平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

昭和の日《全日本柔道選手権大会》

2014-04-30 07:02:55 | Weblog
昨日は国民の祝日《昭和の日》だった。新聞やテレビ番組でも、昭和の日を特別に取り上げた報道は見当たらなかった。今朝のテレビで街頭インタヴューしていたが、《昭和の日》と答えた人は少なかった。私は勤務明け、毎年昭和の日に開催される《全日本柔道選手権大会》を観戦に行った。2階自由席は1,500円でなんと15年前の金額と同じだった。観客席は所々に空きがあり、昨今の柔道不祥事が影響していることとスターが殆どいないのが原因なのではと感じた。この大会は日本人だけの体重無差別なので巨漢と小柄軽量な選手が対戦することもあり、判官びいきというか、小柄な選手が技のキレで一本勝ちすると館内が湧き上がっていた。感想としては全般的に双方自護体での退屈な試合が少なかった。若い選手が多くブラジル〰東京オリンピックで彼らが日本のために大いに活躍してほしいと思った。私は2回戦までは現場で観戦し、休憩を利用し急いで帰宅、16時からはテレビで一杯やりながら観戦した。結果は東海大学学生21歳の王子谷選手が上川を下し初優勝した。七戸というハーフの選手にも優勝してほしかったが準決勝で敗れた。【写真は試合に関係なし、yahooから拝借】

BLOGが今日で満9年

2014-04-29 06:20:13 | Weblog
9年前の今日、すなわち2005年4月29日、私の所属しているKSN(川崎シニアネット)というシニアのインターネットサークルを立ち上げられたWさんから、BLOGを進められ、気のむくまま、思いついたまま、気負わずをモットーに書き始めた。タイトルの《平成版徒然草》も思い付きだったが、パソコンで検索すると、数名の方が同じタイトルでブログを作られている。今では気に入っている。9年間を振り返ってみると、どうしても内容的に偏りがちであり、少しお堅い感じがしないでもない。それも含めて、あまり気負わず、平成の世を《つれづれなるままに》継続していきたいと思っている。大した内容ではないがブログ(web log)という性質から、個人の日記帳として続けていきたい。あと何年続けることができるやら・・・・・。今日は日本武道館での全日本柔道選手権大会が行われるので勤務明けに直行する予定である。【今回写真なし】

やはり思い出す(入隊記念日)

2014-04-27 15:09:41 | Weblog
昭和40年の今日は高校卒業後、陸上自衛隊に入隊した記念日だ。あれから半世紀が過ぎたことになる。民放テレビで婦人自衛官教育隊のドキュメントを放映していたのをたまたま観たが、当時は婦人自衛官は陸上自衛隊看護学生のみであった。現在は海上自衛隊だけでも2,400名が部隊で活躍しているとのこと。我々の時代は、アンポハンタイ、アンポハンタイ・・と大勢の大学生が叫びながら暴徒化しながら、国会周辺をデモ行動し、自衛隊の機材損壊やミサイル基地建設反対などで長沼事件、恵庭事件が問題化されていた。勿論沖縄はまだ米軍施政下で渡航にはビザが必要な時代だった。当時は冷戦真っ只中で、ソ連の北海道上陸を想定していたので大部分の人・物は北海道に配置された。今の尖閣や竹島等離島奪還などは想定外であり、完全に米国の核の傘下に入り、日本人は経済発展、幸福追求のみに努力すればよかった。ある意味ではその時代のほうが安定していたのかもしれない。半世紀経過の今日は、東西冷戦構造は崩壊し、米国も世界の警察官としての力も弱まり、先の見えない不透明かつ、ゆすり、たかり、暴走が危惧され近隣諸国のこと、少子高齢化、デフレ、TPPなど不安定要素が多く住みにくくなっているのではないかと思う。【写真は18歳当時の私】

