「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言 (産経新聞) - goo ニュース
民主党の菅直人前代表が「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」とフジテレビの「報道2001」で発言したのには、正直のところ驚かされた。野党の元党首とはいえ、一体、どこの国の政治家なのか疑われる発言である。
菅前代表は昭和21年10月10日生まれで、戦争を知らない「プレ団塊世代」の一人である。
「あのとき、ああしていればよかった」「こうしておればよかった」、あるいは、「もし、あのとき、こうだったらどうだろう」など繰り言を言っても仕方がない。
昭和天皇陛下が、大東亜戦争の最高責任者であったことは、自明のことである。日本の戦国時代を想起するまでもなく、敗軍の将やその一族は、「切腹・斬首」が習わしであり、世界歴上も、遠くはロシア革命で倒されたロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世一族は、赤軍に銃殺され、第1次世界大戦に敗れたプロイセンのウィルヘルム2世は、ドイツ革命によって退位して、オランダへ亡命した。近くはルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻は、軍事裁判を受けて銃殺されている。欧米では本来、「君主は無問責」という原則があったが、これが近世に崩れて行った経緯がある。
日本は有史以来、天皇を処刑する風習はなく、せいぜい「退位」して「院政」を敷かれるか、「佐渡流罪」のような「流刑」により天皇が交代させられた例はある。
昭和天皇陛下が、敗戦の責任を痛感され、「退位」を一度は決意されていたというのは、近年よく知られているところである。
だが、日本は、大東亜戦争に敗北し、無条件降伏し、武装解除し、そして主権をも失い、日本の最高指導者であった昭和天皇陛下の「処分」の権限は連合国最高司令部(GHQ)にあったのである。実際には、最高司令官のマッカーサー元帥の手中にあったのであり、昭和天皇陛下自らは、どうすることもできなかった。
昭和天皇陛下の身の処し方としては、「服毒なり、拳銃を頭に当てるなり、切腹するなり」して「果てる」のは可能だったにしろ、「退位する」か、はたまたどこかの国に「亡命する」か、マッカーサー元帥に「命乞いする」かのいずれも決めることはできなかった。それどころか、マッカーサー元帥は、昭和天皇陛下が命乞いにくると思って待ち構えていたところ、案に相違して「自分の身はどのようになってもよい。国民に食糧を与えてほしい」と発言されたのに驚き、逆に敬意を表したという。この話は、日本人なら誰でもよく知っている話である。
つまり、昭和天皇陛下をどうするかの「生殺与奪権」は、マッカーサー元帥にあり、強いて言えば、「アメリカの世界戦略上の都合」によって、いかようにも処分できたのである。それを「昭和天皇は退位すべきだった」と言っても無意味である。
昭和天皇陛下が退位されなかったのは、アメリカの日本統治上の都合から「退位」が許されなかったのであり、勝手に退位できはしなかった。
それどころか、アメリカは間もなく、日本を真珠湾攻撃に追い込み、敗戦と武装解除のうえ、「戦争放棄」「武力不保持」により拘束したことが「対ソ戦」遂行上、「失敗だった」と深く反省して、「憲法改正による再軍備」を求めてきているのである。その役目を担わされたのが、「A級戦犯・岸信介」だったわけであり、岸元首相も、「日本を再軍備」させねばならないというアメリカの都合で巣鴨プリズンから釈放されたのだ。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」は世の習わしではある。昭和天皇陛下には、「自由意思」はなく、このことをまったく抜きにしても始まらない。丸で「豊臣秀吉は朝鮮征伐にいくべきではなかった」、「日本はアジア諸国が欧米に蹂躪されていても知らぬ半兵衛を決め込んでいればよかった」流の後講釈をしても何もならない。それは逆に「日本が勝ったいたら、どうなっていたのだろうか」と考えてみても、仕方がないのと同じことである。歴史に「もし」ということはあり得ないのである。菅前代表の発言は、およそ無意味な発言である。
それ以上に、日本の戦後復興に努力され、すでに崩御されている昭和天皇陛下に対して、失礼極まりない。野党前党首とはいえ、聞き捨てならない。
菅前代表は、どこの国の政治家かわからないような発言や行動をすることがあり、その一例が、日本人拉致の主犯格工作員・辛光洙が韓国に捕らわれていたにもかかわらず、身柄を釈放し北朝鮮に帰国させるよう韓国政府に働きかけていたという事実を安倍晋三衆議院議員(現・自民党幹事長代理)に平成9年6月3日の衆議院外務委員会で指摘されている。「もし、あのとき、菅前代表が、辛光洙の釈放を韓国政府に働きかけていなければ・・・」という残念な思いを拉致被害者家族ばかりでなく多くの国民が抱いている。
それにしても、あの「未納3兄弟」と他人の責任を厳しく追及して自分が「兄弟の一人」だったことに気づいて、ジタバタしたときの菅前代表の取り乱した姿は何だったのか。潔さも、責任感も微塵もなく、見苦しく、お遍路姿はもっと無様であった。
常々、疑問に思っているのだが、民主党の菅直人前代表は、北朝鮮と何か特別の関係のあるのであろうか?
