今日に新聞で、昨日日本最高齢映画監督の新藤兼人さんが老衰で亡くなったという記事があった。作品は個人の人生、生き様や反戦色の濃いものが多く、ロードショーなどの営利目的からはかけ離れたものが多かったようだ。私は<午後の遺言状>という作品は観たことがある。監督が生前、『最近の若者は政治に関心がなさすぎる・・・。もっと関心を持つべきだ・・』とインタビューのたびに話していた。振り返って現実はどうだろう。丁度私が夜間大学生(昼間自衛官)で通学の頃(昭和43年~44年)全国規模で大学紛争で激しく揺れていた。私の通った大学でも授業そっちのけで、バリケードなどを椅子や机で構築し、拡声器で政治、外交(安保)、学費値上げ反対などわめき散らしていた記憶がある。私自身は自衛官の宣誓の中に【・・・政治的活動に関与せず、身をもって責務の完遂に努め・・・】という部分があり、学生運動には殆ど関心もなかった。あれから40年以上が過ぎたが、当時の暴れん坊学生が社会に出て、会社に入りそれなりの地位を築き、日本の高度経済成長の原動力ともなった。今の65歳から70歳くらいの人たちだろう。大学受験ばかりで子供のころから勉強ばかりで、暴れる場所がなかったから大学で遅蒔きながら暴れているとも思えた。大学紛争の是非は他に譲るとしても、彼らのバイタリテイはいまどきの大学生とは話にならないものがあった。今の日本は政治、経済、外交、防衛、国民生活のどれ一つ正常に機能していない。大学生たち若者は消費税がどうであれ、尖閣列島や竹島が隣国から侵されそうであっても、年金問題がどうであれ殆ど関心を持たず、お利口さんに(まともに勉強しているかどうかは別として)大学に通っている。そのあたりを新藤監督はもの足りなく、先を不安に感じたのであろう。私も今の若者をみるにつけ、これから先の日本を委ねるにはあまりにもバイタリテイがなさすぎるように思っている。 年配者は『今の若者は・・(ダメ)、今の若者は・・』と言いがちだが、洋の東西を問わず、石器時代にも同様の意味の古代文字に記されているようだ。その何万年後の末裔が我々なのだから皮肉なものである。
先日からテレビ、新聞で吉本興業の<次長課長:河本準一>の母が生活保護を受けていた報道でにぎわっている。テレビでは河本準一は今にも泣きそうな顔をしながら、自分の情けなさなどを反省しているようだった。生活保護制度自体がこの国が戦後復興から爆発的経済成長の頃にかけ、生活力に乏しい人たちの最低限の生活保障を保護するために制定された、健全な制度だったのだが、いつの間にかこの国も借金大国となり、経済も右下がりで疲弊してしまった。そんな状況下での生活保護制度は、人として、日本人としてのプライドなど払拭され、<貰えるものは貰わにや損損>となり、真面目に働いて稼ぐよりも生活保護のほうが楽で高額だから、ここ数年で生活保護受給者が爆発的に増えている。確かに阪神淡路大震災、或いは東日本大震災等で家も仕事も失って、働き手も体調を崩すなどの家庭も多いことだろう。今回の河本準一の件には奥深いものがあり、母は勿論、姉と叔母二人の計4人が12年前から近くの家にそれぞれ住み、各々が生活保護を受けていた。その額は12年間で1億円弱にのぼると言う。(週刊新潮の記事による) 本当に生活に困窮している人たちの中で<生活保護>と言う、一般的には屈辱的とも思われる制度をかたくなに拒み、高齢の働けない姉妹が餓死した・・・等の記事と比較すると制度の見直しは当然であるが、その前の人として今一度その生き方を考える必要を感じる。そう思いながらも、そんな至極当然、真面目な考えを持っておれば生活保護者の増大と言うことはあり得ないということに気がついた。【写真はyahooから】
今日は久し振りに、九十九里の土地の草刈り作業に行ってきた。7時自宅発、アクアライン経由、177号線で10時半ごろ、勝浦のクラスH君の別荘に着く。一休みし彼の草刈り機を搭載し3人で九十九里に向かう。12時ごろ到着し、まずは腹ごしらえ、お昼ののち、草刈りの作業。お天気も良く、草刈り機の調子も万全で約1時間で作業を終える。帰途買い物などし、17時ごろH君別荘着、御厚意に甘え、入浴と夕食をご馳走になる。一休みし21時30分ごろおいとまする。帰宅は23時30分だった。行く途中の久留里で<高澤の水>を汲む。地下500mくらいまで井戸掘りをした、平成の名水100選に選ばれた水とのこと。久留里は各所に同じような井戸水があり有名とのことだ。【写真は丁度腰丈まで伸びた雑草を刈り取り、H君がくれたミカンの木を植えた記念に】
