平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

47年前の今日

2012-04-27 05:35:35 | Weblog
昭和40年4月27日は私が自衛隊に入隊した日である。もう47年も前かと思うと感慨深いものがある。大学受験に失敗した私には浪人は許されなかった。それは父から最初から言われていたのでやむを得なかった。入隊前の約1カ月、これからどんな道を進もうかといろいろ考えた。外航船に忍びこみブラジルに密航し成功してやろうとかその他いろんなことを考えた。数学が好きなわりには物理や化学があまり好きでなく理系の防衛大学は進学担当の先生から、到底無理と言うことだった。前年の秋に海上自衛隊の航空学生の試験も受験し、それも失敗した。そうか、じゃ・・と言うことで陸上自衛隊の一般隊員(2等陸士)として入隊することを決意し地方連絡部に問い合わせし、下関で受験した。当時の自衛隊の募集は規定年齢の日本国籍の健康な男子であれば<誰でも>入隊できるくらいレベルの低いものだった。母は入隊の前日、二人で草取りをしながら私の入隊のことなどを話しながら私の将来を気遣ってくれたのをよく覚えている。山口の教育隊に3カ月、静岡県駒門戦車教育隊に3カ月、赴任地は北海道札幌市の真駒内11特科連隊~11師団司令部~海自幹候(以後定年まで海自勤務)・・・・と37年間の自衛官としての人生が始まった記念すべき日だ。それにしてもいつも思うのだがこの長い自衛官勤務の間、私自身は勿論、部下も(仮想)敵も含め戦闘などで殺し合うことなく、また、東日本大震災のような悲惨な災害派遣等にも遭わず、おおむね何事もなくリタイアできたことに自分の人生に感謝している。その間の多くの上司、先輩に恵まれ、今でもお付き合いさせていただいていることにも有難いと思っている。わが人生悔いなし。人間万事塞翁が馬だ。【写真:昭和40年8月静岡県御殿場市の駒門戦車教育隊当時:なお、戦車は米軍供与のM4シャーマン中型76mm戦車砲搭載定員5人(これで大型特殊免許を取得した)】

母の転院に想う

2012-04-25 21:29:45 | Weblog
明後27日母が近くの老人病院に転院する。今年の正月に失神転倒し、腰の骨を折り手術をし、経過は良好だが、手術した病院から、老人リハビリ病院に転院し、そこも期限付きなので3か所目のリハビリ病院に転院する。妹が近くに嫁いでいるので時々は様子を見に行ってくれる手筈である。完治してもこれまで住んでいた実家での独居生活は自力歩行も出来ない状態なので不可能とのことだった。今私は図書館から【昭和】シリーズ本を拝借し読んでいる。この本は昭和の時代を3年間ごとに当時の新聞記事や写真、市井の一般人、作家、政治家などの日記などにより詳細に記録されている。太平洋戦争(わが国の表現では大東亜戦争と呼称)の前、中、後~復興、繁栄等がとても良く理解できる。案外学校で教える日本史よりもあまり偏りがなく事実をそのまま記しているので、自分で当時を冷静に判断できる貴重な資料と思う。それにしても<青春がなかった>とも思える母たちの世代の青春時代~結婚、子育て時代をしたたかに生きてきたそのバイタリテイには感服するほかない。国策とはいえ、懸命に生きてきた人たちはやはり今の時代の日本人とは【けた】が違うと思った。いつまでも、車椅子でもいい、病院生活でもいい、長生きしてほしい。【今回写真なし】

尖閣列島を東京都が購入

2012-04-25 08:12:00 | Weblog
写真は尖閣列島近海を哨戒中の海上自衛隊対潜哨戒機P3Cである。石原東京都知事が訪米中に尖閣列島は東京都が購入することで地主と本格交渉中であることを公表した。地元も、政府もこの当然のことながらのハプニング発言に目から鱗の様子であった。その後この施策には当然のことながら賛否両論あるようだが、今朝の記事では都にかかった電話やファックスの9割近くの意見が大賛成であるとのことだ。戦後67年を迎えようとし、その間、中国や韓国との国交回復なども経て、戦後の処理は全て両国間の条約で完了しているはずだが、尖閣、竹島周辺には、豊富な海洋資源や海底資源の埋蔵などがあることからにわかに【固有の領土】として主張を強め、それにわが国政府は弱腰なっている。何もしない政府に対する石原都知事の国内外への挑戦は大きな将来の日本のあるべき姿、指針を示す上で極めて効果的な一投であったと思う。もう、土下座外交は真っ平ごめんである。国民世論も戦後の反日、自虐教育から脱皮し、目覚めなければならない。

