鉄道模型とテルマエの部屋

懐かしい電車と模型と銭湯と

ジオラマごっこ

2015-06-28 00:53:44 | 工作記録 津田沼第二工場





ジオコレの建物を弄るついでにレールを引いて電車をのせたら、愉しくてたまらん、とまらん(笑)

煙突をちょいとちょいと。
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銚電 デハ101 整備完了しました

2015-06-24 10:15:29 | 工作記録 津田沼第二工場

ダミー自連を再塗装。ハンブロール#62の上からタミヤ フラットアースを軽く。ブレーキハンドルを付けてみました。銀河の良好な仕上がりのパーツ。実物は真鍮地肌が黒ずんだ風合いですが、それだと全然目立たないので淡緑を選びました。よいコントラストになったと思います。

ヘッドライト。キッチンの小型タイプです。これはライトレンズを省略した真鍮挽物なのでその色を生かして中に直接エポキシを盛りました。大昔のTMSで、赤井主筆が近鉄モニ220を作られたときに使われていた技法です。
本当は二日酔いの眼のようなドロンとした感じを期待していたのですが、現代のエポキシは思った以上にクリアな表現になってしまいました。



屋上配管。ちょっと拙い部分もありますが、実物が笠上黒生に放置されていたころに取材して、配管の曲がり具合や留め位置まで正確に再現しました。
ビューゲルの引き紐が大変面白い仕様になっていたのですが、Nでは過剰表現でしょうね。

そのビューゲルはモデモ都電6000から流用。最も線が細く丈夫で、作動確実なところで選びました(たためませんが)
実物も都電から払い下げられたらしいので、期せずしてリアリティ溢れるモノになりました。

台車はキット付属の大変良好な仕上がりのパーツを丁寧に組みまして、やはりモデモ都電6000を流用した下回りに取り付け。クレオスの#40ジャーマングレーに塗り、フラットアースをさっとかけるいつもの技法です。
モデモ動力を流用したのでホィールベースが合っていませんが、さほど気になりません。

2006年に一度完成。その後GM小型動力からモデモ都電動力に交換し、車高下げと走行改善。
そして今回再更新の機会を得て、リフレッシュしました。これを生かして今年は夢を広げます。


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銚電デハ101の整備をやってみる

2015-06-21 20:08:05 | 工作記録 津田沼第二工場

親友Yが某コンテストに自作の仲ノ町ジオラマを出品するということで、便乗でこちらもコイツを出そうかと。
完成してしばらくディスプレイケースに鎮座していたので、これを機会に徹底的に整備をば。

車体と下回りを切り離し動力台車も取り外すと・・・ありゃりゃ、見えますかね、蜘蛛の巣がwww
磨いて磨きたおし、ギアまわりの古い油を拭き取ってユニクリーンオイルを一滴差しました。

台車も整備。車輪や集電部を拭いて、タッチアップ。

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テルマエのある街をつくる その1

2015-06-19 10:28:51 | 工作記録 津田沼第二工場
北の人から「60×30」のモジュールレイアウトを作らない?と聞かれ、1度も地面をやったことがないのにも関わらずハイハイと手を挙げたアタクシ。

ここのモジュール規格、長辺端にユニトラックを配置することになっているため、どうしても既存レールの長さ調整が必要です。
そこでS64のレールを引き抜き、タミヤの鋸で車輌工作と同じようにゴリゴリ切り出しました。レールは洋白のようなので、ニッパーでカットしてダイヤモンドヤスリで仕上げます。

