”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話(ゴルフ編16-15)

2016年11月12日 13時32分52秒 | Weblog

11月11日(金) 晴

昨日は前夜の雨がウソのように良く晴れて暖かなゴルフ日和でした。ところが寒くなって来たと自分は真冬の恰好でこの日のゴルフコンペに臨み、1枚脱ぎ、2枚脱ぎそれでもヒートテックの下着は汗でびっしょり。中々この時期の服装は難しい。
ところでこの日は尾張旭市の森林公園ゴルフ場西コース。いつもは東コースですので西コースは初めて。だからと言って言い訳にはなりませんが前半はメタメタのゴルフをしてしまいました。ショットは悪い、おまけにロストボール2発ではちょっと落ち込みます。OBの近くでのロストボールならまだしもOBになるはずの無い場所でのロストボールは結構ショックが大きい。とにかく最初の3ホールで打ったボールが見つからないと初めてのコースでは思い切りスイングできなくなってしまいます。最初のミドル、ミドル、ロングで27も叩いてしまいがっかりです。その後徐々にスイングの修正はできたものの安定せずひどいスコア(63)になってしまいました。最後になんとかパーはずしのボギーになったのが唯一で少し後半に望みをつなぎました。

昼食後のハーフはやっとドライバーが安定してきたのでまぁ普通にラウンドできましたが、なぜか1m前後のパットが入らずダブルボギーばかりとなってしまいストレスのたまるゴルフでした。ボギー1つ、トリプル1つ、あとはすべてダブルボギーと言う情けない結果(54)でしたがドライバー、フェアウェイウッドが思ったように打てるようになったのでとりあえず一安心。まぁパットがなぜかカップに嫌われる日はよくあることなのであまり気にはなりません。良く入る日もあればこんな日もあるから楽しいと思えるようになりました。

ちょっと前半は自分の打ったボールが見つからず、同伴者に迷惑をかけてしまったけど、ゆっくり探すこともできないためロストボールにしなければならないのはくやしい。ただメガネの度をこれ以上強くすることもできないので常にフェアウェイにボールを打てるようにすることが課題かな。まぁスコアは悪い時もあるけれどゴルフはすべて自分の責任となる競技なので、素直に喜んだり悔やんだりできる唯一のスポーツなので楽しいのかもしれません。


しんさんのよもやま話

2016年11月10日 13時47分58秒 | Weblog

11月10日(木) 曇

円高株安はどこまで続くんでしょうか?少々秋風が身に沁みます。まぁなるようになるのでしょう。

さて今日は「蛍雪」と言う言葉の由来の話をしてみます。
 ♪ 蛍の光窓の雪~・・・♪ と言う歌は小学校の頃よく歌わされた唱歌ですよね。

「蛍雪の効」とも言って卒業式でよく使われることわざですが、意味はご存知のことと思いますが苦学して成功することですよね。
実はその原典は「蒙求物語」の中にある二つの説話から出た言葉です。

孫康(そんこう)は雪を照らす・・・・・・孫康映雪(そんこうえいせつ)
その昔、晋の国に孫康と言う人がいました。家が貧しくて油を買うお金もありませんでしたが、学問が好きで冬になると白雪に照らして書を読み日夜勉学に励みました。のちに丞相を助けて政務を掌る御史大夫にまでなりました。(途中省略)

車胤(しゃいん)は蛍を聚(あつ)める・・・・・・車胤聚螢(しゃいんしゅうけい)
同じく晋と言う国に車胤と言う人がいました。この人は慎み勤めて学業を倦まず、広く書を読み多く義理に通じていた人でした。しかし家が貧しくて油が得られないので夏には5,60匹の蛍を袋に入れて夜も勉学に励みました。そしてやがて官吏となり、義理に当否わきまえ知ることで朝廷内でも名の知られる存在となりました。後に文官の選任や賞罰を掌る部署の長官である吏部尚書にまでなりました。

この二つの説話から苦学して成功することを「蛍雪の効」と言うようになりました。
我々がなにげなく歌っていた蛍の光も実は1300年前の中国の修身書が原典だったんですね。

またつまらないことを書いてしまいましたが、まぁ平穏無事な一日ですと解釈して下さい。


しんさんのよもやま話

2016年11月09日 23時08分47秒 | Weblog

11月9日(水) 晴

いやぁー、トランプさんがアメリカの次期大統領になってしまいましたね。これからのアメリカはどうなるんでしょうかねぇ?まぁあまり変わらないのかもしれませんが・・・?

