小泉首相は、泰然自若として「靖国神社公式参拝」を「外交カード化」し、対中国外交上「優位」に

2005年05月29日 18時00分19秒 | 反日問題
「今年は断念を」57% 首相の靖国参拝で急増 (共同通信) - goo ニュース

 共同通信社が27、28の両日行った全国緊急電話世論調査(有権者のいる世帯1476件のうち、1016人から回答)を実施した。それによると、小泉首相の靖国神社公式参拝について、「今年も参拝すべきだ」というのが、34.3%(前回2004年12月51.0%)、「今年は見送るべきだ」が、57.7%(同40.8%)、「分からない・無回答」が、8.0%(同8.2%)という結果だった。この記事は「『今年は断念を』57% 靖国参拝慎重派が急増」という見出しつきである。
 「今年も参拝すべきだ」が、16.7%も減り、逆に慎重派が16.9%増加したのき、明らかに中国共産党一党独裁の北京政府が日本国民に向けて行った「呉儀副首相のドタキャン」とその原因についての孔報道局長の「小泉首相の靖国神社発言が原因」との見解報道とを巧妙に駆使した「思想・心理作戦」による「宣伝謀略」が功を奏したとも言える。この「宣伝謀略の道具」として、日本のマスコミや与党の公明党も含め民主党・社民党・共産党など野党の国会議員が利用された。これは日本の世- 論操縦して、日本国民を攪乱し、「目潰し」する明白な「間接侵略」の一種である。
 この攪乱・目潰した間隙に、呉儀副首相はロシアの先手を打って「モンゴル」に飛び、当選を果して新大統領と握手して、「モンゴル権益」を手中に入れたのである。孫子の兵法「兵は拙速を聞く」の教えを忠実に実戦に生かす、「スピード外交」である。
 日本に対し非礼を覚悟で、事態の急変に臨機応変に対処して、「利」の方を追うという誠に素早い外交戦術と言える。
 もう一つ、呉儀副首相が飛び去った直後、中国が、東シナ海の日中中間線付近の中国側海域での「春暁」などのガス田開発が急ピッチで進められ、櫓の上にヘリポートや宿泊施設まで完成していたことが判明した。日中協議が30日から始められる予定にもかかわらず、中国側がこれを無視した形である。直前まで呉儀副首相を案内していた中川昭一経済産業相が「右手で握手しながら、左手で殴っている」と怒り心頭で中国を非難するのは、当たり前である。中国の不誠実な振る舞いを知って、ニヤニヤ笑っていられるとしたら、精神は正常ではない。また、それでも「日本が悪い」などと言って中国をかばうようなマスコミ、ジャーナリスト、有識者、学者がいるとしたら、それらの言動は、完全に「利敵行為」であり、もっと言えば、「中国の手先」である。
 孔子は、「間を見破る法」について、次のような言葉を残している。
 「そのもってするところ(日常の行状)を視、その由るところ(経歴)を観、その安んずるところ(心のよりどころ)を察すれば、いずくんぞ隠せん(かくせない)」
 「間」とは、「間者」すなわち「スパイ」のことである。人を信ずることをモットーとした孔子も、「スパイ」には相当悩まされたらしい。現代に生きる日本国民も、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどから日々流れてくる「ニュース」に含まれている「宣伝謀略」を見破る努力と警戒を怠ってはならないのである。
 さて、こうした中国共産党一党独裁の北京政府の「悪辣な宣伝謀略攻勢」にもかかわらず、小泉首相は、「泰然自若」の姿勢を崩していない。この結果、意外な状況ができつつある。
 それは、小泉首相が「対中国外交」をはじめとする「アジア外交」において「主導権」を握り「優位」に立ってきたという奇妙な現象である。小泉首相の姿勢により、「靖国神社」が強力な「外交カード」に化けてきているのである。
 小泉首相が、靖国神社公式参拝について「他国が干渉すべきでない」と発言したのをキッカケに、にわかに「靖国神社」が強力な「外交カード化」してきたのである。ここまで言われると北京政府の胡錦濤国家主席らは、次の矢を放ちにくい。さりとて、日本に対して弱腰姿勢を示すと人民解放軍からの突き上げにあい、まかり間違えば、天安門事件で失脚した趙紫陽の二の舞いになり、失脚する恐れがある。このことから、「靖国神社」が、単なる「外交カード」どころか、胡錦濤国家主席らの首に突きつけた「刃」と化してきてもいる。そのことを小泉首相は、実は、「計算済み」のような平然とした顔つきである。
 おまけに、小泉首相の泰然自若とした姿勢は、国会でも「郵政民営化法案審議」から国民の目を「靖国神社」に反らす思いがけない「ご利益」を生んでいる。自民党、公明党、共産党、それに田中眞紀子元外相らしか本会議に出席せず、民主党、社民党は審議拒否をしつ続け、「院外闘争中」であるから、このまま一気に採決すれば自民党の抵抗勢力と共産党、それに田中眞紀子元外相らが反対したとしても、賛成は出席議員の過半数を獲得できる。ついでに参議院でも民主党、社民党が欠席すれば、同様の結果になる可能性が高いのである。郵政民営化法案審議に大部分の国会議員が興味がないので、議場で難行苦行したり、眠ったりしているよりはましということで、賛否を取れば、過半数の議員が挙手か起立して、「一丁上がり」となるに違いない。
 そればかりではない。小泉首相という政治家は、ピンチと思われるときに、いつも幸運に恵まれる。それは、フィリピンのミンダナオから突然飛び込んできた。「元日本兵2人が見つかった」というニュースにより、日本のマスコミは、一斉に取材に殺到し、日本国民の関心の的が、「中国の靖国神社参拝批判」から「元日本兵」に向けられ、その「元日本兵」が「靖国神社」に祀られているというこれもまた奇妙な結果が判明してきたのである。
 折しも、今年は大東亜戦争終結後、「60周年」を「8月15日」に迎える。これを間近に控えての「大ニュース」である。
 日本国民はもとより、もしかしたら、ASEAN諸国の人々まで大東亜戦争について考える機会を与えられることになったのかもしれない。
 そこで、とくに日本の左翼陣営やマスコミ、ジャーナリストたちの多くから批判の対象にされている「大東亜戦争」を「アジア解放戦争」とする「大東亜戦争正当論」の一部を紹介しておこう。この論旨は、私のような昭和21年生まれの「戦争を知らない世代」には、一種の新鮮さを持って響いてくる。
 歴史研究家・草地貞吾先生(元関東軍作戦班長、大佐)は、「大東亜戦争正当論-大東亜戦争は空前の人類革命」(日本民族覚醒の会刊)のにかで、以下のように述べている。

