平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

今月も今日で終わり(同期の他界)

2012-03-31 07:12:27 | Weblog
今日で3月も終りだ。月日の経つのを本当に早く感じる。年を重ねると経過が加速度を増すそうだ。それにしても、今月もどこの不調もなく元気に仕事が出来た事に感謝しなければならない。お袋もリハビリ病院に転院し入院継続中であるが予期しない寒暖があるのでしばらくはこのままの状態がいいだろう。過日クラスのIW君が他界した。今日が告別式である。40数年前、同じ分隊で江田島の1年を過ごしたが防大出身の彼は多くのクラスメートを率い、意気旺盛だったが、余りにも早い死だった。【今回写真なし】

橋下塾に思う

2012-03-26 21:29:06 | Weblog
いっこうに進展しないこの国の行方を不安、不満といら立ちと感じつつ、橋下塾がクローズアップされている。気持は理解できるし、手段は全く異なるが、まさに「平成のヒットラー」としか思えない。日本人の特性として「付和雷同」というか個々の確たる思想なり考え方なりを持たない、持つことができない・・・・そのような民族なのである。 メデイアは国民には執拗に【政府支持率】などを刷り込んでいる。大方の日本人は、だから何なの?とは思わないであろう。 そんなに支持率(=多数決の発想に近い)が約70年前に日本を破滅に追い込んだんことを忘れたのだろうか?陸軍の東条英機、海軍の山本五十六等当時の帝国陸海軍の首脳レベルの人物は、当時の情勢、すなわち米英蘭(中国は抗日)からの対日政策によるエネルギーのじり貧、枯渇政策にまんまとはまり、そのような国々を相手の戦争には勝てはずがないと思っていたが、付和雷同の国民は「鬼畜米英、何するものぞ・いざ鎌倉の時に腰ぬけ帝国陸海軍・・・」という圧倒的な国民の指示でやむなく戦争に突入せざるを得なかった。結果は歴史が証明した。わたしは最近ずっと、都筑区の図書館で借りている【昭和2万日の報道】:(昭和元年~戦後復興までの報道)興味深く読んでいる。話はそれたが、橋下塾に付和雷同しないよう危惧するのである。それにしても情けない国状に義憤の念は燃え盛るのは私だけであろうか? 

東日本大震災から1年に想う

2012-03-12 04:49:49 | Weblog
昨年3.11の午後の勤務中に目まいかな?と思うほどの強い揺れと衝撃があり、後刻それが東日本を襲った大地震であることが分かった。あれから早くも1年が過ぎた。マスコミは大震災に焦点を合わせ当時の模様や復興作業の進捗等を報道している。数日前のフジテレビで、自衛隊の特集を組み、隊員の災害派遣現場での生々しい様子などを報道していた。実態はそれ以上苛酷、残酷であっただろうと推察する。私も38年間自衛官として勤務したが幸か不幸かこのような大規模な災害派遣の経験はなかった。テレビを観ながら「果たして私が○○隊員の立場だったら、これほどの行動が躊躇なくできるだろうか」○○の中には実際に行方不明の捜索に当たる隊員、それを指揮する現場指揮官或いはもっと上位の連隊長、師団長レベルの高級幹部等々・・・。そんなことなどを自問自答しながらテレビを観た。一昨日の新聞で、国民の自衛隊に関するアンケート結果があったが回答者の9割以上が自衛隊の必要性を指示している。それは当然のことだろう。恥ずかしながら自衛官現役当時私は事故などでの死体も遺体も見たことがないのだが、今回被災現場は言葉には表せない惨状だったようだ。その中に自衛官たちは黙々と不明者の捜索、被災者の救助、支援・遺体の収容等を黙々と遂行してきたのだ。風呂にもまともに入らず(入れず)、冷たい缶詰飯を急いでほおばり、未経験の行動作業など、全てに自分を捨て、全ては被災者のためという崇高、素直な気持がそうさせたのだろう。私も今さらではあるが、何かできることがあればお手伝いしたいと思う気持ちでいっぱいだった。【写真:防衛省写真から拝借】

マンション大修理

2012-03-08 18:40:08 | Weblog
先月中旬ごろからマンション(3棟)の大規模修理が始まった。最初は作業員さんの詰所や事務所などの作業であったが、先週からは本格的な修理関連の作業に取り掛かっている。写真は隣のマンションの外壁足場組作業である。目もくらむような高所で平然と作業をしている鳶さんたちには驚く。それも何度目をこすってみても、作業員はみんな命綱は携行しているし、命綱をかける索は張ってあるものの、肝心な【命綱】を付けての作業をしていない。「バカヤロー そんなトロトロと命綱を付けての作業なんかできるかい!」というところであろうが、そんなところに案外落とし穴があるものだ。事故の99%はヒューマンエラーなのだから、ひょっとつまづいたらどうなるの?と思いながら作業の無事を祈った。<磯までは、海女も蓑着る、時雨かな>とは、安全に関してもなかなか含蓄のある俳句であると思う。