【豊浦郡】という地名

2012-04-21 13:12:43 | Weblog
写真は図説【日本の歴史】の中の<山口県の歴史>から拝借したものである。私の実家は山口県下関市豊北町田耕というところだが、これは平成の大合併で以前の豊浦郡が下関市に合併されたからである。海あり山ありの風光明媚な山陰の郷里はいつ帰ってもほっとするところだ。写真左に豊浦郡に関する『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』の一部が記載されているが、今から約1300年前から、豊浦郡という地名、またいまにも残る田部、室津、日内、神田等の郷名が記されていることに深い興味を持った。今回の東日本大震災でも双葉町が津波で大被害う受けたが、地名にはそれが大きな意味を含んでいるとテレビで報道していた。大合併などで古い地名が単純に1区2区あるいは1丁目、2丁目と機械的に変更されるのは行政上は便利かもしれないがなんとなく味気ない気がするのである。郷里も少子高齢化で中学生当時の学校も廃校になり、高校の存在も危ぶまれている。どうにかしたいがどうにもならないのが現実なのだろうか。豊浦郡という地名に山陰地方の<豊かな浦>を意味し、古い歴史があることを再認識した。

【問責決議】参議院可決

2012-04-20 20:13:16 | Weblog
当然のことながら、本日の参議院で、前田国交大臣と田中防衛大臣の【問責決議】が可決した。野田総理は問責決議は強制力はないと言う理由で両大臣を更迭せず、続投する方針である。なんとしあわせな日本であろうか。国交大臣にしても、不始末は部下に押し付け、反省とこれからの努力で対応するとの主張、防衛大臣は「全身全霊で職務に精励する」とのこと。一体全体、この国の将来を任せている政治家どもの、【もの事の考え方】は絶対に間違っている。常識、非常識の国々では、抹殺(処刑)されてもおかしくない重大な責任であるのに、まるで他人事のような発言なのだ。資質に欠ける人物が、全身全霊・・・とのたまわってもどうしようもないことなのだ。何故か、野田総理にしても、藤村官房長官にしろ、両大臣にしろ【言い訳】の言動が多すぎるのだ。 私の初任幹部当時、【でも・・】などと言おうものなら、艦長、上司などに思い切り怒られたものだ。そのせいか、海自勤務全期間を通じ、【言い訳】をした記憶はないし、自分で腹をくくることも何度かあった。それでも今回顧しても全く悔いはない。国交大臣の公選法違反疑義は直接感ずるところはないが、元自衛官としての田中防衛大臣の、うつろな目やしどろもどろの答弁、唖然とする答弁内容、お笑い芸人が脱帽するくらいのお笑い大臣なのであり、デメリットは甚大である。諸外国にメリットがあるよう総理は【命をかけて】続投するのだろうか? また今夜も義憤に燃え過ぎてしまった。 なんと馬鹿過ぎる大臣よなあ・・・ 

外国人の介護福祉士試験

2012-04-15 21:16:07 | Weblog
写真は4月15日の読売新聞こども新聞版の【外国人の介護福祉士】のまんがである。私のブログは自分でも認識できるほど、国とか国防に偏っていると思う。今日の投稿もややそれに近いかもしれない。後期高齢者が多くなってきた日本に、外国人、特にインドネシアやフィリピンからの有能な人々が来日し、難しい資格試験に挑戦している。看護師も同じようである。わが国は3Kに代表する職業には高学歴、少子化の影響もあってか、あえてそのような職種を希望する者は少ない。バブル絶頂期の我が国はにわか成金などが東南アジア方面に格安で旅行に行き楽しんだり、風俗営業の女性を【ジャパゆきさん】として不法入国ー就労させ、大いに日本人としての品格を失墜させたものである。現在の勤務で知り合った某氏は、父は日本陸軍の元軍人で戦後、現地に残りインドネシアの独立に貢献した人で、母は現地人の女性とのことだった。小学校くらいから日本での生活をしたようで日本語、インドネシア語、英語には全く問題ない人物である。その彼が現在でも日本人としての誇りを持ち、現地の人達が大変親日的であることを話していた。インドにせよ、その他の東南アジア諸国は日本の敗戦後殆ど独立したが、各国の独立は個々の国独自ではなしえなかったことだろう。インドネシアでは約千人近くの旧日本兵が独立戦争に協力というよりもむしろ作戦指導、武器供与等により貢献している。現在に目を向けると、戦後賠償などを外交の切符にし、日本の正常化阻止するため、外交・政治・経済・報道等あらゆる分野に浸食している近くて遠い国が存在することに気がつく。もう少し日本人は日本人としての誇り(矜持)を持ち、自信を持って前進したいものだ。東南アジア諸国や台湾などは今でも年老いた人々は日本語を誇らしげに話すし、当時を懐かしみ、日本人を尊敬しているのだ。蛇足ながら、介護などでの来日している外国人の教養レベルは日本人が蔑むほどのレベルではなく、相当レベルの高い人たちで、その国の両親たちは彼らに日本人の素晴らしさや感謝の気持ちなどを子供のころから教え込んでいるそうだ。大量の外国人雇用は日本人の職業を浸食するだろうが、能力ある外国人は受け入れるべきだと思う。

