Kayaとののんびり生活 どいちゅらんど 

人生の半分ちかくになったドイツ生活のブログです。

長年行ってみたかった博物館へ。~Museum Judengasse~

2020-07-12 | 近所へおでかけ


この広場が代々どういう名前で呼ばれていたかの標識。

日曜日が仕事もない休みになっている、
今のうちに行きたいねって言っていた、Museum Judengasseに
相方君と一緒に行ってきました。


シナゴーグが建っていた跡。

近くまで車で行き、建物の裏側にあるユダヤ人墓地の方から入っていきました。




ユダヤ人墓地の壁には、犠牲者の名前が刻印されたプレートが埋め込まれています。


気味が悪くなるくらい見事に整列されているこのプレート。


博物館の成り立ちというのが、博物館の一番最初に展示されています。
ここには、戦後は大きな花市場があったのですが、
80年代終わりに市の交通サービスセンターの建設の為に行われていた
ユダヤ人墓地の横の開発工事の際、フランクフルト・ゲットーの遺跡が発掘されました。
その後遺跡を保存すべきか、遺跡を壊して工事を進めるべきかで政治家や
市民の間での意見が分かれたそうです。

当時フランクフルト市の与党であったCDUは工事の続行を主張した。
対して野党だったSPDや緑の党は工事の中止を求めた。
野党は「数百年にわたり隔離され、迫害された民族の遺跡を取り壊し、コンクリートを流し込んで沈めてしまう事は、第二次世界大戦のユダヤ人大量虐殺に続く、最終的なユダヤ人抹殺政策である」と主張した。
これに対して与党は「フランクフルト・ゲットーからアウシュビッツは一直線ではない」と反論した。
しかし世論は野党支持の方が圧倒的であり、結局、与党はゲットー遺跡の取り壊しを中止せざるをえなくなった。 ~Wikipediaより~

その結果、交通サービスセンターの地下部分に遺跡を保存した形で建物が建設されることになったそうです。



地下の遺跡の展示はとっても興味深いものでした。



こういう遺跡が大好きな相方君は、かなり楽しかったみたい。


博物館の内側から、
外側にかけてどんな家が建っていたか分かるようにプレートがあります。


ゲットーには番地はなく、名前で呼ばれていたのでこうなっているんだそうです。
本当に狭い入口!

その後、ドームの方へ裏道を通って散歩をして帰ってきました。
こうやって過ごす日曜日は中々いいものです。