平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

今日で半年が過ぎた

2012-06-30 04:48:01 | Weblog
横浜の今日は美しい朝日が昇ってきた。夏至もいつの間にかとっくに過ぎ、徐々に日が短くなるのが何だか損をするような、マイナーな気分になるのは不思議なものだ。季節も春先のころが一番気持ちがいいし、秋は風景こそ素敵だが近づく冬のことを考えると、これもまたマイナーな気分になる。そうこうしながら春夏秋冬を巡り1年が確実に過ぎ去っていく、と言うことは確実に人生も終期に近付いていると言うことだ。今日で今年も半分が過ぎてしまったが、《その間の成果は?》と問われると《なし》なのである。後ひと月で66歳になるが、健康に大過なく日々を送ることが最大の目標というのも何だか寂しい限りだ。先日妹から老人病院に入っている母の《撮れたての写真》を添付メールで送ってきた。確実に徐々に老いが進んでいる母の写真を見て私たち子ども達が叱られまくっていた元気で、若く、美しかった頃の母を思い出しながら感慨深いものがある。それでも来月も結構忙しいし、8月も帰省や同窓会、9月は海自同期生会などなどスケジュールは、うろうろする時間などなく、てんこ盛り状態だ。それが健康の秘訣かもしれないな。心身ともに健康、元気に過ごすことができる今の私の境遇に感謝感謝である。あと半年がんばらなくっちゃ・・・。
【今回写真なし】

こどもの風邪

2012-06-28 06:00:48 | Weblog
先週から今週にかけ天候の急変、気温の激変があり、こどもの風邪が蔓延しているそうだ。今のこどもは免疫性が備わっていないのが原因のようである。ある本で読んだが、食事中にこぼれたご飯などを食べさせると病気になるというがある小児科の医師は、『こぼれたご飯はどんどん食べさせなさい・・・』と指導しているそうだ。勿体ないという躾面ではなく、こどもに小さい頃から免疫性を付けさせるためだ。今ではトイレやレストランの入り口など消毒液を置いてあるが私は殆ど使ったことがない。私たちのこどもの頃は近くにお店などなく、お金の使い方も知らなかった。その代わりに、周囲には柿や栗、梅や山桃、椎の実など自然の産物がたくさん実っていた。それをおやつ代わりに食べていたし、食事の都度手洗いなどした覚えはない。今でも健康なのはすべてバイキンという環境下で育ったからなのだろう。店の食品には《賞味期限○○日》と表示されており、若い世代は1日でも賞味期限が過ぎれば文句なしに捨てる。何と勿体ないことだろう。免疫性万全の私などは腐っていなければ半年経過しようが食べるケースが多い。それでも全く腹を壊すことはない。数年後は免疫性のない世代は何かの病気が流行したら大量に死亡するようなことも起きるかもしれない。来月からは《レバー刺》もO157病原菌の関係でお店から消えてしまう。戦後の食べ物も十分でなく、衛生が行きとどいていなかった時代の人達は何を食って生きてきたのか。人間、心も身体も免疫をつけることが大事だと思うな。【今回写真なし】

すき間(心の間隙)の必要性

2012-06-22 09:36:45 | Weblog
最近の事件や事故の発生や犯人逮捕などの報道で感じることは警察官の地道な、いい意味での執拗な捜査等の結果だろうと思う。ご近所に元神奈川県警のオエラさんがおられ、雑談などをすることがある。今の警察官は市民を守る者自身が破廉恥などのくだらない不祥事で自らのステータスをおとしていることなど大変だと思う。警察官もコンプライアンス(職業倫理)などの関係で上司がいつも部下の行動を半ば疑うよう管理監督しているようだ。その関係で事故の表層部分しか探ることができず、大きな犯罪、或いは政治が関与する犯罪などは殆ど核心までには到達できないようだ。以前は反社会組織(やくざなどをそういう風に表現するらしい)に深く立ち入り、ギリギリ、スレスレまでつき合い、情報を得る刑事(デカ)が多かったようだ。それも最近はコンプライアンスという横文字のために、少しでも深入りすると上司からストップをかけられる場合が多いとのこと。
結局は大きな魚をとり逃がす結果になる。貴重な経験を積んでいる定年間近のデカはそんなことに嫌気がさして定年前に辞める者も多いようだ。障子や襖なども隙間がなくピッタリだったら開け閉めがきつい。いくらかの隙間が必要である。高校時代の同窓会でいつも話が出るのは、学校の行事や地区の祭りなどで同級生同士がいたずら半分でお酒を飲むことがあっても、それを感じとった先生が(半分冗談で)「明日の授業にこたえるほど飲むなよ」とかタバコを吸っている生徒をみても(半分冗談で)「吸い過ぎに気を付けろよ」なんて言っていたそうだ。私自身も18歳で自衛隊に入った当初は先輩たちが「自衛隊に入ったらもう大人だ、酒は飲め、タバコは吸え・・・」なんて言われたことを思い出す。清水、魚住まずということもある。昔の先生や先輩たちのお目こぼし、大きな心での指導等々、今のギスギスした教育や世情と比較してどっちがいいのだろうかと問われたらどう答えるだろうか。間違いなく、私はその当時の《隙間のあるアナログの時代を懐かしく、いい時代だった》と思うのである。【写真はyahooから太陽にほえろの写真を拝借】

