「A級戦犯、罪人ではない」厚労政務官発言 与野党、論争に (産経新聞) - goo ニュース
「勝てば官軍」「負ければ賊軍」というところから考えるしかないのも事実である。
「正義」は、常に勝者にある。それは「正」という文字が、「征服」を示しているからである。歴史書は、勝者の歴史が、「正史」、それ以外の事実を含んでいるのを、「外史」という。
大東亜戦争(太平洋戦争)の勝者は、連合国軍であり、「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が、「正史」であり、戦後の日本は、敗戦国としてこれらの歴史観に屈伏せざるを得ない弱い立場にある。従って、残念ながら、「皇国史観」や「反極東軍事裁判史観」の立場は取れないのである。
だからと言って、戦前の日本の行動がすべて「不正義」で「悪」であったと決めつけて済むことなのであろうか。
現在の風潮は、中国や韓国、それに日本の左翼陣営の論調あるいは、プロパガンダにより、「極東軍事裁判」を最大の論拠に旧日本軍(台湾の高砂族や朝鮮半島の多数の志願兵や一般の兵士が含まれる)の「アジア解放」という「聖戦」を全面否定する傾向が強い。 ならば、欧米列強の白人支配がアジアから駆逐されないで中国はじめ韓国、あるいはASEAN諸国からさらにはインドまでずっと続いておればよかったとでもいうのだろうか。また日本は、お節介だったと、批判あるいは、非難するのだろうか。
戦後、ASEAN諸国が次々に独立して立ち上がっていく勇気と力は、旧日本軍の「アジア解放」という大決断と実行を見て湧き上がったのをすっかり忘れてしまっている。それは真の歴史認識を歪曲することになる。
「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が正しいということならば、本来、日本がとるべき道は欧米列強の白人支配を認めてこれに逆らうような行動は一切とるべきではなかった。つまり戦前まで、中国をはじめアジア諸国は、英国、アメリカ、フランス、オランダなど欧米列強の白色人種の帝国主義により植民地化されて、蹂躪されていたけれども、日本は、これらの国々が、いかに蹂躪されていようとも、お節介して、「アジアから白人を追い出す」という「アジア民族解放」のため戦争にしゃしゃり出ることはなかったという結論に至り、「奴隷状態」のまま放置しておけばよかったとなる。
つまり「五族協和」とか「大東亜共栄圏」とか大それた理想を掲げることもなく、「聖戦」と称し大軍を大陸や海外に派遣することもせず、ひたすらアメリカの言う通り、満州から関東軍を撤退したり、中国から得ていたすべての権益を放棄したりしておけば無謀な戦争に突入しないで済んだはずである。そうすれば、その代償としてアメリカから、石油の輸入を保障され、「日本一国の平和と繁栄」を楽しむことができたかも知れない。
ただし、世界大恐慌による経済的影響や凶作などにより、大量失業や東北地方の若い女性の身売りという深刻な事態を克服できたか否かは、不明である。少なくとも、陸海軍の兵力削減により国家財政はかなり軽くなったであろう。
だが、当時の日本には、恐るべき特別高等警察や憲兵隊という「弾圧機関」が存在していたので、これら国家権力と戦えればという条件付の話である。朝日新聞や毎日新聞などの言論機関も、戦争に協力する言論や報道をしていたことも忘れるべきではない。
冷静に考えれば、確かに日本の最大の間違いは、「海洋国家」であるにもかかわらず、「大陸」へ進出したことであった。日本がいかに「大陸国」となり、「ランドパワー」を手に入れて、大陸に覇権を築こうとしても、しょせんは無理であり、そもそもから不可能であった。
それならば、海洋国家として「シーパワー」をやはり海洋国家のアメリカとの間で、たとえ屈辱を受けるようなことがあっても、臥薪嘗胆して「シーパワー」を分け合い努力をすべきであった。結局それができなかったのである。
そのうえ、「アジアは一つ」という考えも大きな間違いであった。アジアは決して「一つ」ではない。「脱亜入欧」を果しつつあった日本は、もはや「アジアの一員」ではなく、「黄色い白人」として「欧米の一員」になろうとしていた。その大方針を転換して、「大東亜共栄圏」を築き、自ら「盟主」にとなろうとしたのが、「大敗北」を喫してしまう元凶であった。身の程知らずの蛮行だった。地政学上、旧陸軍が軍事戦略を誤ったのは否定できない。
しかし私的には「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」は決して正しいとは思わない。けれども正義が勝者にあるのであるから、この史観は今後も主流となり続けるであろうことは、認識しておかなければならない。
これからのことを考えれば、「日本は海洋国家」であるという基本的な「地政学上」の「絶対条件」は崩してはならない。それが、たとえ、中国が内戦状態になろうとも「大陸」に関心を示してはならない。「対岸の火事」として静かに見守るのである。日本の江戸時代、清に滅ぼされ台湾に逃れた明の遺臣・鄭成功が徳川幕府に救援を求めてきたとき、幕府は、鎖国を理由にこれに応じなかった。このため日本は、清国から攻められることはなかった。これからの日本は、この故事に見習うべきである。
