平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

浅草サンバカーニバル(スペシャルサンバショー)

2008-08-31 04:04:04 | Weblog
昨日会社友人のOさんと浅草サンバカーニバルを観に行った。朝からわくわく気分である。過日購入した「NIKON D2H」の試し撮りだ。 木村拓也のCM「やるなあ~ ニコン」を文字通りの機能だった。 終わってお昼は寿司にて一杯やりながら事後研究会をする。どうやら彼もやはり一眼レフデジカメが欲しくなったようだ。サンバチームのパレードは開始の頃はさわやかなお天気だったが、ここ数日のガタガタのお天気が引き続き災いし、急に大雨になったりで踊り子の着けている羽毛や、化粧も雨のためびしょ濡れで可哀想だった。今年は公会堂でのショーを観るのが主だったので、沿道のパレードは人の頭を観たくらいだった。 

靖国神社、千鳥淵参拝

2008-08-16 00:32:56 | Weblog
今日は終戦63年の日である。朝少し早く起き通勤経路に近い靖国神社と側の千鳥ケ淵に参拝した。 何故か8月15日になると自然に足がそちらに向くのである。ジリジリと暑く、蝉の鳴き声さえイライラする。 63年前の今日終戦だったのだ。その前の数年間は事実上日米が死力を尽くして戦っていたのだ。 その戦争を無謀なとか、戦陣に散った軍人を無駄死にとか不敬な評価をする。一体何様と思っているのか。 そういう現在のうるさいことを全て忘れ、右にも左にも偏らず素直にお参りした。 実戦こそ経験しなかったし、しなくて良かったが同じような制服を着て人生の大半を過ごした者として尊崇の念は禁じえないのである。 幾多の英霊のお陰で今日の日本があることを決して忘れてはならない。 (写真は昭和天皇御製:高松宮勢津子妃殿下書)

世界JUDO と日本柔道

2008-08-12 21:30:37 | Weblog
北京オリンピックの柔道での日本代表選手はそれなりに活躍しているが、どうしても理解できないのが、試合に勝った時のガッツポーズだ。昭和37年から40年まで田舎の高校ではあるが部活で柔道3年間やり、その後自衛隊に入っても結局は40歳過ぎまでしょっちゅうではないが柔道をした。高校時代にあまり強くない私がたまに勝ってニヤニヤ嬉しい顔をしていると、監督の佐久間先生(故人)から厳しく怒られた。 相手がいて、相手がたまたま油断したので勝っただけであってのぼせるなと言うわけである。強い相手がいるからこそ強くなれる、礼儀に始まり礼儀に終わる、「共存共栄、自他共栄」が日本柔道の原点なのである。世界のJUDOになってからは古来の武道を根源とした柔道精神が微塵にも感じられない。レスリングなのか取っ組み合いの喧嘩なのか全く面白くない。 それでも勝たねばならないと言う日本の柔道代表者は日本柔道に固執すれば負けることとなる。青い柔道着、無精ひげ面の日本選手、ガッツポーズを堂々と畳の上でする選手、有効や技有りなどの審判規定・・・・どれをとっても高校1年当時懸命に練習した日本柔道は遠くに行ってしまった。 JUDOは柔道ではない。

62歳の誕生日

2008-08-02 05:19:57 | Weblog
昨日は満62歳の誕生日だった。正直言って59歳から60歳になったときは還暦の年であり、60歳になったんだと言う感慨が深かったが、今年はそんなに感じなかった。それでも家族が5千円ずつ出し合って記念の靴を買ってくれるそうだ。私は勤め帰りに、一つの区切りとしてニコンのD2Hの中古を9万円で購入した。妻からは「お父さん、カメラ何台持てば満足するの?・・」と言われたが、一生満足しないだろう。それにしても新品は欲しいが手が出せないものの、デジカメの中古は寿命は問題だろうがこんなに手軽に手に入るとは思わなかった。これからが楽しみだ。これまでに電車の中で2回席を譲られたが、まだまだ若いと自分は思っている。今日、明日は義兄夫婦の関係で熱海に行く予定である。元気が一番