菅直人前代表の尾てい骨には、まだ「アジテーター」の片鱗が残っているようだ。風格も品格も威厳すらない政治家に、一国の舵取りである「総理大臣」を委ねるわけにはいかない。また、決して委ねてはならない。こういうどこの国の政治家がわからないような政治家が、「政権取り」を目指している民主党代表を務めていたかと思うと、ゾッと背筋が寒くなる。民主党はまだまだダメだ。
菅前代表が厚生大臣であったとき、私は「がんばれ菅直人」というタイトルの本を書いてエールを送っただけに、失望感も大きいのである。
民主党の菅直人前代表が「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」とフジテレビの「報道2001」で発言したのには、正直のところ驚かされた。野党の元党首とはいえ、一体、どこの国の政治家なのか疑われる発言である。
菅前代表は昭和21年10月10日生まれで、戦争を知らない「プレ団塊世代」の一人である。
「あのとき、ああしていればよかった」「こうしておればよかった」、あるいは、「もし、あのとき、こうだったらどうだろう」など繰り言を言っても仕方がない。
昭和天皇陛下が、大東亜戦争の最高責任者であったことは、自明のことである。日本の戦国時代を想起するまでもなく、敗軍の将やその一族は、「切腹・斬首」が習わしであり、世界歴上も、遠くはロシア革命で倒されたロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世一族は、赤軍に銃殺され、第1次世界大戦に敗れたプロイセンのウィルヘルム2世は、ドイツ革命によって退位して、オランダへ亡命した。近くはルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻は、軍事裁判を受けて銃殺されている。欧米では本来、「君主は無問責」という原則があったが、これが近世に崩れて行った経緯がある。
日本は有史以来、天皇を処刑する風習はなく、せいぜい「退位」して「院政」を敷かれるか、「佐渡流罪」のような「流刑」により天皇が交代させられた例はある。
昭和天皇陛下が、敗戦の責任を痛感され、「退位」を一度は決意されていたというのは、近年よく知られているところである。
だが、日本は、大東亜戦争に敗北し、無条件降伏し、武装解除し、そして主権をも失い、日本の最高指導者であった昭和天皇陛下の「処分」の権限は連合国最高司令部(GHQ)にあったのである。実際には、最高司令官のマッカーサー元帥の手中にあったのであり、昭和天皇陛下自らは、どうすることもできなかった。
昭和天皇陛下の身の処し方としては、「服毒なり、拳銃を頭に当てるなり、切腹するなり」して「果てる」のは可能だったにしろ、「退位する」か、はたまたどこかの国に「亡命する」か、マッカーサー元帥に「命乞いする」かのいずれも決めることはできなかった。それどころか、マッカーサー元帥は、昭和天皇陛下が命乞いにくると思って待ち構えていたところ、案に相違して「自分の身はどのようになってもよい。国民に食糧を与えてほしい」と発言されたのに驚き、逆に敬意を表したという。この話は、日本人なら誰でもよく知っている話である。
つまり、昭和天皇陛下をどうするかの「生殺与奪権」は、マッカーサー元帥にあり、強いて言えば、「アメリカの世界戦略上の都合」によって、いかようにも処分できたのである。それを「昭和天皇は退位すべきだった」と言っても無意味である。
昭和天皇陛下が退位されなかったのは、アメリカの日本統治上の都合から「退位」が許されなかったのであり、勝手に退位できはしなかった。
それどころか、アメリカは間もなく、日本を真珠湾攻撃に追い込み、敗戦と武装解除のうえ、「戦争放棄」「武力不保持」により拘束したことが「対ソ戦」遂行上、「失敗だった」と深く反省して、「憲法改正による再軍備」を求めてきているのである。その役目を担わされたのが、「A級戦犯・岸信介」だったわけであり、岸元首相も、「日本を再軍備」させねばならないというアメリカの都合で巣鴨プリズンから釈放されたのだ。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」は世の習わしではある。昭和天皇陛下には、「自由意思」はなく、このことをまったく抜きにしても始まらない。丸で「豊臣秀吉は朝鮮征伐にいくべきではなかった」、「日本はアジア諸国が欧米に蹂躪されていても知らぬ半兵衛を決め込んでいればよかった」流の後講釈をしても何もならない。それは逆に「日本が勝ったいたら、どうなっていたのだろうか」と考えてみても、仕方がないのと同じことである。歴史に「もし」ということはあり得ないのである。菅前代表の発言は、およそ無意味な発言である。
それ以上に、日本の戦後復興に努力され、すでに崩御されている昭和天皇陛下に対して、失礼極まりない。野党前党首とはいえ、聞き捨てならない。
菅前代表は、どこの国の政治家かわからないような発言や行動をすることがあり、その一例が、日本人拉致の主犯格工作員・辛光洙が韓国に捕らわれていたにもかかわらず、身柄を釈放し北朝鮮に帰国させるよう韓国政府に働きかけていたという事実を安倍晋三衆議院議員(現・自民党幹事長代理)に平成9年6月3日の衆議院外務委員会で指摘されている。「もし、あのとき、菅前代表が、辛光洙の釈放を韓国政府に働きかけていなければ・・・」という残念な思いを拉致被害者家族ばかりでなく多くの国民が抱いている。
それにしても、あの「未納3兄弟」と他人の責任を厳しく追及して自分が「兄弟の一人」だったことに気づいて、ジタバタしたときの菅前代表の取り乱した姿は何だったのか。潔さも、責任感も微塵もなく、見苦しく、お遍路姿はもっと無様であった。
常々、疑問に思っているのだが、民主党の菅直人前代表は、北朝鮮と何か特別の関係のあるのであろうか?
菅直人前代表の尾てい骨には、まだ「アジテーター」の片鱗が残っているようだ。風格も品格も威厳すらない政治家に、一国の舵取りである「総理大臣」を委ねるわけにはいかない。また、決して委ねてはならない。こういうどこの国の政治家がわからないような政治家が、「政権取り」を目指している民主党代表を務めていたかと思うと、ゾッと背筋が寒くなる。民主党はまだまだダメだ。
菅前代表が厚生大臣であったとき、私は「がんばれ菅直人」というタイトルの本を書いてエールを送っただけに、失望感も大きいのである。