”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2012年07月02日 21時21分40秒 | Weblog

7月2日(月)晴

今日は暑かったですね。湿度の高い暑さは特に応えます。今日で5日目になったけど、毎日昼食を抜いています。歩いて汗かいて、昼食抜いて、多分少しは減量効果が出て来ると期待しているのですが、まだあまり効果が出ていません。

ところで昨日の俳句の会は大変でした。言葉の遊びとして参加している僕にとっては、かなり厳しい指摘をされてしまいました。負けるのが嫌いな自分としては屁理屈を言い返していましたけど、かなりの刺激になりました。俳句は五七五、季語重なりはダメ、動詞は使うなと言った典型的な型を重視する点で、ずいぶん古典的な伝統をかたくなに守る人達が俳句をやる人達なのかと改めて感じました。僕は本格的に俳句をやるつもりはないのですが、そんな気持ちで俳句の会に出ていた自分が真剣にやっている人達には許せないかもしれないと感じてしまい、結構考えてしまいました。ただ負け惜しみではなくて、どの道も同じですが型を知り、型から抜け出してこそ本来の道が開けると自分は思っているので、そこで凝り固まってしまって偉そうに言われるのはあまり好きではありません。道を極める人には道の型を知り、型を破る境地を目指してほしいものです。(これを「型破り」と言う)門外漢の僕のようなやつは型破りでなく、「型なし」と言うのでしょうけど。

何か言い訳がましいことを書いているようですが、季語と言うものも時代と共に変わって来るのが世の常、ましてや現代においては季節感を失ってしまったものがすごく多いのです。いつまでも古典的な型を押し付けたものには発展性がないと思うのは僕だけなのかもしれませんが、ちょっと俳句と言うものがつまらなく思えてしまいました。多分、常に新しい技術を取り入れながら、新たな価値を生み出すことを仕事にしてきた人間にとって、過去の決められた型に終始する芸術の世界はあまりなじめない気がしました。ヨットの世界も自分が教えてもらった時代からずいぶん変わってきています。操船の技術自身、原理は変わりませんが、船体のFRP化、セールの材質、キールの形態によって従来の考え方と異なったやり方になっている物が多いのも事実です。そんな柔軟な考え方が一般化しないとおもしろくないような気がします。

言葉の遊びとして俳句もおもしろいかなと思ったのですが、型に捕われてしまうとあまり楽しいとは言えないと言うのが今回の感想でした。ただ日本語の表現については我々ももっと学ばなければならない気がしました。古代日本人の微妙な情緒を表現する古典的言葉は後世に残しておくべき大切な伝統だと思います。
今日はこれまでです。ちょっと独断と偏見が過ぎたかもしれません。

コメント (3)
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