今日のテレビ特報首都圏で<東京空襲>を放映していた。司会と半藤一利氏の話と映像、それと視聴者からのメール、FAXn紹介で進められていた。確かに悲惨な、目をそむけたくなる焼け焦げた性別不明の死体が累々と点在しているものもあった。その番組は一貫して<反戦>でまとめられていたように思う。終戦前日の空襲など、避けることができたかもしれないが、これらの積み重ねが歴史なのであろう。半藤一利氏の発言を待つまでもなく、喧嘩や紛争、戦争などは始めることは簡単だが、矛を収めるのは非常に難しい。だから二度とこのような悲惨なことはあってはならない。<やってはならない>というかやることが大きな負の遺産、歴史の恥辱かもしれないし、そのような願望だけでを後生大事に唱えているだけでは平和は保たれない。今の時代、たとえば北朝鮮に対する交渉も、対話と圧力というきれい事でダラダラと適当にあしらわれ日本は完全に隣国からは舐めきられている。植民地になってもいい、属国になってもいい、金さえ出し、命乞いをし、少しでも【自分や家族だけは】長生きできればいい・・・。今の日本人の大部分はそう思っているのだろうか? 難しい問題ではあるが、嫌なこと、醜いこと、悲惨なことなどを避けて通れない現実を直視し、乗り越えなければならないと思う。現実の社会はそんなに甘いもんじゃないと思う。【新聞は毎日新聞記事から拝借の東京大空襲】
昨日は勤務も休みで、久し振りに町田に住む娘と私たち夫婦と宮前区の友人Aさんとで山梨の【みたまの湯】に行ってきた。桃の出荷が忙しいようで、袋がかかったもの、未だのものもあり、農作業は忙しさを増しているようだった。<天然温泉みたまの湯>は甲府盆地を囲む山の中腹にあり、(南アルプス市)を一望にできる露天風呂があり、ゆっくり、のんびりと何も考えず温泉を楽しんだ。下界には道の駅豊富(とよとみ)があり、今はツバメが巣作りで忙しく飛び交っていた。よく見ると、ツガイが殆ど休む暇なく交代交代で近くの田んぼからの土をくわえているが、ツバメの唾液(分泌物)が接着剤の働きをしているのだろう、数時間で適当な大きさのマイホームを作っている。マイホームの完成後は子作り、子育て、巣立ち・・・と人間が教えなくても自然界の生き物は不思議な能力で子孫を維持継続している。なんと神秘的なことだろうか。逆に、教育、文明が最高度に発達しただろう<ヒト>という生き物は、親子・夫婦などの家族関係・上司部下、同僚などの職場関係を始め、社会全体が何だかおかしな方向に進んでいる。自然界の生き物に見習うことが多いことを感じた。【写真は道の駅「とよとみ」のツバメの巣作り】
テレビのチャンネルを回すとどこも本日開業の【東京スカイツリー】ばかりである。あまりいいニュースがなく、政治も外交も足踏み状態ばかりであるので、国民全体のムードとして、空を見上げてのスカイツリーの開業が待ち遠しかったのだろう。このスカイツリーには塔の鉄骨等鋼材はJFEスチール、建設は大林組、ライトアップはパナソニック、展望台の風防ガラスなどはYKKAPと日本の最高水準の技術が投入されている。展望回廊へのエレベータが風のため夕方近くから停止とのトラブルもあったが、これから何年、或いは何十年か、日本の行く末を見守ってくれるだろう。日本人ももう少し誇りを持たなきゃいけないな。(【写真は大林組撮影から拝借】)
関東地方の天候は曇りベースだった。お陰で曇っている時にちらっと太陽を見ると明らかに月が太陽を隠している日食現象を確認できた。小学校3年か4年生ごろ(資料によると1955年12月14日)、黒い下敷きやすりガラスにロウソクで煤を付け、太陽の欠けるのを見た記憶がある。おそらく郷里山口県地方では部分日食だったのだろう。隣のマンションのベランダでは太陽に向かって日食の変化を楽しんでいる者もたくさん見られた。話はさらにさかのぼり、1183年(11月17日)の源平合戦(水島の合戦)の最中に金環日食があったと【源平盛衰記】には<闇夜の如くなりたれば・・・・・>と記されているそうである。平家はこの現象を事前に知っており、源氏は何事かと慌てふためき、合戦は平家が勝ったとのことである。約800年以上も前に平家はどのようにしてこの現象を知りえたのだろうかと思うと太陽・月・地球の天体ショーは想像を豊かにしてくれる。【写真はテレビliveでの東京スカイツリーに重なる金環日食:手前の黒い物体がスカイツリーのトップ】
