平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

美ヶ原高原に行く

2010-08-19 20:08:44 | Weblog
16日は益富ラジウム温泉に行き、源泉の冷たいラジウム温泉を楽しむ。夕刻塩山のKさん宅に桃の代金を支払いに行く。明日の勤務はお休みを確認していたので、その足で一路美ヶ原高原に向かう。午前3時ごろ、高原に到着し車中にて朝を迎える。下界での猛暑が嘘のようにガタガタ震えてご来光を拝む。何といっても標高2000mだから寒いのも無理はない。その後高原牧場などを散策し、蓼科~草麦峠~松原湖~清里経由で帰宅する。帰宅は休み休みでのドライブであったので朝の2時ごろだった。 全くの思いつき温泉ドライブだった。

靖国神社参拝

2010-08-16 07:39:30 | Weblog
昨日は65年目の終戦記念日だった。朝早く起きシャワーで体を清め九段の靖国神社に参拝した。蝉の声がジャージャー、汗は拭いても拭いても流れるような暑さだった。おそらく65年前の今日もそうだっただろうと素直な気持でお参りした。大鳥居をくぐるとサッと冷たい風が吹いてきた感じがし、霊感を感じた。私の母方のおじさん二人が戦死している。いとこのT君も山口からの研修でたまたま上京しており、数分ではあったが再会し、懐かしい話に花が咲く。この奇遇の再会もおそらくおじさんたちの力が作用したのではと思わざるを得ない。その後、川崎早野の霊園に眠る義姉の墓参、茅ヶ崎市の2年前他界したいとこN君の御焼香をし、残った奥様、お嬢さんたちの元気な姿を拝見し休心する。帰途戸塚のKさん宅に立ち寄り預かり物をお渡しする。帰宅は10時前だった。昨日は極めて中身の濃い一日であった。
政府は総理大臣以下全閣僚が靖国参拝をしなかった。おかしな日本になったものだ。

最近思うこと(世界の裏側と近所のできごとの矛盾)

2010-08-14 04:32:32 | Weblog
通信情報の飛躍的な発達で、地球の裏側での事件事故が発生後数分で全世界に報道される。その反面ひとつ壁を挟んで生活しているお隣りのことは孤独死や殺人など、何があっても殆ど知ることはできず数日後に異常に気付いた近隣の人により事実が判明する。現代の社会の異様な歪んだ一面である。100歳以上の超高齢者の生存や安否、住所不明などの報道もおかしな話であり、その殆どは都市部で生起しているようである。「向こう三軒両隣り」という言葉が懐かしいが、今の時代他人に関与されたくないし、関与したくないという感覚が歪んだ現状を醸し出している。そういう私も年を重ねるごとに余り他人に干渉されたくないという心理になるのである。子供の頃の田舎生活では冠婚葬祭はもちろん、近所の犬、猫、牛の頭数、家族の病気等々隣保同士で共有していたし、いたずらをしたら近所のオヤジがわが子と同じように叱ってくれた。今は朝、同じマンションの住人に挨拶をしても殆どの若いお母さんは返事がない。そのお母さんに育てられているこども達が挨拶をするわけがない。子どもの頃のご近所さん同士の付き合いを懐かしく感じるとともに、これからは必要となるのではないかと思う。(画像なし)

南東北~信州の温泉ドライブ

2010-08-12 17:53:52 | Weblog
先週土曜日から昨日まで「温泉ドライブ」に行ってきた。7日は福島県在住のY先輩のお招きでクラスのK君と友人のM君、家内の四人でお邪魔する。到着後直ちに祝杯開始、夜の花火大会ごろは意識朦朧状態だった。翌8日は塩屋岬~白水阿弥陀堂を見学、昼食後解散、我々は裏磐梯国民宿舎に向かう。夕食は好物の「馬刺」に下鼓しゆっくりくつろぐ。9日は一路奥会津のクラスW君宅に向かい、お昼頃到着し、冷たいそうめんをご馳走になる。その後奥只見経由十日町に抜ける。夜は野沢温泉の「ロッジまるしげ」に泊る。翌10日は温泉卵を作ったり、共同湯(無料)に入ったりし、その後田沢の知人の墓参、お見舞いなどに行き、夕刻斑尾の「ホテルシルクイン斑尾」に津着する。いずれも「トク―」という宿泊手配のサイトで探し安価に宿泊できた。11日は木島平~茅の平~切明~秋山郷~奥志賀高原~草津~渋川に出て、関越道経由、12日午前3時ごろ無事帰宅する。(走行距離:1,000km)
写真は福島県唯一の国宝「白水の阿弥陀堂」である。 持つべきものは健康と時間と少しだけの遊ぶためのお金かな? 

薪能(たきぎのう)観賞

2010-08-02 21:22:18 | Weblog
昨夜、ご近所の奥様の招待で熱海市の小高い山腹にある、MOA美術館広場で「薪能」を観賞した。一度は観てみたいと思っていたが、まさか64歳の誕生日に実現できるとは思わなかった。 能の「高砂」・狂言の「鳴子、遣子」及び能「橋弁慶」が演じられた。江戸期以前の芸術が今日まで伝承されていることに感動し、暮れゆく相模湾と、薪のかがり火、太鼓、小鼓の響き、ワキ、ツレ、シテ・・・の芸に改めて感動した。有意義な記念となる1日であった。婚礼の時に「高砂」が謡われる意味が十分理解できた。当日は義兄別荘に泊り、翌2日横浜に帰宅した。(写真は薪能のパンフを撮影)

今日で64歳

2010-08-01 08:44:38 | Weblog
歳月人を待たずとはよく言ったものだ。今日64歳の誕生日を迎えた。元気に産んでくれた母も既に86歳で老人特有の認知症も時々出ているようであるがそれも無理もないだろう。昨年の9月末で室内での事務業務が主の勤務から一転し、戸外での警備勤務に再再就職し10か月が経過した。案外と耐久力と環境への適応性、順応性が身についているものだと思う。とはいえ何年もするような仕事ではないとも思う。「いつまでもあると思うな親と健康」だ、仲間からは「若い」「若く見える」と言われ、ついついその気になる悪い癖に留意しつつ、悔いのない64歳を過ごしたいと思う。