ゆすり、たかりの中国・パクリの韓国、論外の北朝鮮

2014-04-25 21:40:07 | Weblog
23日〰25日まで米国オバマ大統領が国賓として日本を訪問した。この間の隣国では、中国は日本の商船三井に対し、戦前の傭船に関する賠償として、40億円の支払い命令、差し押さえ(出港停止)により、それに商船三井が屈し、供託金として支払いに応じ、一方の韓国では客船の海難事故で国内は政府の対応のまずさで大わらわ、北朝鮮は核実験の兆候とてんやわんやの大騒ぎ。日米の交渉は防衛・安全保障関係では一応のコンセンサスは日本側の満足できるものであったが、TPP交渉に至っては全く進展せず終わった。米国としては何もかも日本の満足できる結果で終わるはずがないし、TPPは日本に譲歩を要求していることがうかがえる。約70年前の日米交渉も内容的には異なるが、日本の対中政策や傀儡政権の満州帝国、軍事バランスの意見のくい違いによる決裂により、最終的には米国による禁油政策等々によりジリ貧状態となった日本の暴発行為に出ざるを得ない結果に終わった。 そのようにならないことを願っているのだが、隣国の姑息な外交では、ゆすり、たかりが横行し、それを受け入れればずっと次世代までもおかしな理由をつけ繰り返すことだろう。自称「一級国」という中国や韓国は国際的には三流国、北朝鮮に至っては国として体をなしていないのではと思う。商船三井の支払い行為は《金が全て》の日本の醜態をさらしたようなものだ。 

韓国客船沈没≪続≫

2014-04-19 19:18:02 | Weblog
写真は韓国客船セウオル号の膨張式いかだを撮ったものである。 このいかだを全て完全作動させ、適切な避難指示、誘導をしたならば、沈没までの時間は相当あったのでもっと救助できたのではないかと思う。それもこれもあとの祭りだ。膨張式いかだについては前号コメント参照。【写真はyahooから拝借】

韓国客船(セウオル)号の海難(沈没)

2014-04-18 20:18:25 | Weblog
一昨日16日の午前9時頃韓国の珍島(チンド)付近で、修学旅行生などを乗せた韓国客船セウオル号(約7,000t)が左舷に大きく傾斜し沈没する海難事故が発生した。原因などは種々報道されているが、最新の報道では経験の浅い当直士官(船長の指揮下の直接操船に当たる士官)の極端な右転指示と、改装による船体構造上の欠陥(復元性能の低下)が原因だと報じられている。現場海域は潮流も速く、悪天候のため救助活動は遅々としてはかどっていない。今夕船体はほぼ全没状態であり、付近海面には韓国官民の船舶が右往左往している。まだ左舷に横転していた時点での様子をみると、救命いかだは殆ど作動しておらず、報道でもいかだは殆ど作動していなかった。いかだは突発的な海難事故のため、手動で作動させなくても、水面下2m程度いかだが沈むと水圧で自動的に離脱、膨張、いかだとなるよう作られており、定期的な検査を義務づけられている。日本は自動車は故障しなくても定期的な車検を義務付けられているし、その他の建築、消防等々あらゆる面で厳しい規制があり、減災に功を奏している。はたして韓国はどうであろうか? 船舶の改造での復元性能の基準や船舶設備の基準及び定期的な検査などは日本と同じく実施されているのだろうかと感じた。安全よりも営利を優先し800t(約120名の乗客の増員)を船上に行えば、復元力は相当弱くなってしまう。軍艦(自衛艦)と民間船は基準には極端に差があるだろうが、軍艦は分かりやすく表現すると、航行中に風波浪などで左、右90度(真横)に傾いてもダルマの起き上がりこぼしのように元の状態に復元する(動的復元力)。また、航海前には必ず《移動物の固縛》を励行している。転覆している客船の周りにコンテナがプカプカ浮いていたのがとても気になった。【写真はyahoo画像から拝借】 

STAP細胞記者会見と理化学研究所の腐敗体質

2014-04-10 08:12:50 | Weblog
世紀の大発見と騒がれた、理化学研究所のリケジョ、小保方晴子氏の記者会見が行われた。 真実は一つしかないし、細胞の検証が実現できれば何らの疑いもないのだが、やはり≪同情を誘う≫浪花節的な内容に終始した。 それにしても会見時のフラッシュとシャッター音の何と騒がしいことか、デジカメの時代なので、同じような画像を何枚も何枚もカシャカシャ、ピカピカと・・・メデイア対応の極めて不愉快な印象を持ったのは私だけではないだろう。 それと発見報道時はリケジョ・リケジョと騒ぎまくり、共同研究者も笑顔で対応していたが、理化学研究所の対応は、調査記者会見も今回も、小保方氏だけを悪者にし、上司や関係先輩教授、理事長等役員≪リケジイの奴ら≫までもが責任をとるような言動が全く見られなかったのには驚いた。自衛隊で勤務した私としては絶対に考えられない対応である。切腹しろとは言わないが、順調な時には出しゃばって出るのに、いざという時には責任を取らない。その腐敗した組織の体質に吐き気さえ覚えた。【写真はYAHOOから】