朝鮮半島で第2次朝鮮戦争が勃発する危険性が高い。この際、難民が日本海を渡って日本列島を目指してくる危険がある。これも極力押し返し、できれば、強制的に韓国側に上陸させるように海上警備を厳重にする必要がある。
ASEAN地域で、中国が、覇権を築こうとしている。「東アジア共同体構想」である。ASEAN地域の経済を牛耳っているのが「華僑」であるから、中国主導でこの構想が進められることになるだろう。華僑は、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピンの一帯に権益を築いており、これらの華僑財閥が、北京政府に呼び戻されて、いまの中国経済を主導している。中国経済は、華僑経済と言ってもよい。
中国・北京政府と人民解放軍の武力を後ろ楯にして、ASEAN地域に「東アジア共同体」を築こうとしているのであるから、このなかに、日本やアメリカが紛れ込んでも、お邪魔虫扱いされるのがオチである。華僑は、「同族」「同郷」の者以外は信用せず、共に手を取ってビジネスしようとは心の底では思っていない。
日本は、明治維新以来、すでに「アングロサクソン」と「ユダヤ民族」との関係が深く、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥とは、資本提携・業務提携により深く結びついている。華僑財閥から見れば、日本は、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥の一角をなしているとしか見えない存在なのである。はっきり言えば、「華僑の敵」である。
中国共産党一党独裁の北京政府が進めている「世界覇権戦略」と「華僑覇権戦略」がピッタリ一体となって、「東アジア共同体」という美名に隠れた戦略を着々と進めているのが、明らかになってきている以上、日本がノコノコと出かけて行って、格好の餌食にされてしまう必要はない。実は、このことは、小泉首相が、とっくに気づいていることとみてよいだろう。
日本は、戦前の「大東亜共栄圏」の悪夢を教訓に、華僑主導の「東アジア共同体構想」に仕掛けられたワナに嵌まらないよう、でき得るかぎり、日米同盟を一層強固にして、「米英」ともども「海洋国家」として「シーバワー」のエネルギーのなかで、平和と繁栄を維持し、発展させていく道を驀進すべきである。繰り返して言うが「大陸」に手や足を伸ばしてはならない。命取りになる。
「勝てば官軍」「負ければ賊軍」というところから考えるしかないのも事実である。
「正義」は、常に勝者にある。それは「正」という文字が、「征服」を示しているからである。歴史書は、勝者の歴史が、「正史」、それ以外の事実を含んでいるのを、「外史」という。
大東亜戦争(太平洋戦争)の勝者は、連合国軍であり、「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が、「正史」であり、戦後の日本は、敗戦国としてこれらの歴史観に屈伏せざるを得ない弱い立場にある。従って、残念ながら、「皇国史観」や「反極東軍事裁判史観」の立場は取れないのである。
だからと言って、戦前の日本の行動がすべて「不正義」で「悪」であったと決めつけて済むことなのであろうか。
現在の風潮は、中国や韓国、それに日本の左翼陣営の論調あるいは、プロパガンダにより、「極東軍事裁判」を最大の論拠に旧日本軍(台湾の高砂族や朝鮮半島の多数の志願兵や一般の兵士が含まれる)の「アジア解放」という「聖戦」を全面否定する傾向が強い。 ならば、欧米列強の白人支配がアジアから駆逐されないで中国はじめ韓国、あるいはASEAN諸国からさらにはインドまでずっと続いておればよかったとでもいうのだろうか。また日本は、お節介だったと、批判あるいは、非難するのだろうか。
戦後、ASEAN諸国が次々に独立して立ち上がっていく勇気と力は、旧日本軍の「アジア解放」という大決断と実行を見て湧き上がったのをすっかり忘れてしまっている。それは真の歴史認識を歪曲することになる。
「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」が正しいということならば、本来、日本がとるべき道は欧米列強の白人支配を認めてこれに逆らうような行動は一切とるべきではなかった。つまり戦前まで、中国をはじめアジア諸国は、英国、アメリカ、フランス、オランダなど欧米列強の白色人種の帝国主義により植民地化されて、蹂躪されていたけれども、日本は、これらの国々が、いかに蹂躪されていようとも、お節介して、「アジアから白人を追い出す」という「アジア民族解放」のため戦争にしゃしゃり出ることはなかったという結論に至り、「奴隷状態」のまま放置しておけばよかったとなる。
