昭和の偉大な俳優、高倉健が83歳で他界した。たしか私が高校時代からずっと、東映の主として、やくざ映画の看板俳優で、男気の強い、カッコいい俳優だった。映画を観終わった若者の映画館から出たときの歩き方が映像に影響され、高倉健モードになっていたような記憶が私自身にもある。高倉健本人も極めて律儀な生涯を送ったようで、NHK・民放そろって数日にわたり追悼映画や特別番組を行っている。このブログで《今》と記したのは、今の若者全てとは言わないが、オレオレ詐欺や、動機に理解に苦しむ犯罪が多発していることだ。老人や少女、子供たち、すなわち犯罪弱者を、手玉にとり相手を騙し、暴力や甘い言葉で強引に我欲を満たす。私たちが育った半世紀前までの日本は、皆無とは言わないが、そのような犯罪はありえなかったと思う。いつからそんな日本になってしまったのか・・・。それを覚醒してくれるのはやはり、高倉健という名優なのだろう。私生活においても江利チエミとの離婚後の女性関係など、微塵も問題にならなかったのも日本全体、否、世界的にも、彼を賞賛し、死を悲しみ悼む理由であると思う。昭和の名俳優のご冥福を祈る。【写真はyahoo写真から拝借】
産経新聞社出版 元海自幹部 恵 隆之介著《海の武士道:Bushido over the Sea》については、2008年12月13日付のBLOGに投稿しているが、今回の帰省で、きしくも郷土のO電気店社長、O・M氏を知ることとなり、同氏が非常に関心を持っておられることに驚いた。O氏は、大日本帝国海軍の駆逐艦《雷:いかづち》の艦長以下乗員が戦時下、撃沈された敵の大英帝国海軍重巡洋艦《エクゼター》及び駆逐艦《エンカウンター》の漂流している乗員を救助した経緯は全てご存じであった。O氏は郷土の将来やこどもの教育などを大変危惧されておられた。その他の種々雑多な話題にも通じるところが多く意気投合し、帰省期間中にも何度かお話しをすることができた。元来山口県(長州)は保守的なお国ではあるが、中央からはるか遠くの郷土にも将来のあるべき姿、あるべき方向を案じ、真剣に取り組んでおられる人がいたことに感動した次第である。来春の帰省時の4月には、郷里の中学校で講話を依頼されている。生徒たちにどのような内容で話すか、これから準備をしなくてはならない。
お試し帰省を終え、ようやく熱海まで戻りパソコンを接続することができたので久しぶりに更新する。今回の帰省は10月4日横浜を発ち、当初は11月一杯までを予定していたが、甥の岡山での婚儀があったので、その足で横浜に戻ることに変更した。約40日間の帰省であったが実に収穫の大きいものだった。家の周辺の環境整備・海自同期生の来訪、再会・小中高同級生との再会・地区の祭礼に参加、漁港の朝競り、老舗でのフグ料理・・・と数え上げればキリがないくらいだ。母も想像していたよりも元気で、話のシナリオは筋が通ってはいないが、見舞いに行くたびに両手を合わせて感謝の気持ちを表していた。期間中の残念だったことは、関東地区の同級生A君が他界したという知らせだった。同じ海上自衛隊という道を選び、毎年末には元気に餅つき同窓会に参加していたがもう二度と会えないとなると寂しくなる。現在熱海の義兄別荘で4連泊し、体調を整え、本日午後横浜の自宅に戻る予定。次回の帰省は来春になるが、それまで母も元気でいてほしいと思う。【写真は環境整備なった実家】