平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

初代「貴乃花」の逝去と業績

2005-05-30 23:39:52 | Weblog
今日のニュースで貴乃花が55歳の若さで亡くなったことを生前の偉業の映像とあわせて放送していた。 あまりにも早すぎる死だが、小兵力士の貴乃花が大相撲に残した業績は大きい。自身が大関まで昇進し、自分の子供二人を横綱までに育て上げたことは尊敬に値することである。 離婚とか家族のトラブルがいろいろあったものの、普通の人生、普通の考えでは平凡な結果しか残せないであろうし、貴乃花自身心身ともに人には言えない苦労があったのであれほどの足跡が残せたのだろう。謹んでご冥福を祈りたい。

体調不良? 

2005-05-28 21:41:59 | Weblog
昨日は咳きがなかなか止まらず会社を休んでしまった。 近くのクリニックに行きよく見てもらったが、大きな病気ではないようなので安心した。 祖父さんは酒もタバコもたしなまず76歳で癌で他界し、親父は酒は浴びるほど飲むがタバコはやらず56歳でやはり癌で他界した。 それを考えると私は今のところ酒もタバコも楽しんでいるので本当ならば46歳くらい持てばいいのにもう既に親父の年齢を超えている。 毎年の健康診断でも太りすぎは指摘されるが、別にデータ的には
どこも悪くない。 せっかく元気に生んでくれた母のためにも、縁あって一緒になった家内のためにも、子供たちのためにも少し節制をしなければとは思うのだがなかなか難しいものだ。
今度の誕生日を契機に止めようかな?・・・ 知人で医師だったS先生、昨年の今頃は元気そのものだったが、半年後には癌で亡くなられた。享年60歳、それを思うと禁煙は重要課題である。

今日は日本海海戦戦勝日です

2005-05-27 07:28:32 | Weblog
今日は日露戦争当時、ロシアのバルチック艦隊と日本海軍連合艦隊が日本海西方で戦闘し圧勝した記念すべき日である。戦前は「海軍記念日」として戦後はあまり知られていない。東郷元帥の卓抜した指揮統率の結果であることは勿論であるが、圧勝を可能にしたのは当時の政・軍の連接が極めて適切に行われていたことも事実である。バルチック艦隊が遠路アフリカ大陸南端喜望峰を回り、その間の寄港地での補給、艦隊乗員の疲労、艦隊の行動などの情報を国として懸命に収集し、海戦に臨んだのである。 敵艦隊との「T之字戦法」など日本人ならではの発想だと言える。
昭和45年5月27日は広島県江田島にある「海自幹部候補生学校」で分隊対抗カッター(ボート)競技が行われ、われわれ5分隊が優勝したことを思い出す。 当時24歳だった。

フィンランドで東郷提督を称えた「東郷ビール」が売られている(いた)と言うことは知っているが
東郷平八郎提督のみを限定ではないようだ。

以下「東郷平八郎」の検索の一部抜粋:

「長年、ロシアの圧迫を受けてきた北欧諸国では人気絶大で、フィンランドでは『東郷提督の肖像をラベルにしたビール』(東郷ビール)が売られていた」という風説が流布しているが、本当に北欧で“東郷人気が絶大”であったかどうか、確証は無い。いわゆる「東郷ビール」は、実際には世界の有名な提督を肖像をラベルにした「提督ビールシリーズ」の一つで、日本人では東郷のほかに山本五十六もラベルになっている。ただし、フィンランドが日露戦争以来の親日国家なのは間違いない様だ。

本当にそう思っているのか

2005-05-25 06:21:20 | Weblog
中国の「総理靖国参拝中止」報道で、自民党はじめ各党は浮き足立っているように思えて仕方ない。 過去の反省という踏み絵のようなことばを巧みに外交に利用していることはみえみえであり、本音と建て前の入り混じった中での国会議員の詭弁には辟易する。 日本人としての誇りなど
微塵にも見られない。 戦後60年の占領軍の日本弱体化政策は日本人への自信や、誇りまでを完全に奪い去ってしまったとしか思えない。 金さえもうければ、喧嘩さえしなければ、今が幸せならば、自分さえ幸せならば、国民みんな平等だ、表現の自由だ・・・と我侭三昧の今の世の中、本当にそれでいいのか・・ 悲しくなる。  そう思うわたしはやはり右翼思想と思われるのかなあ?

飲酒運転惨事に思う

2005-05-23 22:29:18 | Weblog
宮城県の仙台育英高校生のウオーキングラリーの列に飲酒運転の暴走車が突っ込み3名死亡約30名の重軽傷者発生の事故が発生した。 テレビも新聞も運転者を「業務上過失致死罪」で現行犯逮捕・・・と報道していた。 前の晩から3軒の飲み屋を梯子しての運転だったという。 尋常ではないこの運転者は殺人、同乗者は殺人幇助ではないだろうか? ファアミレスなどで食事をしているとどう考えても夫婦連れのお客さんが入ってきて両名ともビールを何のためらいもなく飲んで食事をしているのを時々見かけることがある。 元自衛官の私として、民間ではそんなものかとつくづく情けなく思うことがある。 私はドライブが好きなのだが対向車とすれ違うたびに大丈夫かな?と不安になる。 交差点で黄色から赤信号に変わっても猛スピードで通過する車両あり、そんな車両に限って事故が起きたらゼロ主張(自分の過失はゼロ)する。モラルを大切にしたいものだ。 

Do my best or my pace?

