院選挙も予想どおり自民党の圧勝で終わった。内外の課題山積であり、今後の自民党、安倍内閣も勝利の美酒に酔ってばかりはおられない。2大政党ともてはやされた民主党も予想どおりの大敗で、国民は冷静に審判を下したと思う。ある評論家が《自民党が理想の党ではないが、他の党に任せられないため、止むなく自民党を選んだ者が自民党得票の半分近くいるだろう。》と話していた。まさにそのとおりだと思う。野党各党は党利党略、候補者個々の私利私欲としか思えないぶざまな惨状であった。 今日28日、《終戦のエンペラー》を観てきた。概ねの経緯は承知しているが、戦後の無条件降伏の中、占領軍司令部と日本の戦争指導者との駆け引きや昭和天皇の人間性に対するマッカーサー元帥の心理の変化等がとてもよく表現されていた。まもなく終戦66年目を迎える。隣国との外交も双方歩み寄りの気持が持てないものか。
勤務明けの14日夕方から新潟県刈羽郡の親戚に所要があり行動した。3連休の最終日、環8はいつものように渋滞していたが、関越道下りはガラガラ状態で、今回は遅かったので関越道~北陸道経由で西山ICで降りて、22時頃無事到着した。翌15日は野沢温泉方面にドライブし、お世話になった方の墓参や老人ホームのSさんお見舞いなどをした。16日帰宅予定だったが事情があり1日延ばした。17日9時過ぎにお暇し、中里村~津南~秋山郷~奥志賀林道~草津~佐久~清里をドライブする。途中の秋山郷では民宿仁成館に寄って関谷さんご夫妻とお話し、二人以外はお客さんもおらず、絶景の露天風呂に二人で入り疲れを流す。奥志賀林道は平日でもありすれ違う車は殆どおらず貸切状態だった。残雪【写真】が各所にあり、自然を満喫した。夕食は《盛盛亭》で信州牛のハンバーグ定食で舌鼓を打つ。須玉~八王子までは中央道を通り午前2時過ぎ、無事横浜の自宅に帰着した。今回の走行距離:988kmだった。
今日は勤務も休みだったので、免許証の更新に二俣川運転試験場に行った。前回は都筑警察署だったが、今年の4月?不覚にも知人宅を訪問の際、首都高から一般道に下りた時に一時停止違反を怠り、罰金と減点、さらにおまけに神奈川県の運転試験場まで行っての更新だった。不覚の私が悪いのだから、別にどうこう言うつもりもないが、警察官OBらしい人々が職員、講師でたむろしていた。更新手続きは4,000円と思ったより高額、内容も高圧的でワンパターンという感じがした。講習が終わると相変わらず《講習資料》はゴミ箱行き、捨てた人の心中は十分理解できる。くれぐれも捨てないようにと念押しされたが、表紙には《保存版25年4月》と記されていはいるが、それほどの価値はない。逆に《腹いせに》捨てるのだろう。私個人としてはせっかくの更新講習なので真面目に受講したが、その大部分はその間に講師の話よりも教本に全部目を通したことである。中でも年齢に応じた運転特性は大事なことで、情報キャッチや判断、意思決定などの加齢に伴う衰えは大切だと思った。約35年近く運転し、違反は数え切れないほどやっているが、事故を起こしたことはない。それらの過信も今後十分心得、無理のない安全運転に心がけたいと思った。
昨夜、東日本大震災当時の福島第一原発所長だった、吉田昌郎氏が食道がんで58歳で逝去したとの報道があった【写真:読売新聞夕刊】。これまでのマスコミも、彼の上にも下にも同僚にも、歯に衣着せない生き様を報道していたが、男なら誰でも《我もかくありたい》と思うのではないだろうか。これまで使えた上司にも、ほんの数える程度ではあるが、私欲を払拭した豪放磊落な指揮官がおられたが、戦後のぬるま湯で育ったせいか、多くの反面教師もいたことは否めない。長生きにこしたことはないが、精一杯自分の与えられた職責を全うし、その結果の短命であれば、それも本望であろう。マスコミの《ヨイショ》も若干あるかもしれないが頑固一徹でもない、現場に徹した吉田元所長の生き様に感銘を受けた。
昨日は新宿勤務明けに帰る途中にある《てくのかわさき》に立ち寄り、半年(約1年ぶりかな?)ぶりのブリッジを楽しんだ。15名の皆さんが参加されていた。ブリッジは一人では楽しめないので、皆さんのおかげで久しぶりに堅い頭の掃除と体操ができた。20ボード(回)のうち、自分がプレイしたのは1回のみで、残りは全てパートナーのプレイと相手のダウンによる得点だった。こんな場合もあるんだというのが実感。 ブリッジは自分がやろうやろうと思ってもプレイできるわけではないし、点数もなく、パートナーを無視しそんなことをしていたら結局は惨めな結果となる。分かっているものの、私の性格上は《自分で強引にやりたい》ほうなので、昨日のブリッジで少しは人間が出来たのかな? この年になってはもう遅いか・・・・・。