平成版徒然草

自由気ままにその時々の感想や写真などを残しておきたいと思いBLOG作成を思い立ちました。作成から早9年経過・・

矢沢永吉 in TOKYO DOME

2009-09-20 00:41:56 | Weblog
19日会社の友人の誘いで矢沢永吉のライブを鑑賞した。 ROCKのビートが鼓膜を壊し、心臓をえぐられると思うくらいの弩迫力があった。 矢沢のトレードマークの白い上下スーツにカンカン帽に白い靴を履いた熱狂ファンが沢山いたのに驚いた。彼は今年で還暦だそうだ(アラ還:アラウンド還暦の略)である。それにしても19時から2時間ほとんど休まず、ロックとバラードを織り交ぜ精力的に歌っていた。今月いっぱいで再就職もリタイアし仕事を探してはいるが、63歳と年齢を言っただけで求人お断りなのである。 ハローワークで年齢不問とあるのは、そうしておかないと求職に載せられないとのこと、後10日少し、どんな仕事でもいいので仕事をし、いい汗を流して、遊びたい。 久しぶりに永ちゃんや10万人近くの大観衆から若さを貰ったような気持がした。(写真はHPから拝借)

ICHIROはすごい

2009-09-15 02:59:31 | Weblog
昨日の試合でJリーグ、マリナーズのICHIROが9年連続200本安打という偉業を達成した。国内の政治不安を払拭してくれそうな明るいニュースだった。何といってもJリーグで活躍すること自体が素晴らしいのに、コツコツと築いた誰にも決して真似ができるものじゃない。新聞も「号外」を出し、国民全体が祝福していた。なんだか一日明るい気分になれた。(写真はsunspoから拝借)

信州の旅

2009-09-15 02:44:49 | Weblog
またまた信州に10日から13日まで旅をした。10日は関越道を利用し、草津にて「西の河原大露天風呂」・志賀高原をドライブし斑尾高原ホテルに行く。11日は鬼無里、白馬、小谷経由笹ヶ峰牧場、妙高高原の「黄金の湯」に入る。12日は野沢温泉で温泉卵を作り、共同浴場に入る。13日は信濃町の「一茶記念館」・黒姫高原のコスモス園を散策し、近くのイタリアレストランで昼食、帰途につく。いつ来ても高原の空気はきれいだし長生きできそうだ。

私が少年だったころ(3)

2009-09-08 19:44:03 | Weblog
昭和37年4月地元の県立高校普通科に進学した。同級生は250人くらいの男女共学の高校だった。私は中学当時、部活に「柔道部」がなかったので即柔道部に入った。ともかく強くなりたかったが、練習の割にはあまり強くなかった。中学校当時に柔道部のあった連中とは比較にならずとても悔しかったがそれは仕方がない。私より練習しない同級生も1年生後半で初段(黒帯)を取得した。私はまだ白帯だった。体格も良く、力も強いのでそれは仕方ないが悔しかった。高校野球の名門校などで1年生で正選手の者もおれば、3年間野球部でもベンチ入りもできない3年生もいる。懸命に応援席で背番号も付けず応援している。当時から強ければ練習などどうでもよく、レギュラーになれたのである。そんな体格のいい私より早く黒帯になった同級生は私より早く15年前に他界してしまった。それでも、2年生の初めごろ初段(黒帯)を取得できた。白の柔道着に黒帯というのは、まさに日本の美なのである。以後は絶対に白帯などに負けられない・・・と思いつつも弱い私はよく負けていた。 その頃の同級生、全般的に海側出身の女生徒のほうが素敵な人が多かった。 目がパッチリしてチャーミングな女性にうっとりしながらも柔道の練習は欠かさなかった。 次は生徒会活動のことを話そう。 (画像なし)

わたしが少年だったころ(2)

2009-09-07 18:43:39 | Weblog
昭和36年中学3年生であった。田舎の高校なのでこれといった受験勉強をしなくても別に不合格になるとは思っていなかった。 確か「奈良文庫」という通信制のの模擬テスト制度があり、何度か半強制的に受験させられた。得点で全国では何番とか、山口県では何番に入っているとかがわかる一覧表があり、進学担当の先生から、君はどこどこは大丈夫だとか、無理だとか言われたものだ。当時は中学校から高校へ進まず大工の弟子入りしたり、関西、関東方面に集団就職したりする者が2割くらいいたと思う。今と違って優秀ながらも兄弟が多く生活が苦しいため止むなく就職した同級生も多くいた。 いよいよ昭和37年近くの県立豊北高校普通科に入学した。我々のような田舎(農業を主)の者や、漁村出身の者などなど7中学が一つの高校で一緒になるわけである。私の中学にも素敵な女生徒はいたが、他の中学校からの女生徒にも目移りがする。そんな色気がつきかかった時代であった。
高校に進学し、部活は柔道部に入った。 続きはつぎにしよう。

求職活動開始

2009-09-04 13:40:50 | Weblog
一昨日、新横浜の「ハローワーク」に行った。日本語で言うと公共職業安定所だそうだ。不景気のせいか「満員御礼」の状態であった。待つこと約2時間で担当がいろいろと相談にのってくれた。初めての経験だったが懸命に仕事を探そうという人々の勤勉さと、景気回復が早急の問題ではないかと感じた。半数の者は失業保険の受給手続きだったようだ。自民党でも民主党でもどちらでもいい。そんなテリトリー競争、党利党略ではなく、国民に目を向けこの困難な時期を乗り切ってほしいと思う。 早速、求人手続きをし、近場の会社に履歴書を送付したが、どうなる事やら・・・・。