 「わが日本国家・民族が、総力を動員結集した大東亜戦争がなかったとすれば、間違いなく、アジア・アフリカ有色人種・民族四十億が、今日現在(二十世紀後半)の如き、自由・平等・解放・自主・互恵・博愛の人類理想を実現獲得することは不可能であった。このことは私が、戦後五十年間にわたり、東西古今の歴史を一意専心、周到且つ真剣に研究吟味した上での結論である。
 大東亜戦争緒戦の威力と成果、そしてこれが、白色人種と有色人種とに与えた物心両面の影響感作は絶大なるものかあった。
 すなわち、昭和十六年(皇紀二六〇一 西暦一九四一)十二月八日の開戦以来、ハワイ奇襲作戦・英国東洋艦隊の撃滅・引き続いてのマレイ上陸からシンガポール攻略作戦・香港攻略戦・フィリピン上陸並びに蘭領インドネシア占領作戦・ビルマ進攻作戦・海軍による南太平洋及びインド洋作戦の如きは、その速度(時間)・戦域(空間)・成果(質量)共、全く空前の破天荒ともいうべきものであった。それは人類の予想を遙かに越えたもので、あの暴慢なる白人たちの度胆を抜いた。流石に剛腹なイギリスのチャーチル首相でさえ、十二月十日にプリンス・オブ・ウエルズが僚艦レパルスと共に撃沈されたという報道を耳にした時には、『戦争の全期間を通じてこれ程大きなショックを受けたことはなかった。ベッドに寝転んで転々身もだえした。この報道の恐ろしさが自分の上に襲いかかって来た。・・・』という、率直な回想録を書いている。
 それと同様に、有色人種の突然変異ともいうべき完全覚醒を促した。一言には人類自由・平等の自覚である。結局のところ、敵方(白人)勢力の急低落に逆比例して我が方(有色人種)勢力は急上昇したのだから、その落差は二乗に二乗、すなわち四乗となって現れた。物理学上における力関係と形而上における風圧関係のいずれも、完全に逆転したのである。
 かくて、大東亜戦争は、この緒戦において完勝した。戦争目的の大部を達成したと言える。
 ところが、戦後の日本には反戦主義者・敗戦自虐症患者が充満していて、徒らに表面的の敗戦のみを難じ、緒戦におけるこの見事なる実質的の大勝利・大成果を口にする人は少ない。
 私の史眼には、緒戦で大体の戦争目的は達成された(東亜解放・人類平等)のだから、これ以上に勝ち過ぎることは禁物(過ぎたるは及ばざる如し)で、『もう、このくらいにして、あとは適当に負けてやれ・・・』と、天なる神様が行司となって、軍配団扇をあげた程度にしか映らないのである。すなわち、シナ大陸そのものは大東亜戦争遂行の足場に過ぎなかった。目的達成後、これが取り払われたのはむしろ当然で、その足場が自由・解放されてシナ・朝鮮・台湾等が出現したのも、大東亜戦争の結果の産物である。
                       (つづく)

(*なお、歴史研究家・草地貞吾先生の「大東亜戦争正当論」の主要部の引用を以後、数回連載します)


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