穴八幡宮の次に向かったのは隣りにある放生寺。
中に入ると、こうやくんが立っています。
敷地内には本殿のほかに、
空海さんが見えます。
去年の夏の終わりにたまたま歩いていた場所で、ひとりの年配の女性に道を聞かれました。それが、放生寺への道。これも不思議な話なのですが、試されているように感じたのです。なぜかといわれても直感なので、なんの根拠もありません😅
冬至から節分の間にお守りが授与されているのですが、放生寺は「一陽来福」、穴八幡宮は「一陽来復」という字のお守りらしいのです。
言葉の意味を放生寺のHPから引用しながらまとめてみると、下記の違いがありました。
✳︎ 一陽来復
中国では冬至を太陽運行の起点と考え暦の始まりとされてこの冬至を表す言葉として中国の易経(易)の言葉で「一陽来復」と言い「陰極まって一陽を生ずる」と言う意味があります。
✳︎一陽来福
當山ではこの故事にならい観音様の功徳を讃えた観音経の偈文(げもん)の中にある「福聚海無量」(福を集めること海の福の如 く無量なり)と言う言葉の福の文字を頂き、復の字に重ね「一陽来福」と名付け、お札を授与された全ての方々に「一陽と共に福もかえり来る」来る年も福がまた訪れるように當山本尊に祈願して江戸の昔に信徒に授与したのが始まりであり、古来より「融通の観音様」として親しまれて参りました。このお札は節の変わり目(冬至・大晦日・節分)の深夜12時に恵方に向けて貼るのが最大の特徴であります。
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こうやくんがお参りの手順を指南
中に入ると、こうやくんが立っています。
★高野山真言宗 準別格本山 光松山威盛院 放生寺
◉ご本尊 聖観世音 菩薩
(通称 融通虫封観世音 )
御真言 オンアロリキャソワカ✳︎ご由緒(以下、HPより)
放生寺は今から凡そ360年前、高田八幡の別当寺として開創されたお寺です。
開創の頃より徳川将軍家の崇信殊の外厚く、慶安二年(1649)には三代目将軍家光公ご参詣の折 「光松山威盛院放生會寺」の寺号を賜り、徳川家代々の祈願の寺として葵のご紋を寺紋に用いることを許され 御府内八十八ヶ所、江戸三十三観音霊場として広く一般のご参詣を頂いております。
當山ご本尊「融通虫封観世音菩薩」は、江戸の昔より今日まで多くの尊信を集め親しまれて参りました。
ということで、こちらのお寺の紋章は葵の御紋なのです。😊
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敷地内には本殿のほかに、
◎馬頭観音
◎神変大菩薩
◎地蔵菩薩
◎弘法大師
の像があります。
「ここで本堂の瓦を見上げてごらん。
福がほほえんでいるよ。」
こうやくんの案内どおりに回っていくと、木の立て札があってそこにかかれている言葉です。
最初は何度も上を見上げましたが、なんのことをいっているのかわからず、ひとりで怪しい人に(笑)。
でも、見つけたときに微笑んでしまいました。きっとここに来た人はにっこりしてしまうんでしょうね。なぜかは、訪れたときのお楽しみということで。😁
空海さんが見えます。
そういえば、2023年は弘法大師の生誕1250年だそうですね。楽しみです。
去年の夏の終わりにたまたま歩いていた場所で、ひとりの年配の女性に道を聞かれました。それが、放生寺への道。これも不思議な話なのですが、試されているように感じたのです。なぜかといわれても直感なので、なんの根拠もありません😅
とにかく、お役に立とうとスマホでいろいろ調べてみたのですが、焦っていたのでうまく説明ができず、ひとしきりお詫びをした記憶があります。後で考えたら、夕方にお寺に行くのも不思議に思ったり。今回、穴八幡宮の検索をしていたときに放生寺を見つけ、道を聞かれたことも覚えていたのでびっくりです。
やっぱり呼ばれたのかな?😄