平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

卑怯なり朝日新聞(マスコミ報道)

2011-11-30 20:31:13 | Weblog
平成10年だから既に13年近くが過ぎ去ったのでもういいだろう。記事は当時私が海上自衛隊下関基地隊に勤務していた当時、下関沖に人工島を建設のため、朝日新聞記者が取材に来た時のものである。T司令は出張で不在、同期のN副長は専門外のため担当の私が対応した。今回の沖縄防衛施設局長の失言事象と類似しているが、それまでのマスコミへの対応は上級司令部との連携で「マスコミ対応Q&A」が作成され、それ以上のことは御法度とされていた。それでも現実を直視すべきと思った私はそれ以上のことも含め、この部分は【オフレコ】【取材外】という前提でついつい実状を説明した。するとその日の朝日新聞の夕刊一面に「人工島予定海域に機雷?」終わらぬ戦後と大見出しですっぱ抜かれてしまった。話が違うと朝日新聞社に連絡を入れても全く対応せず、当の記者はしてやったり(馬鹿な自衛隊め)と思ったのだろう。即刻T司令から連絡があり、その時は思い切り怒られた。当時の上級部隊としては【不必要に民心を不安に陥れる】という理由から詳しくは報道させなかったのだろう。しかし、終戦時の関門海峡付近に住んでいたご老人などは現在でもわんさかいるし、2千個以上の機雷を敷設した事実は知っているだろう。後日T司令は冷静に私の行為を評価され、いつかは言わなくてはならないことだし、事実なのだからとそれ以上私を責めることはなかった。それにしても貪欲かつ卑怯な朝日新聞記者の取材行為に煮えくりかえる気持ちを当分抑えきれなかった。昔々のたわいなく、それでも、まぎれもない事実を紹介した次第である。

NHK3年ドラマ【坂の上の雲】製作の裏

2011-11-29 21:19:30 | Weblog
写真はNHKが3年の歳月を費やして制作している、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」の西暦1900年頃の一場面である。当時の場面をロシア、中国、朝鮮(韓国)等のロケや当国の人々の出演を主に作られており、迫力のあるドラマであり傑作である。隣国の最大協力は即「日本の歴史の正当化」に直結するものなのに極めて順調に経緯している。その理由がわからない。NHKが相当の出演料をばら撒いているのかとても腑に落ちないほどの協力作品なのだ。この物語を通じては、日本人は決して韓国や中国が指摘するような残虐、悪人ではなく、成長過渡期の正義の国なのである。それを許容しながらのこの傑作ドラマの真意が見いだせないのである。【写真はロシア皇帝ニコライ二世に謁見する日本の伊藤博文元老】

喪中挨拶状に思う

2011-11-29 09:14:20 | Weblog
年末も押し迫り、知人からの喪中挨拶状が今年も届いている。特徴は昨年も同じだが、殆どの物故者の超高齢だ。90歳以上の方が殆どであり、不謹慎ながらも、大往生であったと言える。中でも103歳の祖母が他界されたという、生前は食事や生活などもごく普通にされていたようだ。これからはもっと高齢化するだろう。実家の母も今年で88歳、あと何年元気で生きてくれるか。喪中(服喪の内容、喪中期間)については一概には言えないようだが、明治7年に出された「太政官布告」では男尊女卑、長幼の序などの濃い決まりであるが一応決められている。したがって、その年に近親者が亡くなったからといってまとめて喪中挨拶を出すのは、いかがなものかなあと感じる。※妻や子の場合は3箇月で服喪が終り、逆に両親、夫では13箇月(1年以上)は現代の生活習慣にはなじまない点も見受けられる。(掲載は【メモリアルアートの大野屋】から抜粋) 

一体この国は?

2011-11-25 22:56:37 | Weblog
本日の読売新聞の夕刊で【韓国 竹島に観光施設】とのんびりした記事が掲載されていた。 別版では、渋谷区の原宿付近のマンションで【野生の狸が保護された】・・・とかほとんど無意味の記事が紙面を埋めていた。 一体この国はどんな国なんだろうと首をかしげたくなる。 竹島の記事ではのんびりと2017年までには5000トン級の船舶の横付けが可能な岸壁及び海中展望の観光施設などの建設が具体的な建設段階に入ったと報じている。 マスコミは真実のみ報道すればよいと思うが、やはり世界の非常識の報道手段である。北方四島の問題を含め、既成事実(実効支配)をされては、日本固有の領土だといくら主張しても「風呂の中の臭いのない屁」でしかない。日本政府の後手後手、土下座外交には呆れてしまう。本当にこれでいいのだろうか? 年金問題など庶民に直結する問題ばかりで言葉遊びをしている間に、中国や韓国などはしたたかな手段で日本の主権を徐々に侵していることに気がつかなければならないと思う。華僑の末裔だろうソフトバンクの孫、蓮舫大臣・・・いかにもリーズナブルな理屈を並べながら着々と実効支配が進んでいるのだと思う。 【記事は11月25日読売新聞夕刊】

オウム事件の裁判終結に思う

2011-11-22 21:08:32 | Weblog
本日の読売新聞の一面に「オウム事件裁判終結」の記事が掲載されていた。同事件は松本サリン事件、地下鉄サリン事件及び坂本弁護士一家殺害事件等々を前途有望な青年がオウム真理教信者となり国家転覆を企てた大事件である。山梨県上九一色村に教団施設を設立し、サリンを製造、教団信者の修業所としていた。ロシア製のヘリコプターや自動小銃1000丁、サリン70トン等で国家転覆を計画していたのだが、【公安】の調査などに信じられない杜撰さがあったと思う。平和国家であれば、個人の主張、行動の制限は最小限にすべきであろうが、少なくともこのような大規模な企てを見過ごすこと自体が信じられないのだ。死刑判決13人のうちの最後の遠藤誠一被告の裁判が死刑判決で21日終了し、13人の教団幹部全てが死刑となった。教団幹部たちの母親としては息子の死刑判決で一応の区切は付けることができたと思うが、親の心理としては複雑なものがあると思う。公安なり、警察なりがもう少し積極的に事態を重く受け止めて、対応していたならばこのような大事件も起こらず、悲しむ人々を減らすことができたと思う。 この事件の最大の責任は公安調査庁にある。蛇足ながら、現内閣の法務大臣は死刑廃止論者が就任しており、この13名の死刑囚もいつまでも生きながらえているだろう。それも大問題である。 

