昨日この本を読んだ。
村上龍氏は『限りなく透明に近いブルー』(1976年)で芥川賞を受賞された作家で、テレビでも「カンブリア宮殿」などでおなじみだと思う。
私は前から好きな作家だったが、『55歳からのハローライフ』(2012年)を読んでからますます好きになった。
それで、このエッセイ集が図書館に並んでいて気になった。
というのも、このタイトルである。
ふつう、「幸福」を選ぶのが一般的だが、「信頼」を選ぶというのはなんで?と思った。
そして、読んだのだが、
最初から、「幸福だから笑うのでない。笑うから幸福なのだ」というアランの幸福論が批判される。
作者にとって、居酒屋などで大勢で大笑いすることが理解しがたいようだ。
理解しがたいというか、経済的に十分な状態でなくて、「幸福」だと思っているのがどうか?という現代日本社会全般に対するアンチテーゼのようになっている。
経済的なこともだが、今のままの起業家精神や新しいアイデアに乏しい日本の労働者では新たな商品の開発は難しいのでは?今のままでは、海外やアジアの他の国々の負けるのでは?という所に一番の主眼があると思う。
言いたいことはよくわかる。でも、そうだからといって、「笑う」ことで得られるポジティブな面を否定するのはちょっとどうかなと思う。それでも、「笑う」ことにこそ、明日へつながる何かがあると思う。
さて、タイトルに関するエッセイはこの本の最後の部分に出てくるのだが、これも、世界情勢に関することについてもことだった。
私流の解釈では主観的な「幸福」のつきあいより客観的な「信頼関係」が重要だということらしい。それはそうだと思う。
それより、この本では、今まで知らなかった作者の趣味(実はキューバ音楽やサッカーが好きらしい)やお父さんを急になくされた時の悲しみなどが書かれていて、面白かったし、(5年以上前に刊行された本だが)
何より、現代若者へ「もっと欲を出せ的な想い」が伝わってくる。
そして、現代日本の混沌とした打開できないどうしようもないはがゆさが感じられる本だった。
村上龍氏は『限りなく透明に近いブルー』(1976年)で芥川賞を受賞された作家で、テレビでも「カンブリア宮殿」などでおなじみだと思う。
私は前から好きな作家だったが、『55歳からのハローライフ』(2012年)を読んでからますます好きになった。
それで、このエッセイ集が図書館に並んでいて気になった。
というのも、このタイトルである。
ふつう、「幸福」を選ぶのが一般的だが、「信頼」を選ぶというのはなんで?と思った。
そして、読んだのだが、
最初から、「幸福だから笑うのでない。笑うから幸福なのだ」というアランの幸福論が批判される。
作者にとって、居酒屋などで大勢で大笑いすることが理解しがたいようだ。
理解しがたいというか、経済的に十分な状態でなくて、「幸福」だと思っているのがどうか?という現代日本社会全般に対するアンチテーゼのようになっている。
経済的なこともだが、今のままの起業家精神や新しいアイデアに乏しい日本の労働者では新たな商品の開発は難しいのでは?今のままでは、海外やアジアの他の国々の負けるのでは?という所に一番の主眼があると思う。
言いたいことはよくわかる。でも、そうだからといって、「笑う」ことで得られるポジティブな面を否定するのはちょっとどうかなと思う。それでも、「笑う」ことにこそ、明日へつながる何かがあると思う。
さて、タイトルに関するエッセイはこの本の最後の部分に出てくるのだが、これも、世界情勢に関することについてもことだった。
私流の解釈では主観的な「幸福」のつきあいより客観的な「信頼関係」が重要だということらしい。それはそうだと思う。
それより、この本では、今まで知らなかった作者の趣味(実はキューバ音楽やサッカーが好きらしい)やお父さんを急になくされた時の悲しみなどが書かれていて、面白かったし、(5年以上前に刊行された本だが)
何より、現代若者へ「もっと欲を出せ的な想い」が伝わってくる。
そして、現代日本の混沌とした打開できないどうしようもないはがゆさが感じられる本だった。