先日、図書館で借りたこの本(岩波少年文庫、2005年出版だが、この本がドイツ語で世に出たのは1973年)をさきほど読み終わった。
なぜ、このような児童文学を今読んだかというと、本日が最終回のドラマ「35歳の少女」のベースにある作品だからである。
児童文学と書いたが、400ページ近い長編であり、読むのが少し辛い。
しかも、子供の感覚を失くしている。
大人の感覚で読んでしまうと、私の感想はこの本の訳者である大島かおりさんがあとがきで書かれていることとほぼ同じである。
どう同じかというと、P402に書いてある言葉を引用させていただくと、
「モモをとりまく世界は、「灰色の男たち」というきみょうな病菌におかされはじめています。人びとは「よい暮らし」のためと信じて必死で時間を倹約し、追い立てられるようにせかせかと生きています。この病気の原因に気づいて警告しようとする人は、(中略)精神病院に隔離されたり、(中略)巨大な情報産業の操り人形のようになります。こうして人びとは時間を奪われることによって、本当の意味での「生きること」をうばわれ、心の中はまずしくなり、荒廃してゆきます」
「灰色の男たち」というのはこの本に出てくる「時間貯蓄銀行」を操っている目に見えない人のことですが、それは、私たちの中にある「お金や名誉への欲望」なのかもしれません。
いくら、お金や名誉があっても時間がなくなれば、タイムオーバー。それは死を意味します。
「時間の貯蓄(節約)」に励めば励むほど、本当にしたいことができなくなるという矛盾。
愛や友情や会話や楽しみや喜びがどこかへ行ってしまわないように、気をつけましょう!!
大事なのは、「今」なのです。未来はすぐに過去に変わってしまいます。
(1年は秒に換算すると3153万6千秒になるようです。)
なお、ミヒャエル・エンデの父は画家だったせいか、ミヒャエルも絵が上手で、この本の表紙や挿絵も作者によるものらしい。驚く!
さて、「35歳の少女」の結末やいかに?