5月8日付・読売社説(2) (読売新聞) - goo ニュース
「21世紀日本の進路」を考える場合、「王道」と「覇道」という中国古来の言葉が、一つの道筋を与えてくれる。
日中友好平和条約を締結すべきか否かをめぐって自民党内が、親中派と親台派が激突して大荒れしていたとき、親台派の福田赳夫首相(小泉首相の政治の師匠)が、東洋哲学者の安岡正篤氏を首相官邸に招いて教えを請い、「これらの日本は、覇道ではなく王道を歩むべきだ」と説かれて、条約締結を決断したという話を思い出して欲しい。
アジア戦略や「反日暴動」を陰で操り「対日政策」を展開している今日の中国・北京政府の動きは、明らかに「覇道」を歩んでいるように見える。このことを読売新聞8日付け朝刊の「日中外相会談」と題する社説が、見破っている。
「会談前日の東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓の非公式外相会議で、日本は、マレーシアで年末に開催を予定する東アジアサミットへ米国のオブザーバー参加を提案した。日米分断という中国の〃狙い〃を警戒してのことだ。
東アジアサミットは将来の共同体構想を掲げているが、共同体に不可欠な民主主義、という共通の価値観がない。中国は共産党一党独裁の非民主主義国だ。
日本が、この地域での主導権を握ろうとしている中国の思惑に引きずられて、現実性に乏しい共同体構想にのめり込み、日米の同盟関係を損なうようなことがあってはならない」
実に明快である。政治的・経済的・軍事的に25か国が統合しているEU(ヨーロッパ共同体)の真似をする発想は、将来的には悪いことではなく、むしろ、好ましいことではあるけれど、そこに「覇権主義」、すなわち「覇道」が持ち込まれるのは、危険である。 中国は、日中平和友好条約で決められている以下の「第2条」に明らかに反するような「覇権主義的な行動」を取ろうと画策している。
「第二条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」
この「覇権」という言葉から条約締結(昭和53年8月12日)に当り、福田首相が安岡正篤氏の助言を受けてまで熟慮し、苦心した形跡が忍ばれる。
ところが、急速な経済的発展を遂げつある中国が、自信を得て、いよいよASEAN諸国への政治的・軍事的な「野心」を露にしてきた表れの一つが、「アジア共同体構想」(AU)である。
中国は、核兵器という最終兵器を持ち、南沙諸島に海軍艦艇を配置して、海底の地下資源の独占を図ろうとしたり、台湾を威嚇したり、あるいは、日本領海・領空の侵犯を繰り返したりしている。フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイなどの華僑財閥の財力をバックに「中華大帝国」を築こうとの野望を露骨に示してきている。
この中国主導による「アジア共同体構想」(AU)に日本が引き込まれるのは、「日米同盟」の上からも危険である。すでにアメリカは、アーミテージ前国務副長官らが、「アメリカ抜き」で進められようとしている「アジア共同体構想」(AU)に対して、「反対」の態度を示している。
アジア通貨危機の当時、日本は大蔵省の榊原英質財務官らが中心になり「アジア通貨基金(AMF)」を創設して、ASEAN諸国を救おうとした際、アメリカのサマーズ財務長官から、「そんなことを勝手にやっていいと思うのか」と恫喝されて、創設を断念させられたという苦い経験がある。
太平洋を支配しているアメリカは、太平洋の延長にあるASEAN諸国も、「アメリカの覇権」の「傘」の下にある支配地域と思い込んでいるフシがあり、アメリカを抜きにして勝手な行動は許されないのである。