富士山周辺ドライブ

2014-04-09 07:57:43 | Weblog
昨日はご近所の夫妻と世界自然遺産に認定された≪霊峰富士≫周辺をドライブした。9時に横浜を発ち、東名高速で御殿場ICで一般道へ。ちょうど50年前の昭和40年(18歳当時)7月から9月まで、御殿場市駒門にある第1機甲教育隊で戦車(大型特殊免許)をとるための教育を受けたので、懐かしく正門まで行き、見学をお願いしたがNGだった。無理も言えないので断念する。その後は一般道で陸自富士学校周辺経由、富士山を左回りでドライブする。桜の開花も大部分はまだ蕾か開き始めたくらいだったが、写真の≪日蓮正宗大石寺≫の桜は素晴らしかった。大石寺は詳細は知らないが、創価学会の総本山のお寺(だった?)とのこと。超広大な敷地に荘厳な建物がずらりと並び、おそら国内では1、2を競う施設だと思うが、宗教紛争などで現在は殆ど参詣客はおらず、散策者が数人程度の状態である。それでも環境整備は隅々まで行き届いており何だか不自然さを感じた。帰りに天母の湯(あんものゆ)につかり9時過ぎに帰宅した。終日雲ひとつない霊峰富士を360度から眺めた有意義なドライブだった。

お袋の誕生日

2014-04-06 20:38:11 | Weblog
写真は昭和60年ごろまでの私の実家である。昭和20年22歳で農家の長男の父の所に嫁いだ母も今日で90歳になった。決して健康寿命とは言えない、病院漬けのやや痴呆の進んだ90歳ではあるが、それでも息子としてはありがたい。近所に妹たち二人が嫁いでおり、それぞれの夫(義弟)も理解力があり、結構頻繁に様子見に行ってくれている。お袋が50歳の時、親父が56歳で癌で他界した。酒の飲み過ぎもその要因の一つだったかもしれない。おおらかなさっぱりした親父だったが、亡くなるのもさっぱりとして少し早すぎた。その後の約30年近くは実家の農作業を一人で維持してくれた。そのお袋も寄る年には勝てず、85歳ごろからは老化も痴呆も進んだ。大正、昭和の激動の時代を懸命に生き抜いてきたお袋の生き様は本当に素晴らしいと思う。私たち四人の子供(私が第一子であと3人は妹)が親に迷惑をかけずに、4人目の妹がとうに還暦を過ぎ、元気でいるのだからそれ以上の親孝行はないのではないかと思っている。意識が無くなってもいい、それでも1日でも長く生き抜いてほしいと願っている。

皇居内(乾通り)の花見

2014-04-05 21:11:36 | Weblog
勤務を終え、参宮橋駅〰代々木上原〰二重橋前経由で皇居内乾通りの桜通り抜けに行ってきました。早い時期だからスムーズに行けるかなと思いきや、坂下門までに約2時間、早い時間でもそうなのだ。後に続々と続く人、人、人・・・にびっくりした。お天気も良く、格別の用事もなかったので、ぼ~っと入門までをそぞろ歩く。ようやく入門、坂下門〰乾門は約700mゾロゾロと桜観賞よりも人の頭を見ているようだった。それにしてもこの国の象徴天皇の敷地は広い広い、この造営に当たった太田道灌も凄いし、徳川家康ももっと凄いと石垣やお濠を見ながら感じた。 乾門を出て北の丸公園経由で九段下に移動する。途中の武道館が何かと騒がしいので不思議に思ってみると、専修大学の入学式が行われていた。勉強しているのか、頭は優秀なのかは別として、新入学生がざわざわいて、それを見守る家族とごった返していた。九段下駅近くの食堂でお昼をとり、2時半ごろ帰宅する。待ち時間が多く足腰の鍛錬になった一日だった。