道床を継いだところ。当たり前ですが真っ直ぐにズレのないようにコニシの耐衝撃瞬間で接着しました。

レールを通して、完成。これで見通しが立ちました。

厚さ1.5ミリのボール紙をレール下に引いて、犬走りの表現と高さ調整をかねます。

こんな感じ。
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さだまさしミュージアム

2015-06-15 09:35:40 | ヒビノニッキ

中2の頃「雨やどり」という唄に出逢い、世の中にはなんと愉快な唄を唄う歌手がいるんだなとびっくりして、それ以来三十有余年、彼のファンでありつづけております。
とかく彼は見た目のせいか声のせいか、誤解されがちで唄が世に出るたびに、右だ左だ根暗だ女性蔑視だと言われ続けておりまして。
中国で映画を作って、狡猾な人びとに騙され35億の借金を作り。それを自分の唄だけで30年かかって返し終えて。
気づいたら「国民的歌手」とかなんとか言われちゃってね。
なにもわかってないくせに、さだは「ロック」だってのに!なんてちょっと熱くなりました。
銀縁眼鏡の吟遊詩人はいつのまにぽっちゃりした「意見には個人差があります」深夜放送の初老のオジサンになり、当方も子供の頭のままデブ親父に成り果てました。
そんな2015年初夏、長く住まれていた市川市で「さだまさしミュージアム」なるものが開かれるということで、では早速。

芳澤ガーデンギャラリーが第一会場。最寄りは京成線の市川真間なのですが、ちょこっと歩いてみようと鬼越で下車。京成の各駅停車はのんびりして癒されます。

鬼越はまだ構内踏切が健在。同行の「鉄道模型 色差し三昧」とりのさんぽさんと。

線路沿いに歩いたほうが近いのでしょうが、ここは敢えて海老川沿いにのんびりと。



鳩!くるっく~!

見たことない不思議な花。



だんだん狭く小さくなる海老川。

通りがかりの廃業したらしい材木屋。

紫陽花の美しい季節。



遊歩道にあった不思議なもの。

ストレッチするひと。



いの一番って、まだあったっけ?

そうこうするうちに、着いた~!一時間ちょっとの小さな旅。







第一会場の芳澤ガーデンギャラリー、写真撮るのを忘れた(笑)
中ではさだの歴史を年表にして展示、小学生時代の絵や作文、愛読書等が並べられていて(物持ちがいい!)観察力の細やかさなんかが後のシンガーソングライターっぷりを彷彿させますな。
そして唄以外のパフォーマンス、絵や写真、小説などの展示。
昔持ってた本とかあって、懐かしい・・・
そして昔住まわれてたアパートの一室を再現した部屋が圧巻。
衣食住最低限のモノ以外は、小説とレコード、ギターにラジカセ位しかなく、でもそれだけで充分だと思わせる何かが部屋にあるんですよ。
窓際に干されたティーバッグの干したのと出前一丁がとても印象的。
そして鉄博かろ借りたというナハ10の大型模型と「さくら」のヘッドマークが、遥か遠きふるさと長崎を感じさせたことでした。
実はこれでは終わらず第二会場へ。

道なりな坂道がとても快い。
どこか長崎を思わせる道程。10分ほど歩くと第二会場へ。

明治時代に貴族院の大物が建てられた別荘の一部をリニューアルされたもの。



美しい建物です。ここにはさだまさしの初期LPアルバムや映画やレコードポスターの展示、長江を再編集した「ニイハオ、中国」の上映がありました。
とりわけ驚いたのは設置されたジュークボックスが実際に作動し、初期のEP 盤が聴けること。

はじめて触れました。ちょっと興奮。
シングルレコードの優しい音色に聴き入ります・・・





窓辺の席に掛けて。とりのさんぽさんと昔のさだまさしを聴きながら京成の模型談義。勿論学生時代に通学に使っていたさださんと掛けてのチョイスです。わたしの模型を長く御覧の方はよくご存じであろう自作のモハ510とキット組立加工のモハ704/1601。
素晴らしい筆捌きのとりのさんぽさん作モハ3200。
いやー、よくしゃべったわ。



よいちからを、たくさんいただきました。たぶんわたしの血となり肉となり、花と咲くことでしょう。
7/28まで開催中です。わたしもまた、必ず参ります!



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