空想のねじ

好奇心のおもむくままに、チャレンジしたこと、行動したこと、感じたこと、思ったことを綴っていこうと思います。

回顧録 日本三大弁財天の旅〜宝厳寺と竹生島神社〜

2020-03-29 22:22:00 | 神社・仏閣巡り
広島・厳島神社に参拝した翌年の11月26日、3歳の姪っ子と母、妹、私の4人で琵琶湖にある竹生島へ行く計画を立てました。母も妹も、私が夢の話をして竹生島へ行きたいというと話にのってくれました。家系なのでしょうか、おかしな母娘ですね(笑)。交通手段は妹のワンボックスカーで、期間は1泊2日。この日は概ねよい天気でした。

フェリーで竹生島へ

調べてみると竹生島へは、今津港と長浜港の2カ所から行けることがわかりました。確か長浜港発の駐車場に15:00頃着き、乗船したと思います。ほどなくして到着、島はたくさんの人で賑わっていました。
※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。

竹生島 宝厳寺
✳︎本堂/大弁財天
✳︎観音堂/千手千眼観世音菩薩(千手観音)

※無料画像より

《縁起》天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。(HPより)
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日本三大弁財天である宝厳寺のご縁起は、天照大神からの夢のお告げだったのですね。改めて調べると分かることがたくさんありました。観音堂の千手千眼観世音菩薩は、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所です。

明治の『神仏分離令』で寺と神社に

竹生島には竹生島神社久夫須麻神社)もあるので、行く前はなぜお寺と神社があるんだろう、弁天さまは神社なのでは?と不思議に思っていました。

竹生島神社の本殿は、もともとは宝厳寺の本堂だったといいます。寺と神社になったのは、明治元年(1868年)発布の『神仏分離令』とそれにより起こった「廃仏毀釈」運動の影響によるもの。大津県庁より廃寺にして神社に改めるようにと命令が下されると、全国から存続を望む声が上がり、本堂の建物を神社に引き渡して今の形になったそうです。

※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。

★竹生島神社(久夫須麻神社)
ご祭神
市杵島比売命(弁財天)
宇賀福神
浅井比売命(産土神)
龍神

※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。
◉かわらけ投げ
かわら(2枚組)を購入し、願い事を書いて上から投げます。投げたかわらが下に見える鳥居の間をくぐれば、願いが叶うと言われています。投げるのはかなり難しいです。

もしかして、水のパワーが強すぎた?

竹生島でのハプニング。寒かったからか、3歳の姪っこがまさかのおもらし💦慌てて母が七福神の手拭いを買ってパンツの代わりにしたことがあったなあと思い出しました。
HPより
今回HPを見ていて発見!たぶん同じ七福神の手拭い😆

滋賀の旅、もう少し続きます。