浜名湖ミニクラス会

2012-06-17 16:59:14 | Weblog
6月15日(金)浜名湖のホテルにてミニクラス会を行った。福岡在住の元潜水艦(ドンガメ)艦長のK君、元南極観測船【しらせ】艦長のT君、元護衛隊司令のM君ご夫妻と元掃海隊司令(掃海ゴロ)夫婦が集まった。私たち夫婦のよく利用する会員制ホテルである。行きも帰りも高速道路は順調だった。天然温泉につかり、ちょっと贅沢な会席料理と美酒に幸福を感じる。食後は4人集まれば当然のように恒例のコントラクトブリッジを楽しむ。12時ごろ終り、それからは夜の更けるのを忘れ時事(爺爺)放談。久し振りに胸襟を開き語り明かした。翌16日は朝食、コーヒーブレイクで現地解散、私夫婦とT君は途中沼津ICで下に降り、熱海の義兄を慰問する。横浜帰宅は5時過ぎだった。気のおけないクラスとの再会で元気をもらい、楽しい思い出作りができた。

石原東京都知事の参考人招致発言

2012-06-15 08:30:45 | Weblog
写真は11日の国会衆議院での石原都知事の国会議員対しての演説である。テレビ放映もしていたが、場内の議員は石原氏の話に咳払い一つしなく聞き入っていたし、その内容に圧倒された様子だった。演説の内容は【産経ニュースはら拝借:今年度内の尖閣購入に意欲を示した上で、「本当は国がやるべきだ。東京がやるのは筋違いだが、やらざるを得ない状況だ」と強調した。石原氏は尖閣購入を目指す理由について「自分たちの家に強盗が『入るぞ』と宣言しているのに戸締まりをしない国がどこにあるのか」と述べた。また、国が同委員会の上陸調査への協力を拒んでいるとも指摘し、「都の船をいくらでも提供する。国会議員は行ってくださいよ」と促した。都による尖閣購入をめぐっては、丹羽宇一郎駐中国大使が「日中関係に極めて深刻な危機をもたらす」との見解を英紙のインタビューで示しているが、石原氏は「(藤村修)官房長官が『(丹羽氏の発言は)政府の意向でない』と言った。政府の意向と違う大事な発言をする大使は速やかに更迭すべきだ」と述べた。】。至極当然のことなのだが、相変わらず中国は石原氏を狂気扱いに報道しこのままであれば日中関係は戦争の道を進むだろう・・・と日本に恐怖感をあおらせ恫喝した。ノー天気の国民はおそらく、「石原都知事は何をそんなに力んでいるのか・・・」と思っているだろうが、そういう心理状態にさせるのはマスコミ(最近はマズゴミと揶揄されているようだ)の影響も大きい。中国は着々と海軍力を増強しているが、大部分の日本人の生活に直接影響しないので関心を持たない者が多いのだと思う。韓国は着々と竹島領有の既成事実を作り上げている。「目覚めよニッポン ロンドンオリンピックの金メダルなど問題ではない」、尖閣の購入には約12億の支援金が約3万人から集まった。 ぼ~~~っとしているのは政治家なのだ。それとも中国、朝鮮の政策に加担しているのかとしか思えない・・・。

防衛大臣就任余話(柔軟な米海軍の人事)

