平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

今年最後の更新

2010-12-30 06:43:26 | Weblog
2010年も静かに暮れようとしている。朝のテレビで「耳をすませばあの人の声が聞こえる」という番組を再放送していた。初代若乃花と作詞家星野哲郎さんを特集していた。昭和30年代といえば私は9歳、テレビも電気店に1台あるかないか、あっても白黒テレビは雨のようにザラザラ画面だった。それでもテレビは珍しく、台風の日でも蛇の目傘をさし、長靴を履いてテレビを見に行ったものだ。野球では巨人の川上哲治、相撲は若乃花、ご飯は朝昼晩ほとんど麦飯と味噌汁と漬物・・・。当時の農家の食生活はどこもそんなものだったので別に不満もなかった。日本人のほとんどが戦争~終戦後の塗炭の苦しみを味わい、その後の復興に夢を抱いていた頃なので誰も不平不満も言わず、懸命に健気に努力した時期であったのだろう。 そんな約50年前のことを思い出しながら現実を見ると、なんと裕福な時代になったのだろうと驚かざるを得ない。飽食の現代は裕福かもしれないが「(心の)豊か」さは感じられない。来年こそ少しはましな世の中になってほしいものである。 若乃花の土俵人生の画像を観ながらそう思った。

亡年クラス会

2010-12-28 10:31:35 | Weblog
27日は夕刻からの海自亡年クラス会のため勤務を休む。関東地方はお天気に恵まれポカポカ陽気だった。午前中は早野霊園に眠る亡義姉と多摩境にある自衛隊同期のY君の墓参。Y君は亡くなる1年前に奥様に先立たれ、それを追いかけるように突然倒れ、既に7回忌が済んだとのこと。同じ釜の飯を食い、カッターを漕ぎ、走り・・私のリタイアでは同じ職場で見送ってもらい気のあった同期だった。6時からは原宿にて11名参加のクラス会に参加した。いつもの健康、年金やシニアライフの過ごし方等々話は尽きない。帰宅は12時少し前だった。

高校餅つき同窓会

2010-12-12 06:55:37 | Weblog
今年もおおかたのメンバーが集まり、九州や山口に転居したかっての同級生仲間が参加し、久し振りの大所帯での餅つき同窓会ができた。15kgの餅を洗い、蒸し、石臼でつきお餅を作る。気のおけない同級生同士の会話に今年も1年健康出会ったことを感謝する。確か平成6年ごろから集まり始め翌年から毎年末の恒例なので16回くらいになるだろう。当初からの写真を貼り付けているので移り変わりや思い出などにも話がはずむ。「いつ頃まで餅がつけるかの~?」とか、「いつまで続くかの~?」・・・・一抹の不安もあるものの、今年1年の健康に感謝しつつ来年の再会を約し楽しいひと時を過ごした。毎年場所や餅つきセットを提供してくれるI君に感謝感謝・・。