久し振りの【ブリッジ】参加

2012-04-11 21:37:32 | Weblog
今日はお天気も悪く仕事もお休みにして、久し振りに【ブリッジ:コントラクトブリッジ】を楽しんだ。私が一番の若者?で全てお兄さん、お姉さんばかりの会である。ブリッジは以前少し話題にあげたと記憶しているが<7並べ>や<ババ抜き>とはレベルが異なり、相当頭を使うゲームである。事前のすり合わせが肝要で、会話の通じないブリッジはあまり魅力を感じない。私が数年振り、今回の会でも半年以上なので多分にも迷惑をおかけしたと深く反省している。それほど知力を要するあそびなのだ。それでもお兄さん、お姉さんは寛容で楽しく数時間を過ごすことができた。感謝感謝である。【今回写真なし】反省会でも私のストッパーは効かず失礼の数々深く反省している。 終り 

南海トラフ大地震と津波対策

2012-04-10 09:11:49 | Weblog
最近マスコミは東南海大地震の発生などでの大津波の脅威を大々的に報道している。写真の高知県黒潮町は南海トラフ大地震により最大34m近くの津波が予想されると報じている。殆どが平地で海に面し、高台といっても20m程度しかないという。政府や自治体などは、津波避難タワーの建設や地下シェルターなどの建設構想もあるようだ。今回の東日本大地震での被害者は想定以上の高い津波によるものだった。その後もかなり大きな地震なども感じているが、高齢者や子供たち、病人などの災害弱者には「高台に避難しろ!」と声高に言ってもそう簡単には避難できず、避難路も混雑し、パニック状態になるのは目に見えている。地震列島に住む日本人の助かる手段としては、避難カプセル(仮称)が最も有効的ではないかと思う。耐震、耐水、当面(約1週間程度)の食料等、最低限の生活必需品等を装備したカプセルに家族数+α、概ね5~6人程度が入り、津波に備える。そのカプセルは戸建てであれば2階部分に現状に違和感を覚えない形状とする。そのような避難カプセルを各戸に義務付けることにより、高台への避難の必要性がなくなるのだ。現在でも避難カプセルは高価で販売しているようだが、球形いかにも「カプセル」という形状である。船舶には遭難時に、本船が浸水、沈没の恐れが生じた時に、水深2mくらい(不確か)なれば、救難いかだ(ボート)が自動的に離脱、海面に浮上する装置が義務付けられている。迫りくる津波の脅威への対処は、陸上家屋にもそれに類似した【避難カプセル】を常備すればいいと思うのだが。

空自次期主力戦闘機 Fー35

2012-04-10 07:10:42 | Weblog
ロッキードマーチン社は先月航空自衛隊の次期主力として決定しているFー35【写真】の垂直着陸に成功したと発表した。この戦闘機はステルス性能(レーダー探知されにくい)はもちろんであるが、速度、攻撃性能にも優れ、従来型離発着、垂直離発着なども可能の戦闘機である。四面海に囲まれ、平野部の少ない日本の地形や、航空母艦など攻撃型の艦船の建造は法制上禁止されているが、艦船からも離発着可能であるF-35を艦船に搭載することにより機動運用すればわが国の効率的な防衛に寄与しうるのではないだろうか。【写真はyahooから拝借】 

能舞い(はごろも)

2012-04-08 04:32:34 | Weblog
昨日午後、近所のOさん奥様と3人で中山駅近くの【なごみ亭】での能舞いを見学に行った。庭の桜の古木は満開の桜で歓迎してくれた。天候は時折の小雨と肌寒かったが、約20分の能舞いはあわただしく、喧騒な現世を忘れさせるような幽玄の世界であった。いにしえの人々は自然に逆らわず、怖れを抱き、崇敬し、己の短い一生を自分で認めながら終えて行ったのだろう。中国の雑技団や西欧の民族舞踊を観てもこのような心を和ませる舞いにはかなわないだろうと思った。喧騒な時代を過ごしているせいか、現実は寒いし、同じような能の曲と、動きの少ない舞いにやや退屈を感じてしまい、ウトウトっとしたが、周りの人は気がついたかな?それとも瞑想の境地と思ったかな? 観賞も難しい・・・。