昨日は浅草線三社祭を見て、今日は夜勤明け午後からのんびり過ごし、大相撲の千秋楽をTV観戦した。今場所は本命の白鵬王決は序盤戦から崩れ、それでも順調に勝ち進んでいた大関<希勢の里>が後半でどんどん崩れ、今日の対戦で負け、優勝を逸した。平幕の栃皇山と旭天鵬の優勝決定戦で、37歳の旭天鵬が優勝した。日本に帰化しているため、日本人としての優勝ではあるが、モンゴル出身力士としては50回目の優勝だと言う。それにしても今場所は大いに盛り上がったし、満員御礼も多かった。旭天鵬の表彰式では、旭天鵬関は勿論、場内観客全員で日本国歌を唱和し、優勝インタビューでも観衆は外国人出身力士の旭天鵬の功績を大いに称賛した。【写真の拍手】。私が小学校の頃は、超高価な白黒テレビが学校や町役場に備えられ、数年後は、電気店の店先、その地区の裕福なお宅がポツポツ持つようになった。台風で川が決壊しても、蛇の目傘(油紙の和紙で作った傘)をさして、長靴を履いて1時間近く歩き、白黒テレビでチラチラと映りの悪いのに、栃錦と若乃花などの相撲を観に行った昔が思い出される。今では会場に行かなくても、懇切丁寧な説明付きの実際より鮮明な<地上デジタル画像>が一般家庭で観ることができる。そういう便利なこともあって入場者が減っているのかもしれない。 それにしても優勝した旭天鵬は素晴らしいし、それをたたえる日本人観客も同じくらい偉い。そう思った千秋楽だった。
昨日は新宿の勤務があるので、お昼前に家を出発し、東横線~銀座線で浅草三社祭を見に行った。昨年は東日本大震災により規模を縮小して行われたようだが、今年は700周年の大々的なお祭りだった。不景気不景気と言われているが、浅草寺は勿論、周辺の道路は人、人、人・・でごった返していた。町内御輿は44基がセイヤ、セイヤの威勢のいい掛け声と共に町を練り歩いていた。数年前までは御輿の上にヤクザさんと思しき人が全身刺青で乗っていたが全面禁止で今一迫力としては欠けるものだった。昼過ぎお腹も空いてきたのでたこ焼きと缶ビールを購入し、隅田川沿いの桜並木に行き、木陰でスカイツリーのでっかさに感心しながら昼をとった。3時過ぎまで浅草の町を散策し、新宿に移動する。MAPカメラに行き、中古交換レンズ(TAMRON:28-200mm)を購入したレンズフードも付いて1万円なり。22日がスカイツリーのオープンだが、当分は予約一杯で登れそうにもない。勤務について、パソコンを操作していたら愛知県の同期生T君がハンググライダー事故で死亡した事を知った。今年は彼で二人目だ、命は大切にしたいものだ。
昨日も3日間連続で警備の仕事に就いた。小平市のスーパー近くの街路樹の剪定だった。初日は初めての現場なので相当早く出かけ、途中はガラガラ状態で早く着いた。小平在住の2期先輩の有村さんを訪ね玄関でしばらくお話しした。街路樹伐採、剪定作業で2車線のうち1車線を塞ぐので片側交互通行は忙しいし、スーパー・傍の銀行に出入りする自転車、歩行者に剪定後の材木などが当たらないよう歩行者誘導も忙しかった。スーパー前のベンチで午前休憩しているとお婆さんが青ざめ、困り果てた様子で『自転車の鍵を落としてしまった、・・・』とのこと。私をスーパーの警備員と勘違いしたようだったが、『お店の人にお話ししてみたらどうですか』とアドバイス。冷静だったらそうされるのだろうが、どうしていいかわからない状態だった。しばらくして、そのお婆さんがわざわざ私の所に来られ、『紛失した鍵はお店に届けてありました。有難う、有難う・・』と丁重にお礼をいただいた。たいしたことではなかったが、老人にとってはとても嬉しかったようだ。もう一つは、午後の歩行者誘導勤務で80歳くらいのお爺さんが現場の監督と私の方を指さししながら5分くらいお話していた。またクレームかな?、嫌なジジイ・・なんて思いながら勤務していた。すると、監督さんから呼ばれ、お爺さんから『あの警備員さんは素晴らしいネと言われた。私などの歩行弱者(老人や障害者)に気持ちを込めて誘導していた。今どきの警備員さん手抜きが多いからねえ・・』と言われたことを話してもらった。クレームじゃなかったんだ・・と前期高齢者の私も子供に戻ったような素直な気持ちで嬉しく感じた。何事も誠実な気持ちで行うと通じるものだと思った。1日2善で充実した勤務だった。【今回写真なし】