2005-05-21 08:52:17 | Weblog
昨晩は月例のクラス会に参加した。 K君は毎日昼休みなどを利用し、お堀端をジョギングしたり、休日にはゴルフなどで健康管理に気をつけているようだ。 体型も私とは大違いでスマートである。 過日ゴルフをやり過ぎたとのことで腕に炎症をおこしていた。やり過ぎは何事もよくないなあ。 しかしその反面私など、K君から言わせれば温泉ドライブや、写真撮影を楽しんで、健康に関しての努力に欠けている、60歳前なのにジジクサイ・・・・等々という厳しいアドバイスをもらった。    ま、そう言えばそうかな? だが、この期に及んでK君の真似をしても寿命を縮めるのみではないかとも思っている。
健康、人生いずれにしても、自分なりに、自分に適した可能な目標を決め淡々とやるのが私個人は好きなのである。 これからdo my bestもいいが、do my paceで行こう。

名前について

2005-05-18 06:08:02 | Weblog
三日坊主という言葉があるが、ここしばらく記録していなかった。な、それが長続きの秘訣かもしれない。  最近のマスコミ報道では凶悪犯罪や無差別殺人等々あまり楽しい事が伝わってこない。 私はそれらのニュースを見るときに内容は勿論であるがその犯人の名前についてとても興味を感じるのである。 JR可部線の置き自転車の犯人「幸男」・子殺しの犯人「優子」、その他
「正子」・「大志」・「秀夫」・・・・いずれの名前も素晴らしい名前なのだ。 おそらく誕生し命名の時に両親は彼らの将来の幸せを願って種々の候補の中から選りすぐって付けたのだと思う。
どこで彼らの歯車が狂ったのだろうか? そう思うと自分自身のためでなく両親に対しても日々を
大切に生きていかなければと思う。  余談:昔週刊誌で知ったのだが今の皇太子妃「雅子さま」と秋篠宮妃「紀子さま」には運命上深いご縁があるそうだ。旧姓でカタカナ表示した時に「オワダマサコ」・「カワシマキコ」と縦に2列に記入し、その文字を対角線(斜め)同士で読むといずれも「カワシマキコ」と「オワダマサコ」に読めるのだから本当に不思議なお名前である。お生まれになった時からそのような運命だったのかも?

少女監禁事件

2005-05-14 22:48:03 | Weblog
24歳の(不良)青年が18歳少女を監禁し逮捕された。保護観察中の出来事だったそうである。ある民放で、夫がすごい声で怒鳴って彼の奥さんがヒーヒーゴメンなさい 助けて助けてと言う声が外まで聞こえたので、これは家庭内暴力だととっさに判断した近所の人が警察に通報したそうだ。 警察が現場に踏み込んだところ、その夫婦の両人から「余計なことしないで・・」「プライバシー・・・・・」と厳しく糾弾され、警察官はあっけに取られていたそうだ。 人間多種多様であり、そのような趣味、価値観?を夫婦同士が持っておれば、他人の介入はまさに余計なお世話なのである。 話はシモネタに近い内容かもしれないが、プライバシー、コンプライアンスの観点から推すと、まさに余計なことである。 この世の中はなかなか難しい・・・・・・
それにしても当の「ご主人様」結構イケメンっぽく中学生の頃は王子様などと呼ばれていた馬鹿な
一人息子だったそうである。 よく分からないなあ・・・・・・・

往年の名投手「池永正明」さんについて

2005-05-12 21:35:09 | Weblog
昨日のテレビや本日の新聞などで話題になっている、元プロ野球西鉄ライオンズの池永正明さんは、私の出身山口県豊北町の出身です。 神玉という漁村出生まれ育ち、シモショー(下関商業)のエースとして春夏の甲子園で大活躍し、西鉄ライオンズに入団、黒い霧事件(八百長試合)でプロ野球を35年間永久追放されていた。本年永久追放が解かれ、始球式などに出ていました。同い年で、私も小学校から野球をやっており、昭和34年の夏に豊北町小学校野球大会が7校の対抗で行われた。すごく大きな体格で剛速球の彼のピッチングを今でも覚えている。 余談であるがたまたま、彼の学校である神玉小学校と私の田耕小学校が対戦し、結果は推して知るべしではあるが、彼から「ランニングホームラン」を打ったのは私しか知らない事実である。地元の高校のグランドが会場であったので、ライト方向はフリーというローカルルールがあって、たまたま彼の投げた剛速球を、目をつぶってバットを振ったのが当たりライト前に転がり、ライトがトンネルしてしまったのである。 監督が走れ走れと言うので走ったら運良く「ランニング・・・」と相成ったわけである。 それにしても小学校6年生当時でも体格は完全に大人状態であった。58歳になった彼の顔には苦労の年輪のシワが彼の苦労を物語っている。 彼の今後を期待したい。