20日政府は救済対象を線引きし、全員対象を求めていた原告団の要求を拒否した。マスコミの評論は政府決断を何故分かってやれないのかと原告団に肩入れ報道してる。なんでもかんでもYESすれば和解できるであろうし、原告団は「賠償金額の問題ではない」と泣きじゃくっていた(お金の問題じゃないということはないだろう、なぜなら今の時代は誠意=お金なんだから)。福田総理も桝添厚労大臣も苦渋の決断ではあろうが私個人としては評価したい。どんなことでも賠償要求すると言うのであれば、昭和20年の各地への空襲で家族、財産を失った者等々、掘り起こせばいくらでもある。戦後の子どもの頃のな~んにもなくて、みんなビンボ~だった頃がとても懐かしい思いがするのは私だけだろうか?
ハワイ沖で日本時間の本日早朝、海自イージス艦 「こんごう」が弾道ミサイル迎撃に実験成功したとテレビや新聞で報道している。ノドンやテポドンを想定し、発射後大気圏外にある目標を撃墜する実験でそのもの自体は一歩前進したと言えるだろうし、喜ぶべきだろう。 だが私は少し違うのである。 この実験は全て目標認識をしている。認識とはミサイルの性能・諸元・発射時期などを全て把握してからの実験であり不認識(私なりの表現)とは不意打ち、何を目標に、単数ではなく複数での目標撃墜を達成するためにはおそらく天文学的な費用を必要とするだろう。
決して不可能かと言えば不可能ではないがそのような平成の万里の長城もどきの防衛構築をするのが最良の防衛策とは思えないのである。イージス艦が現在4隻在籍したとしても1隻修理、常時実戦に備えるためには今の10倍保有しても不足である。 そのための外交なのであるが、今の日本外交は誰が外務大臣なのか分からないほどコロコロと代わり誠に情けない。 昭和40年4月に2等陸士で陸上自衛隊に入隊し半年経った頃、私は戦車の教育隊で訓練していた。ある時、上司に「大きな大砲も轟音立てて走る戦車もカッコいいけど、この大砲、戦車はいつ、どこで、どのように使うのですか?」(恐らく海外に行かない自衛隊は国内で戦車や大砲を撃つことはないだろうことを確信して) そう質問したら、上司は「君達(新兵)のレベルではそんなことを考えなくてもヨロシ~イッ まじめに戦車の操縦法を訓練シロ~ッ」と一喝された。 それもそうだと思いながらそんなことは忘れていた。だが、いつの間にか当時の戦前同様の師団編成は旅団編成(規模の縮小、統廃合)、野戦訓練は市街戦訓練を含めるようになっている。数年後、数十年後の防衛構想をよくよく研究しないとまさに税金の無駄遣いと批判されても当然である。 日本の防衛副大臣は嬉々として成功を喜び、米国の前国防次官補フィリップコイル氏は今回の「おぜんだてミサイル迎撃実験成功」に冷ややかな評価をしているのが滑稽に思われる。
決して不可能かと言えば不可能ではないがそのような平成の万里の長城もどきの防衛構築をするのが最良の防衛策とは思えないのである。イージス艦が現在4隻在籍したとしても1隻修理、常時実戦に備えるためには今の10倍保有しても不足である。 そのための外交なのであるが、今の日本外交は誰が外務大臣なのか分からないほどコロコロと代わり誠に情けない。 昭和40年4月に2等陸士で陸上自衛隊に入隊し半年経った頃、私は戦車の教育隊で訓練していた。ある時、上司に「大きな大砲も轟音立てて走る戦車もカッコいいけど、この大砲、戦車はいつ、どこで、どのように使うのですか?」(恐らく海外に行かない自衛隊は国内で戦車や大砲を撃つことはないだろうことを確信して) そう質問したら、上司は「君達(新兵)のレベルではそんなことを考えなくてもヨロシ~イッ まじめに戦車の操縦法を訓練シロ~ッ」と一喝された。 それもそうだと思いながらそんなことは忘れていた。だが、いつの間にか当時の戦前同様の師団編成は旅団編成(規模の縮小、統廃合)、野戦訓練は市街戦訓練を含めるようになっている。数年後、数十年後の防衛構想をよくよく研究しないとまさに税金の無駄遣いと批判されても当然である。 日本の防衛副大臣は嬉々として成功を喜び、米国の前国防次官補フィリップコイル氏は今回の「おぜんだてミサイル迎撃実験成功」に冷ややかな評価をしているのが滑稽に思われる。
昨日品川で高校餅つきクラス会をやり11名の同級生が集まった。山口県の田舎の高校を昭和40年に卒業し、現在関東に在住している同級生である。クラスのI君宅に石臼や餅つき一式が揃っており平成5年ごろから毎年12月はじめに行っている。前日からもち米をとぎ、水にかしてくれたI君に感謝である。餅つきも順調に終始しその後の歓談がまた楽しい。終戦翌年の昭和21年~22年に生まれ、還暦を過ぎた面々の話にはそれぞれ含蓄がある。 きしくも66年前の昨日は太平洋戦争が始まり「真珠湾奇襲」の記念すべき日である。みんなの話題こそ上らなかったが当時のことを想像しつつ、現在まで62年間続いた戦いのない平和な時間(とき)の流れに感謝した一日だった。
前事務次官と夫人の贈賄逮捕以後の出るわ出るわの贈賄行為に怒りがこみ上げてくる。防衛庁ー省の超エリートであり、4年以上事実上の頂点で君臨し、その醜態があからさまになってくるほど、一体全体、人間の良識微塵にも感じられない。我々の感想はあくまでマスコミ報道でしか入手できないが、そんな自衛隊に38年間も勤務していたのかと思うととても空しい気がしてならない。「李下の冠、瓜田の履(くつ)」と言う諺はわれわれ世代の者は中学か高校時代に教わっているし、守屋前次官ほどの人物であれば当然理解していると思う。崇高な、国を守る仕事を志し55歳でリタイアするまで、反対者からは「税金ドロボー」だと罵倒されながらそれでもコツコツ国民の負託、信頼を築きあげてきたと思っている。民間会社への再就職も決して天下りではなく(若年定年のための就職斡旋はしてもらった)日々懸命に(平社員として)仕事をさせていただいている。でも決して自衛隊にいた頃の「国を守る」という大きな使命感、達成感は絶対に感じ取ることが出来ないのだ。 それほど「国の防衛」に従事する軍人(自衛官)は責務と誇りを持ち、その国の大部分の国民から絶対的に信頼される集団なのだと思う。昭和46年に北・中米方面を「遠洋練習航海」で訪問したが、当時の日本はまだまだ自衛隊への国民の理解は乏しく、カナダ、アメリカなどで海上自衛隊の制服で道路を歩いていると、音の静かな外車がサ~ッと側に止まり「どこへ行くのですか?」と訪ねられ、目的地まで乗せてもらったことが記憶に懐かしい。それほど外国では軍人は尊敬されているのだ。 地に落ちた防衛省ではあるが、まじめに勤務している殆ど全ての隊員の士気、規律が低下しないよう祈るばかりである。 写真:今朝のテレビ報道