それにしてもイギリスのEU離脱選挙といい、アメリカの次期大統領選挙といい、マスコミの予想とまったく逆の結果が続きます。結局欧米のマスコミと国民の間には従来以上に隔たりができてしまったような気がします。マスコミが思っていることと国民が思っていることがまったく異なっていると言うことは誰もTV,新聞と言ったマスコミを信頼していないと言うことかもしれません。これからの時代はネットと言ったメディアだけがコミニュケーションツールとして価値を持つような感じになってきたようです。この結果はいずれフランスやドイツにも波及していくかもしれません。欧米はここ数百年の間、先進国として世界をリードしてきたのですが、そろそろ終焉を迎えているのかもしれません。まぁ世界の歴史を見れば同じ民族がずっと君臨した歴史はないのですから、早かれ遅かれいずれ来ることなのでしょう。

このことはいずれ日本でも大きな変革をせざるを得なくなりそうです。それぞれの国がナショナリズムに走った時には必ず戦争が起こります。人口が増えすぎた地球では人類による人類のための自然淘汰が始まりつつある兆候と見るべきかもしれません。もはや理性的に物を考える人より本能的に考える人が多くなったのですから。まぁ第二次世界大戦からやがて100年近くなってきた現在において過去を知る者がいなくなった時に歴史は繰り返します。そうならないことを祈りつつ、冷静に世の中を見て行きたいものです。

極めて個人的な意見ですが、もう二度と強いアメリカには僕はなれないと思うのですが人は皆過去の栄光に戻りたいんでしょうね。本当はそれよりもどう新しい現実に対処する思想を持つかが大事になっているような気がしてなりません。


しんさんのよもやま話

2016年11月08日 21時01分35秒 | Weblog

11月8日(火)曇

6日から今日まで高校のクラス会に参加するため伊豆に行ってきました。
6日は御殿場の田舎に泊まり、翌7日早朝に伊豆・韮山でゴルフ。この日はとにかく寒くて寒くて大変なゴルフになってしまいました。まだ大丈夫と思いウインドブレーカーを持って行かなかったことを悔やみました。まぁ今回はこれから始まる目白押しのゴルフコンペの練習と言うことでスコアは記入もしていません。ここ数年出したことのないような5パットとかいろいろ変なことばかりやってしまいました。言い訳はしたくないけどコースがトリッキーでフェアウェイもほとんど平らな所がない山岳コースでしかもグリーンも傾斜がきつい上に超高速グリーンときたら2パットではほとんど収まらない訳です。まぁ120にならなくて良かったと言うところです。多分これからのゴルフには良い教訓になりました。ゴルフが終わって風呂も浴びずに畑毛温泉(はたもおんせん)でクラス会でした。
この畑毛温泉と言うのは大正デモクラシーの創始者である吉野作造博士の理想郷として、これに共鳴した歌舞伎の女形俳優である河合武雄氏が建造した宿舎であったものが現在の畑毛温泉となっているのだそうです。



温泉と言っても畑毛温泉にはこの大仙家ひとつだけです。



相変わらずのみんなと再会し、飲んで食べて話して楽しい夜でした。もっとも今回は一次会で日本酒の熱燗を何本も飲んでしまい、久しぶりにダウン寸前。2次会の前半は横になってみんなの話を聞くだけでした。
そして今日は韮山代官所の江川邸を見学。江戸時代の韮山代官所は富士川以東の静岡県と山梨、神奈川県西部を管轄する幕府の直轄地だったそうで、江戸時代末期には現在世界遺産にもなっている反射炉を作り、ここで各藩から集めた武士の砲術指南が行われていました。幕末の志士、久坂玄瑞や橋本佐内など多くの志士が砲術を学んだそうです。江川氏は転封することなく代々この地で代官を勤め、現在は42代目が跡を継いでいるそうです。実は韮山代官所は江戸にも別邸があり、お台場も6つ作ったのだそうですが、ほとんど埋め立てられ、残った現在のお台場も見る影もありませんが地名として残っているからいいのかもしれません。
子供の頃の遠足で韮山の反射炉や江川邸に来たことはあるのですが、今回のように深く知ることもなく改めて知る良い機会になりました。


