横浜自然観察の森に向かう前に、金沢八景から平潟湾、野島公園あたりを少し歩いた。
金沢あたりは鎌倉時代から美しい風景が多いことを認識されていた。
徳川光圀により明から招かれた禅僧・東皐心越(とうこうしんえつ)が「新編鎌倉志」に基づき、
能見台付近から見下ろした風景を中国の瀟湘八景(しょうしょう はっけい)にたとえ漢詩に読んだという。
のちに歌川広重など多くの浮世絵師が名所絵として画いた。
「平潟落雁」の平潟湾は金沢八景駅のすぐ近くまで入り込んでいる。
湾を左に見ながら歩いて夕照橋を渡ると野島だ。
橋の名前は八景の「野島夕照」に由来しているのだろう。
野島あたりを歩いていると、とある民家に昔ながらの井戸ポンプがあった。
もちろん水道もある地域で、どういう使い方をしているのだろう。魚に関係あり?
野島の松林の中に伊藤博文金沢別邸が保存されていた。
明治時代には八景と詠まれた風光明媚が残る海浜別荘地だったと思われる。
その後、新田開発、耕地整理、産業施設誘致、宅地市街化などにより、すっかり様変わりした。
「平潟落雁」のような群れ飛ぶ雁は見られないが、ヒドリガモなどの鴨たちやカワウが休んでいた。
その向こうは八景島シーパラダイスだ。この島は埋め立てによる人工島で30年ほど前に出来た。
コロナ禍でも営業しているようだが、何か静かに感じられた。
金沢八景の風光を消すように金沢沖の埋め立てが進み、そこにはシーサイドラインが走っている。
高架を走るがモノレールではなく、タイヤで走るバスと電車の中間のような乗り物だ。
駅から下を見ると貸しボート屋さんが見えた。
ずいぶん昔、このあたりでボートを借りてキス釣りに出かけたものだ。
八景島につながる人工海浜。このあたりを釣り場にしていた。
釣果はともかくのんびり過したものだ。
向こうの方ではスズガモなどが休んでいた。
これからもっと増えるのだろうか。