2012-06-06 04:58:32 | Weblog
予想どおりの与野党、マスコミからの四面楚歌モードで森本敏防衛大臣の<民間人>からの閣僚としての話題が沸騰している。あのお粗末を通り越した一川前々防衛大臣も「シビリアンコントロールの面から、いかがなものか・・・」と吐き気を催しそうな顔(つら)で話していた。結論として、氏の就任は付け焼き刃的な知識も気迫も責任感も皆無の国会議員よりは何倍も国益になることである。話を70年前に遡らせる。3年8カ月続いた太平洋戦争(日本では大東亜戦争と呼称)の日米の戦闘行動は1941年12月8日の日本海軍の真珠湾奇襲作戦から始まった。当時の米海軍太平洋艦隊司令長官(司令部:ハワイ)はキンメル海軍大将であった。ハワイの海軍基地、艦船は壊滅状態となり、同大将は更迭され、後任にはニミッツ大将が就任した。同大将は潜水艦<屋>であり、一般的に当時の日米海軍いずれも、トップクラスには射撃、水雷、航海の分野からなることが多く、情報、掃海、潜水艦などからはトップにはなり難い職種であった。しかし、開戦当初のアメリカ政府、米海軍はニミッツの人材を見抜き、当時少将の序列28番目から太平洋艦隊司令長官に大抜擢し、戦時中には元帥(大将の上位)まで昇進した。当時の日本海軍では考えられない海軍人事、つまりその人の能力、性格、人物像などを総合評価し<戦時に最も効果を発揮する者>指揮官に据えたのである。このようなフレキシブル人事は米陸軍にもあり戦後大統領となった二次大戦での欧州での連合軍最高指揮官であったアイゼンハワー氏があげられる。アメリカと言う国が歴史が浅いことや複数人種から成り立っているからだろう。ミニッツ元帥は日露戦争での日本海海戦完勝当時、少尉候補生であり、遠洋航海で東京に寄港していた。祝宴に参加し日本連合艦隊司令長官の東郷平八郎を胴上げし、憧れ、尊敬していたようであり、戦時中も<皇居への空襲は絶対にしてはならない>と厳命していた。また、戦後の戦艦<三笠>が米軍のダンスホールになり荒廃していることを知り、復興のために最大の貢献をされたようである。話はそれてしまったが、以上のような柔軟な発想がこの国には欠けている。くだらないことに拘泥しKY(空気の読めない)為政者、それを煽り立てるマスコミはいつも腹立たしくなるのは私だけだろうか。【写真は戦時中のニミッツ元帥】

防衛大臣に森本敏氏就任

2012-06-04 18:36:11 | Weblog
本日の内閣改造で、防衛大臣に<民間人>から森本敏氏が起用された。久し振りの朗報だと思った、というよりこれまでの民主党政権の3大臣が末期的人材だったからだ。民主党時代の浜田氏の頃から防衛大臣の起用に疑問を感じていたが、民主党政権初代の北澤俊美も2人目の市川、3人目の田中が世紀末的な人物だから、比較論の問題であまり話題には上らないものの、まともな大臣ではない。森本氏の起用をマスコミは政治家ではなく民間人の起用であることを強調報道している。それほど防衛問題の専門家がいないとか、政治家ではないので責任感が薄い・・・。何を馬鹿なと言いたい。今どきの政治家の何倍も責任感はあり、世界はようやく正常に日本との防衛問題を論じることができると歓迎するだろう。森本氏は概ね自民党政権での論理を展開するだろうし、日米同盟に傾いた方向で進めていくことと思うが今後の活躍を期待している。【今回写真なし】

この国も大丈夫だ

2012-06-02 21:01:49 | Weblog
私は温泉が大好きで時間があるとちょっと遠出して山梨や長野方面の温泉ドライブをする。時間がない時などは近くのスーパー銭湯に入る。そんな時感じるのは、他人のことは言えないが、裸の入浴客は爺さんから子供まで血色も良く、大部分の者がメタボなのである。景気が悪いとか生活が大変だとか口では言っているが結構栄養が行きとどいている、というより行き過ぎている。だから私は生活が苦しいなんて言わない。子供でも私が負けそうなくらいの布袋さんのような腹をして、糖尿病と診断されている者も多いようである。写真は小学校1年の時の女先生とクラスの男だけの写真である。昭和28年か29年頃なのだが、ほとんどが農家だったので食い物には事欠かなかったようだ。それでもデブはいなかった。さあ私はどこにいるのでしょうか?これほどメタボが多いのをみるとこの国も大丈夫だと思った。【郷里の田耕小学校1年当時の写真です】