今の平和な時代に「海軍記念日」といってもピンと来ないだろう。 東郷平八郎連合艦隊司令長官率いる日本海軍とロシアのバルチック艦隊が日本海の対馬周辺海域で戦い日本海軍が圧勝した日である。 幹部候補生当時にはこの日のカッター競技のため各分隊が猛訓練をした。 競技本番よりも事前の訓練のほうがきつかった。体格のいい、パワーのありそうな者は原動力で一番低い座席で、まるで奴隷だ。それでも我々は頭より体に自信があったので、体育競技の殆どは優勝していた。お陰で現役の「将官」(海将、海将補)は一人もいなかった。 昔々の苦しく、楽しかった思い出である。(写真は幹部候補生学校の「カッター競技」)
ご近所の知人夫妻のご心配で、金曜日休み、金土日、長野県茅野市の蓼科「XIV蓼科」に連泊する。 宿場町の奈良井宿、開田高原、御嶽山、諏訪大社(秋宮)などをゆっくりと散策した。 お天気にも恵まれ義兄夫婦のことを一切忘れての愉しい旅であった。
毎年知人ご夫妻から声がかかり、ご自宅の素晴らしい藤棚を鑑賞しながら一杯やるイベントに参加した。 毎年ご主人の勤務先の社員10名近くが参加されているが、準備や後片付けなど大変なのにいつも頭が下がります。
ここ数日は義兄夫婦の相次いでの大病発症の対応に振り回され、土日、連休は殆どそちらに費やした。 若い頃大変御世話になった義兄夫婦なのでそれも当然だろう。 義姉は発症から既に35日以上が経過したが、依然として意識不明、昏睡状態が継続している。 義兄は2日に熱海の義姉と同じ病院に転院したので少しは楽になった。 それにしても1ヶ月以上昏睡状態が続き病院に行って触っても、つねっても全く反応がないのがとても寂しい。 医師からの話では義兄の発症から手術、手術成功~転院はまさに奇跡的だとのことだった。 義姉は2日に約9時間かけ良くするための手術ではなく、「悪くならないようにするため」の手術をし、水頭症が併発し顔や体全体に相当むくみが出ている。 触れば少しでも反応してくれるならば見舞いのし甲斐があるというものだ。 本当に、生きることは難しい。