ということで、いままさに、ASEAN諸国において、「アメリカの覇権」と「中国の覇権」が激突寸前にあり、日米同盟で固く結ばれている日本は、中国・北京政府から「日米分断工作」を受けているとも言える。「靖国神社公式参拝」「歴史認識」「教科書問題」などは、北京政府によるむき出しの「嫌がらせ」であると同時に「中国に着けば許す」という強烈なメッセージでもあり、「北京オリンピック・新幹線建設」と「ODA(政府援助)の継続」をも暗に要求し、そのうえ、「アジア共同体構想」(AU)実現のための「資金源」にもしようと企てている。
さて、「おぞましき国」は、中国であるが、そもそも中国は、毛沢東が八路軍を率いて抗日戦線を展開していたころから、「覇権主義的」であった。
毛沢東は、「政権は銃口から生まれる」とか「世界革命は、暴力によってのみ達成される」などと、しきりに「力の哲学」を振り回していた。毛沢東の末裔とも言える現在の中国共産党による「一党独裁体制」下の北京政府が、この「世界暴力革命」の「魂」を放棄しているとは到底考えられない。北京政府は、核兵器を持たない日本を「日米同盟」から離間させて「日中同盟」に組み込み、やがては「保護国」にしようとさえもくろんでいるとも言える。日本民族は、こんな策謀に易々と乗せられてはならない。
中国革命の父・孫文は、大正13年11月28日、神戸で「大亜細亜主義」について講演し、日本民族に対して、切々とその反省を促すとともに、日本民族が率先してアジアならびに世界の歴史に対して、責任を持つことを希望している。この講演は、孫文の人生最後の講演となった。このなかで、孫文は、こう述べている。
「西洋文化の本質は、覇道文化です。アジア文化の本質は、王道文化です。結局、われわれアジア人は、いま、いかなる問題を解決しようとしているか、それは、圧迫されている民族のために、不平等を撤廃しようとしているのです。あなた方、日本民族は、すでに欧米の覇道文化を取り入れるとともに、また、アジア王道文化の本質を持っています。
今後日本が、世界文化の前途に対して、結局は、西洋覇道の犬(手先)となるか、それとも、東洋王道の守り手となるか、それは、あなた方、日本民族が、よくよく考えて、選択すべきことであります」
残念ながら、その日の日本は、ひたすら覇道の道を歩み続け、自滅したのである。
孫文が起こした中国革命をその弟子である国民党の蒋介石が引き継いで、「国共合作」の成果もあり、抗日戦争に勝利するが、戦後、国共の内戦を経て、毛沢東、周恩来率いる中国共産党が政権を奪って「中華人民共和国」を樹立したのであった。「暴力革命」を標榜する中国共産党が、「覇道」歩むのは、当然である。だが、共産主義が、ユダヤ人のマルクス、エンゲルスらによって確立され、やはり、レーニンやトロッキーら「暴力革命主義者」らによって、世界に伝染され、毛沢東、周恩来らが、この影響を強く受けているという点に関する限り、中国共産党と北京政府が、「西洋覇道」を実践しており、「国父・孫文」の「王道精神」は、まったく受け継いでいないとも言える。中国共産党と北京政府の指導者は、「脱亜入欧」した日本とはやや違った意味で、顔は東洋人でありながら、精神は、西洋人である。
米英との「シーパワー連合」を組む日本はいま、「西洋覇道の犬」に成り下がっているので、直ぐに「足し抜け」したいのは山々ではあっても、「核武装」して「独立独歩の道」を歩むことは、かなり難しい。当面は、「西洋覇道の犬」に甘んじながら、「アメリカ覇権」と「中国覇権」の激突の火花を浴びないように、巧妙に立ち回って、日本民族を守りつつ、そのなかで、「東洋王道」を探りつつ、いつの日か「東洋王道の守り手」となり、米中を感化し、「薫陶」することのできる「王道国家」を築くしかなさそうである。
なお、「地政学」は、「帝国主義時代」の「覇権戦略の教本」であり、現在もそのマニュアルが生きている以上、無視も軽視もできない。「西洋覇道」の国であるアメリカや英国、ドイツ、フランス、ロシア、中国が「地政学」を活用して世界戦略を展開しているとするならば、日本民族は、この事実をよく知り、対応しなければならないだろう。