しんさんのよもやま話

2016年11月05日 23時02分00秒 | Weblog

11月5日(土) 晴

今日は毎年浜松で行われている「浜松コンファレンス」に参加してきました。学生時代を過ごした浜松は懐かしく、街並みはすっかり変わってしまったけれども年に一度同窓の面々と会えるのもまた楽しい。今年はノーベル物理学賞を昨年受賞した梶田先生の講演があると言うことで受付開始前から長蛇の列ができていました。
チェロとピアノのデュオコンサートの後、梶田先生が「ニュートリノの小さい質量の発見」と題して約1時間強の講演を聞かせていただきました。ニュートリノと言う素粒子の存在は理論的には1930年にわかっていたことですが、この素粒子が質量を持つことは長い間実証されなかったようですが岐阜の山奥の神岡鉱山の地下1000mに作られたスーパーカミオカンデにおける実証実験の中で発見された訳です。そしてこのカミオカンデで使われている光電子増倍管と言うごくわずかな光を検知できる真空管のようなものが実は浜松で作られています。まぁこの地は日本で初めてテレビ画像をブラウン管に映し出した高柳先生のいた所ですからこの種の電子管を作るのは伝統があると言うことです。まぁそんなこともあって電気・電子系の諸先輩も多数参加しています。
講演が終わった後は浜松在住の先輩の案内で浜松餃子を食べに行くのも恒例になりつつあります。昨年は浜松駅近くの人気店で40分も並んでしまったので、今回は郊外の人気店と言うことでタクシーで駆けつけました。ここは持ち帰りの客が圧倒的に多く、店舗内はそんなに待たずに入れました。しかし浜松の人は餃子50個とかたくさん持ち帰りの人が多いのには驚きました。ビールを飲みながら餃子を20個食べたらもう食べれませんでした。


帰りに店の写真を撮って来ました。でも少し郊外なので二度と行けないかもしれません。まぁ浜松餃子と言っても店により少しずつ違うようです。ただキャベツをベースにしている所だけが共通しているようです。ここの餃子は外が少々カリカリし過ぎのような気がしましたが食感が好みの方にはうけているようです。

さて明日からはまた静岡の田舎に行って、月曜は伊豆韮山にて高校時代の同級生との親睦ゴルフ、その後クラス会に参加して8日(火)に名古屋に戻ってきます。


しんさんのよもやま話(田舎暮らし編16-25)

2016年11月03日 21時55分14秒 | 趣味

11月3日(木) 晴

めっきり寒くなりました。1日早朝小雨の降る中、名古屋を発ち御殿場の田舎に行ってきました。しばらく田舎に行っていなかったら裏の畑は大変なことになっていました。多分イノシシだと思うけど一面掘り起こされています。



玉ねぎの苗は全滅、自然にできたわずかな里芋もすべて食い尽されてしまいました。人参と大根は少し荒らされただけで何とか大丈夫でしたが困ったものです。とりあえず残ったところはすべてネットで囲いました。
今回は母の介護施設の訪問と町内会費の支払い、それと田舎の家の補修工事の立ち会いと庭木の剪定。休む暇のない3日間でした。
1日、2日とあいにくの天気で田舎はかなり寒い。空調を暖房にして寒さをしのぎましたがいよいよ冬支度をしなければならないようです。
やっと今日(3日)になって天気が回復しました。富士山はすっかり冠雪して冬の富士になりつつあります。



寒いけどやっぱり富士には雪が一番良く似合います。
田舎の家の補修も2日間で終わり、キヌサヤの種も蒔き直し午後7時過ぎ新幹線で名古屋に戻りました。
今週はまだまだ予定満載。明日は銀行で外貨預金の打合せをしてちょっと居酒屋で一休み。土曜は浜松の講演会に参加して日曜からは高校のクラス会とゴルフで伊豆に行きます。まぁちょっとハードになってきたけどなんとかなるでしょう。