つまり「五族協和」とか「大東亜共栄圏」とか大それた理想を掲げることもなく、「聖戦」と称し大軍を大陸や海外に派遣することもせず、ひたすらアメリカの言う通り、満州から関東軍を撤退したり、中国から得ていたすべての権益を放棄したりしておけば無謀な戦争に突入しないで済んだはずである。そうすれば、その代償としてアメリカから、石油の輸入を保障され、「日本一国の平和と繁栄」を楽しむことができたかも知れない。
ただし、世界大恐慌による経済的影響や凶作などにより、大量失業や東北地方の若い女性の身売りという深刻な事態を克服できたか否かは、不明である。少なくとも、陸海軍の兵力削減により国家財政はかなり軽くなったであろう。
だが、当時の日本には、恐るべき特別高等警察や憲兵隊という「弾圧機関」が存在していたので、これら国家権力と戦えればという条件付の話である。朝日新聞や毎日新聞などの言論機関も、戦争に協力する言論や報道をしていたことも忘れるべきではない。
冷静に考えれば、確かに日本の最大の間違いは、「海洋国家」であるにもかかわらず、「大陸」へ進出したことであった。日本がいかに「大陸国」となり、「ランドパワー」を手に入れて、大陸に覇権を築こうとしても、しょせんは無理であり、そもそもから不可能であった。
それならば、海洋国家として「シーパワー」をやはり海洋国家のアメリカとの間で、たとえ屈辱を受けるようなことがあっても、臥薪嘗胆して「シーパワー」を分け合い努力をすべきであった。結局それができなかったのである。
そのうえ、「アジアは一つ」という考えも大きな間違いであった。アジアは決して「一つ」ではない。「脱亜入欧」を果しつつあった日本は、もはや「アジアの一員」ではなく、「黄色い白人」として「欧米の一員」になろうとしていた。その大方針を転換して、「大東亜共栄圏」を築き、自ら「盟主」にとなろうとしたのが、「大敗北」を喫してしまう元凶であった。身の程知らずの蛮行だった。地政学上、旧陸軍が軍事戦略を誤ったのは否定できない。
しかし私的には「極東軍事裁判史観」や「毛沢東革命史観」は決して正しいとは思わない。けれども正義が勝者にあるのであるから、この史観は今後も主流となり続けるであろうことは、認識しておかなければならない。
これからのことを考えれば、「日本は海洋国家」であるという基本的な「地政学上」の「絶対条件」は崩してはならない。それが、たとえ、中国が内戦状態になろうとも「大陸」に関心を示してはならない。「対岸の火事」として静かに見守るのである。日本の江戸時代、清に滅ぼされ台湾に逃れた明の遺臣・鄭成功が徳川幕府に救援を求めてきたとき、幕府は、鎖国を理由にこれに応じなかった。このため日本は、清国から攻められることはなかった。これからの日本は、この故事に見習うべきである。
朝鮮半島で第2次朝鮮戦争が勃発する危険性が高い。この際、難民が日本海を渡って日本列島を目指してくる危険がある。これも極力押し返し、できれば、強制的に韓国側に上陸させるように海上警備を厳重にする必要がある。
ASEAN地域で、中国が、覇権を築こうとしている。「東アジア共同体構想」である。ASEAN地域の経済を牛耳っているのが「華僑」であるから、中国主導でこの構想が進められることになるだろう。華僑は、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア、ベトナム、インドネシア、フィリピンの一帯に権益を築いており、これらの華僑財閥が、北京政府に呼び戻されて、いまの中国経済を主導している。中国経済は、華僑経済と言ってもよい。
中国・北京政府と人民解放軍の武力を後ろ楯にして、ASEAN地域に「東アジア共同体」を築こうとしているのであるから、このなかに、日本やアメリカが紛れ込んでも、お邪魔虫扱いされるのがオチである。華僑は、「同族」「同郷」の者以外は信用せず、共に手を取ってビジネスしようとは心の底では思っていない。
日本は、明治維新以来、すでに「アングロサクソン」と「ユダヤ民族」との関係が深く、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥とは、資本提携・業務提携により深く結びついている。華僑財閥から見れば、日本は、ロックフェラー財閥やロスチャイルド財閥の一角をなしているとしか見えない存在なのである。はっきり言えば、「華僑の敵」である。
中国共産党一党独裁の北京政府が進めている「世界覇権戦略」と「華僑覇権戦略」がピッタリ一体となって、「東アジア共同体」という美名に隠れた戦略を着々と進めているのが、明らかになってきている以上、日本がノコノコと出かけて行って、格好の餌食にされてしまう必要はない。実は、このことは、小泉首相が、とっくに気づいていることとみてよいだろう。
日本は、戦前の「大東亜共栄圏」の悪夢を教訓に、華僑主導の「東アジア共同体構想」に仕掛けられたワナに嵌まらないよう、でき得るかぎり、日米同盟を一層強固にして、「米英」ともども「海洋国家」として「シーバワー」のエネルギーのなかで、平和と繁栄を維持し、発展させていく道を驀進すべきである。繰り返して言うが「大陸」に手や足を伸ばしてはならない。命取りになる。