「21世紀日本の進路」を考える場合、「王道」と「覇道」という中国古来の言葉が、一つの道筋を与えてくれる。
日中友好平和条約を締結すべきか否かをめぐって自民党内が、親中派と親台派が激突して大荒れしていたとき、親台派の福田赳夫首相(小泉首相の政治の師匠)が、東洋哲学者の安岡正篤氏を首相官邸に招いて教えを請い、「これらの日本は、覇道ではなく王道を歩むべきだ」と説かれて、条約締結を決断したという話を思い出して欲しい。
アジア戦略や「反日暴動」を陰で操り「対日政策」を展開している今日の中国・北京政府の動きは、明らかに「覇道」を歩んでいるように見える。このことを読売新聞8日付け朝刊の「日中外相会談」と題する社説が、見破っている。
「会談前日の東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓の非公式外相会議で、日本は、マレーシアで年末に開催を予定する東アジアサミットへ米国のオブザーバー参加を提案した。日米分断という中国の〃狙い〃を警戒してのことだ。
東アジアサミットは将来の共同体構想を掲げているが、共同体に不可欠な民主主義、という共通の価値観がない。中国は共産党一党独裁の非民主主義国だ。
日本が、この地域での主導権を握ろうとしている中国の思惑に引きずられて、現実性に乏しい共同体構想にのめり込み、日米の同盟関係を損なうようなことがあってはならない」
実に明快である。政治的・経済的・軍事的に25か国が統合しているEU(ヨーロッパ共同体)の真似をする発想は、将来的には悪いことではなく、むしろ、好ましいことではあるけれど、そこに「覇権主義」、すなわち「覇道」が持ち込まれるのは、危険である。 中国は、日中平和友好条約で決められている以下の「第2条」に明らかに反するような「覇権主義的な行動」を取ろうと画策している。
「第二条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」
この「覇権」という言葉から条約締結(昭和53年8月12日)に当り、福田首相が安岡正篤氏の助言を受けてまで熟慮し、苦心した形跡が忍ばれる。
ところが、急速な経済的発展を遂げつある中国が、自信を得て、いよいよASEAN諸国への政治的・軍事的な「野心」を露にしてきた表れの一つが、「アジア共同体構想」(AU)である。
中国は、核兵器という最終兵器を持ち、南沙諸島に海軍艦艇を配置して、海底の地下資源の独占を図ろうとしたり、台湾を威嚇したり、あるいは、日本領海・領空の侵犯を繰り返したりしている。フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイなどの華僑財閥の財力をバックに「中華大帝国」を築こうとの野望を露骨に示してきている。
この中国主導による「アジア共同体構想」(AU)に日本が引き込まれるのは、「日米同盟」の上からも危険である。すでにアメリカは、アーミテージ前国務副長官らが、「アメリカ抜き」で進められようとしている「アジア共同体構想」(AU)に対して、「反対」の態度を示している。
アジア通貨危機の当時、日本は大蔵省の榊原英質財務官らが中心になり「アジア通貨基金(AMF)」を創設して、ASEAN諸国を救おうとした際、アメリカのサマーズ財務長官から、「そんなことを勝手にやっていいと思うのか」と恫喝されて、創設を断念させられたという苦い経験がある。
太平洋を支配しているアメリカは、太平洋の延長にあるASEAN諸国も、「アメリカの覇権」の「傘」の下にある支配地域と思い込んでいるフシがあり、アメリカを抜きにして勝手な行動は許されないのである。