子どもの教育(鉛筆削りとライター)

2011-11-11 09:57:10 | Weblog
先日テレビで鉛筆を削ることについて放映していた。10代~60代くらいまでの人を選んで切り出しナイフと鉛筆を削るのである。私たちが子供のころちょうど鉛筆削り機なるものが普及し始めていたと記憶しているが、私は子供のころから殆ど【肥後小刀】で竹や鉛筆などを削っていた。今でも文房具屋さんの奥の方にはあるようだ。60半ばの私の左右の親指の付け根付近には子どもの頃の小刀での傷痕がたくさん残っている。そのおかげで今も鉛筆は難なく削ることができる。テレビでの30歳くらいの若者はナイフの使い方を全く知っていないし、削った鉛筆はきれいさは通り越し、削り部分はゴツゴツ、僅かに鉛筆の芯が出ている無残なものであった。鉛筆を入れてぐるぐる回せばまんまるく削り、先の尖がりは調整可能という便利なもののため、自分では鉛筆が削れないのだ。過日コンビニでライターを購入したら【子供に危険・・・】と記入し、着火ボタンが大人でもきつく感じるように硬くしてあるのだ。それは火災予防の一環かもしれないが、私たちの子供のころは特に田舎であったためか火を扱うことは日常茶飯事だった。マッチなどどこにでも置いてあり、いたずらしようと思えばいくらでもできた時代だった。今の時代、あれするな、これするな、させないための防止策等々、火の躾のみでなく、がんじがらめ状態なのではないかと思うのだ。アイロンは熱いとか、触ると火傷するなど昔のように体得させなければ、その子の長い人生の為にはならないのではと思った次第である。

昨夜は中学65歳の同窓会

2011-11-06 07:23:15 | Weblog
昨5日が新宿の勤務があり、就職して間もないことでもあったので、郷里山口での「65歳の同窓会」は参加できなかった。40数名の同級生が参加するとのことだった。我々の中学時代は戦後ベビーブームのはしりであとの学年からはどんどん子供たちが増えてきた。まさに団塊の世代なのだ。田耕小学校と八城小学校が中学で合併するので賑やかな中学生活だった。その頃の大人は仕事に一生懸命だし、子どもたちを面倒見る暇もなかったのかもしれない。いわゆる人格形成に必要な時期を自由奔放(放任とは思わない)に過ごすことができた。水泳禁止時期に陰で泳いだり、ブレーキの効かない自転車にどうして4人乗ったか不思議なくらいだが、4人乗りして町のダンプカーにぶつかり、生徒全員を集められこっぴっどく怒られたり・・・と思い出は尽きない。この年になるとチラホラ物故者も耳にするが元気であればいつでも会える、そう思い、以前の同窓会などの写真を見ながら同級生一人一人の健康を願った。【写真:中3当時の野球部だったT君と剣道部だったM君と私:招魂社階段にて】

信州秋山郷を通じての奇縁

2011-11-06 07:17:23 | Weblog
4日勤務から戻ると、全く存じ上げないMさんと言う奈良市在住の方からの手紙が届いていた。はて何だろうと興味津津で開封した。その方は先日新潟県と長野県の県境にある【秋山郷】に行かれたそうで、その時宿泊された民宿が仁成館と言うところだったそうだ。便箋3枚に几帳面な文字がびっしりと記されていた。仁成館にはこれまでに何度かお邪魔し、御主人や奥様と話しているうちご主人は都筑区に住んでおられたことがあり、詳しくご存じだった。また奥様は郷里山口県下関市に住んでおられたことがあり、これまた詳しく郷里のことを覚えておられた。そういった縁と秋山郷の大自然が夫婦とも好きで何度か足を運んだわけである。Mさんはそこにお泊りになり、私が以前仁成館に立ち寄った際に海自の正装で撮影した写真をご覧になられ、その裏に記載した住所から便りを出されたそうである。早速お礼の電話をしたが、82歳になられる自衛隊大ファンのご老人だった。今朝その経緯を仁成館の奥様にお伝えし、この奇縁を大切にしようと思った。【写真:Mさんからの手紙と仁成館の露天風呂】

明治神宮参拝:初めての流鏑馬(やぶさめ)

2011-11-04 06:36:16 | Weblog
一昨日の勤務の帰りに明治神宮の杜を通り、日本舞踊や長唄の奉納神事が行われ見学、帰り際には原宿の大鳥居広場ではたくさんの関東各地で収獲された野菜の無料提供などあり、重い野菜を持ち帰った。昨日は勤務は休みだったが、早朝から目が覚め、流鏑馬(やぶさめ)が気になって仕方なかった。思いきって、見学に行くこととした。午後1時から行われるが、人馬とも環境に慣れることなどで、午前中に何度が練習をしていたので、観客は比較的少なかった。周辺の広場では東京農業祭、古武道の演武等をやっていた。実際の流鏑馬を始めてみることができ、それも颯爽と騎乗した人は女性で、手綱も取らず馬を走らせ、馬上で弓を引くという古式豊かな絵巻に格好よさを感じるとともに感動した。