”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2008年02月10日 23時42分55秒 | Weblog
2月10日(日)晴
今日は僕が学生時代を過ごした街に行ってきました。実は丁度一年前の今日、僕が学生時代お世話になったY先生が亡くなられました。それなのに僕はまったく知らずに奥様からの年末の喪中挨拶で始めて知ったのです。亡くなる半年前に名古屋のホテルのロビーで偶然会ってお元気そうなお顔を拝見し、まさかと思ったのですが。いつも遅刻の常習犯だった僕らしく一年も遅刻してしまいましたがお参りさせてもらおうと訪ねました。昔の面影はまったくない街になってしまった街で喪中挨拶状にあった地名を頼りに霊園を探したのですがまったくわかりませんでした。しかたないのでとにかくその地名の場所に行って聞いてみようと思いました。そこで食堂に入り訪ねたのですが知らないと言われ、途方にくれながら昼飯を食べていたら、その食堂の主人が親切にも知り合いのお寺さんに聞いてくれていたらしく、キリスト教の墓地じゃないかと教えてもらいました。そして教えてもらった場所でY先生の名前を探したのですがみつかりません。名字が同じ墓碑が一つだけあったので違っているかもしれないけどお参りしてきました。それから違っていてもいいようにその町内にあるお寺さんの墓地二箇所に言ってお参りしてきました。多分その3箇所のどれかだからよしにしました。ほんとうは奥様に電話して聞けばいいのに、それは止めにしました。たかが一学生だった僕が墓参りに来たから教えてくれとは自分には言えないし、僕が来たと言うのがなぜかいやでした。僕はそのY先生には就職の世話もしていただき、僕が今こうして35年も仕事を続けさせてもらった原点は先生にありました。でも今さら偉そうに出て行くほどの人間でもないし、毎年一通の年賀状を感謝を込めて送っていただけの人間だし、同期にはNHKのプロジェクトXで紹介されたO君のようにY先生自慢の教え子もいるし、僕は自分の感謝の気持ちを表したかっただけでしたから。そんなできの悪いぼくだけどY先生は三重にいた頃は、非常勤講師で三重に来ると会社に寄ってくれ、飲みにも付き合ってくれたし、静岡勤務の時にも訪ねていただき、いつもやさしく見守っていただきました。最後に名古屋で偶然会った時もいっしょにお茶を飲みながら、財布に入れた教え子の写真を大事そうに見せていただきました。残念ながら僕の写真はありませんでしたけど、僕に写真をみせながら彼らの活躍ぶりを楽しそうに話しておられたのを今でも鮮明に思い出します。僕は自分の名刺も出さずに、いつまでも出来は悪いけど憎めないヤツでいいと思ってました。思えば35年以上前、ヨットでいつも真っ黒な顔で、いつも下駄履き素足で、研究室ではいたずらばかりしてました。その相棒になってくれていたY先生の下の助教授だったF先生ももちろん今は教授ですが今年定年退職すると言うことでお参りの後、送別会をしようと呼び出して飲み歩いてきました。F先生も恩師には違いありませんがY先生とは違って山に行ったり海に行ったりした仲ですから、店を変えながら5時間も飲み歩いて昔話に花を咲かせてきました。いっしょに登った谷川岳や前穂、北穂、槍ヶ岳、燕岳や夜間歩行等など尽きることない5時間でした。退職後はヨットにきっと来てくれると思います。
長い話に付き合っていただきありがとうございます。でももう終わりにします。
Y先生ほんとうにお世話になりました。
多分誰でもそうですが僕達はいろいろな人たちに囲まれて過ごした過去をあとになって感謝することが多いものです。自分が今こうしている時もいずれみんなに感謝する時があると思って付き合いたいものです。