ということで、いままさに、ASEAN諸国において、「アメリカの覇権」と「中国の覇権」が激突寸前にあり、日米同盟で固く結ばれている日本は、中国・北京政府から「日米分断工作」を受けているとも言える。「靖国神社公式参拝」「歴史認識」「教科書問題」などは、北京政府によるむき出しの「嫌がらせ」であると同時に「中国に着けば許す」という強烈なメッセージでもあり、「北京オリンピック・新幹線建設」と「ODA(政府援助)の継続」をも暗に要求し、そのうえ、「アジア共同体構想」(AU)実現のための「資金源」にもしようと企てている。
さて、「おぞましき国」は、中国であるが、そもそも中国は、毛沢東が八路軍を率いて抗日戦線を展開していたころから、「覇権主義的」であった。
毛沢東は、「政権は銃口から生まれる」とか「世界革命は、暴力によってのみ達成される」などと、しきりに「力の哲学」を振り回していた。毛沢東の末裔とも言える現在の中国共産党による「一党独裁体制」下の北京政府が、この「世界暴力革命」の「魂」を放棄しているとは到底考えられない。北京政府は、核兵器を持たない日本を「日米同盟」から離間させて「日中同盟」に組み込み、やがては「保護国」にしようとさえもくろんでいるとも言える。日本民族は、こんな策謀に易々と乗せられてはならない。
中国革命の父・孫文は、大正13年11月28日、神戸で「大亜細亜主義」について講演し、日本民族に対して、切々とその反省を促すとともに、日本民族が率先してアジアならびに世界の歴史に対して、責任を持つことを希望している。この講演は、孫文の人生最後の講演となった。このなかで、孫文は、こう述べている。
「西洋文化の本質は、覇道文化です。アジア文化の本質は、王道文化です。結局、われわれアジア人は、いま、いかなる問題を解決しようとしているか、それは、圧迫されている民族のために、不平等を撤廃しようとしているのです。あなた方、日本民族は、すでに欧米の覇道文化を取り入れるとともに、また、アジア王道文化の本質を持っています。
今後日本が、世界文化の前途に対して、結局は、西洋覇道の犬(手先)となるか、それとも、東洋王道の守り手となるか、それは、あなた方、日本民族が、よくよく考えて、選択すべきことであります」
残念ながら、その日の日本は、ひたすら覇道の道を歩み続け、自滅したのである。
孫文が起こした中国革命をその弟子である国民党の蒋介石が引き継いで、「国共合作」の成果もあり、抗日戦争に勝利するが、戦後、国共の内戦を経て、毛沢東、周恩来率いる中国共産党が政権を奪って「中華人民共和国」を樹立したのであった。「暴力革命」を標榜する中国共産党が、「覇道」歩むのは、当然である。だが、共産主義が、ユダヤ人のマルクス、エンゲルスらによって確立され、やはり、レーニンやトロッキーら「暴力革命主義者」らによって、世界に伝染され、毛沢東、周恩来らが、この影響を強く受けているという点に関する限り、中国共産党と北京政府が、「西洋覇道」を実践しており、「国父・孫文」の「王道精神」は、まったく受け継いでいないとも言える。中国共産党と北京政府の指導者は、「脱亜入欧」した日本とはやや違った意味で、顔は東洋人でありながら、精神は、西洋人である。
米英との「シーパワー連合」を組む日本はいま、「西洋覇道の犬」に成り下がっているので、直ぐに「足し抜け」したいのは山々ではあっても、「核武装」して「独立独歩の道」を歩むことは、かなり難しい。当面は、「西洋覇道の犬」に甘んじながら、「アメリカ覇権」と「中国覇権」の激突の火花を浴びないように、巧妙に立ち回って、日本民族を守りつつ、そのなかで、「東洋王道」を探りつつ、いつの日か「東洋王道の守り手」となり、米中を感化し、「薫陶」することのできる「王道国家」を築くしかなさそうである。
なお、「地政学」は、「帝国主義時代」の「覇権戦略の教本」であり、現在もそのマニュアルが生きている以上、無視も軽視もできない。「西洋覇道」の国であるアメリカや英国、ドイツ、フランス、ロシア、中国が「地政学」を活用して世界戦略を展開しているとするならば、日本民族は、この事実をよく知り、対応しなければならないだろう。