犬と暮らすとき、
「あの子はできるのに、この子はできない」とか
「あの子はしないのに、この子はしでかす」とか
他の犬と比べたり、いろいろを犬のせいにしたりしていませんか?
カルチャークラッシュという、犬を飼い始めた人のバイブルのような本がありますが、
その第1章「犬の身になってわかること」にこんな箇所があります。
家具を噛んでは飼い主に叱られていたイヌがいた。何度も叱られるうちにこの犬は飼い主が家にいるときには家具を噛むのを我慢するようになった。しかし、家に誰もいなくなると相変わらず家具をボロボロにしてしまう。ある日、飼い主が外出から帰宅すると部屋がひどいことになっていた。イヌの方を見ると、耳を後ろに伏せ、下を向いてウロウロ歩き回っている。…この状況の解釈として10P~ウォルト・ディズニー流解釈とB・F・スキナー流解釈という項目があって、犬の行動をどうとらえるかを対比しています。
ウォルト・ディズニー流解釈:
イヌは家具を噛んだら叱られるという経験からそれが悪い行為であることがわかっている。しかし留守番をさせられるのがいやなので、飼い主が出かけると、腹いせの気持ちもあってつい家具を噛んでしまう。スキナー流解釈:
イヌは飼い主がそばにいるときに家具を噛むと身に危険が及ぶが、飼い主がいなくなれば安全だと考えている。独りで家に残されると少々不安になるが、家具を噛むと気持ちが落ち着く。また暇つぶしになる。ただこのような場面では叱られることが多いので、飼い主が戻った時には、罰を避けるために飼い主の機嫌を取るような行動に出る。飼い主が戻ってきたということ、または飼い主の表情(あるいはその両方)から、イヌには自分がこれから叱られるということがわかる。ただ、なぜ叱られるのかは理解していない。
17pには…イヌが知性と善悪の心を持っているのなら、当然それに伴う責任を負わされることになる。イヌが悪いとわかっていながら家具を噛むのだとしたら、つまり自分がいけないことをしたという意識と罪悪感を持っているのだとしたら、その行為は当然罰してもよいということになるだろう。 現にこうした理由でイヌはたくさんの罰を受け続けているのである。
ーここまで引用しましたが、ぜひ本書でこの第1章を読んでほしいと思います。
たぶん、ウォルト・ディズニー流解釈に、「そうだ、そうだ!」と同意する人が多いと思います。
だから、「罰する」ことが正当化されてしまうのだと思います。
そして、この犬が悪い!と、もっと強く罰しなければわからないと。
でも犬たちには、ヒト社会での「善悪」はわからないし、
「叱られる理由」もわからない。
そんな犬たちに、罰を与えてもいいことはなにもありませんよね。
先日、秋田犬のおジョーちゃんのゆめちゃんの
トレーニングに同行させていただいた時に
しょっぱなゆめちゃん流(足をかける)のご挨拶をしてくれました。
私がゆめちゃんと同じように4つ足で立っていたら、
きっと顔を近づけて口の周りやおしりのにおいを嗅いだのかな?
ゆめちゃん、パパとママ。そして真利子先生のことも知っている中で
見ず知らずの私が他の人とは親し気に話している。
「この人は誰?自分の味方?」ってきっと思ったに違いないです。
成犬だったら距離をおいて、事態の観察から入ったかもしれません。
ゆめちゃんは私に対して、直接確認することにしたのかなぁ。
…って私の一方的な解釈ですが…。
なに考えてるんだろうね(笑)
そして2回目の足かけ。
その前に、知らないおねえさんにちょっと声かけてもらえるかなぁって
そばに寄ってみたのに、無視されちゃって、「なんだよぉ~」の気持ちの
はけ口で、若くないけど、もうさっき自分の行動を許してくれたし・・・
そんな感じで近づいてきたと思います。
顔つきがもう、いたずらっ子満載の顔で、最初の時と違いましたもん。
仔犬の時の社会化は大切だと言われますが、
ぜんぶ「~~しないように」の教育ではうまくいかないと思うのです。
犬が「なぜ叱られるのか?」がわからないのなら、
「なぜ叱られるのかをわからせる」になりがちですが、
「やらないで」をわかってもらえばいいことで、
その方法に「叱る」は不要です。
大人になった大きな秋田犬にドォーンと足をかけられたら
知らない人ならびっくりするし、
受け止めるだけの力がなければひっくり返ってけがをするかもしれません。
だからやらせないように…は、わかりますが、それよりも
飛びつかない別の、おだやかで、相手の笑顔がもらえる
あいさつの方法を教えてあげればいいんだと思います。
「犬はなぜ叱られるかわからない」のですから。
まぁまぁお肉も食べてるし、
走りも健在!
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