靖国参拝、改めて慎重な対応要求 中国の唐国務委 (朝日新聞) - goo ニュース
自民党の武部幹事長、公明党の冬柴幹事長が、21日、中国を訪問し、北京政府の唐家セン国務委員、中国共産党の王家瑞・対外連絡部長と会談した。唐家セン国務委員、王家瑞・対外連絡部長ともに、「血塗られた中国共産主義革命」を指導し、多数の中国民族を虐殺した毛沢東の遺志を受け継いでいる中国の要人である。胡錦濤国家主席をはじめ、最高幹部らも同様である。彼らは中国共産主義革命を終えたわけでも、放棄したわけでもない。「日中関係」を見ていく場合、このことを念頭においておく必要がある。
中国・北京政府が、日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝などにイチャモンをつけてくる真の理由と目的は、公式には表明されていないので、一体、何が不満なのか首を傾げている国民は少なくない。
だが、中国人が最大の価値を置いているのが「カネ」であることに気づけば、考えるまでもなく、「カネが欲しい」のである。それを正面切って言うといかにも卑しくなるから、婉曲にナゾをかけて相手に悟らせようとする。日本人は、案外に鈍感だから、「はっきり言ってくれないと分からない」などと真意を聞き出そうとする。 中国人は、むかしから「現世利益」しか信じない民族である。それに輪をかけて、霊や魂を信じない「唯物史観」に立つマルクス・レーニン主義の共産主義体制を維持している。霊や魂を信じていない中国人が、東条英機元首相らの「御霊」が、見えるはずはないのに、「御霊」の存在を前提とするような非難や批判を繰り返すというのは、奇妙な話である。となれば、日本人の弱みを突く、単なる言いがかりにすぎず、卑怯極まりない。
中国は、上は共産党、北京政府から、下は、末端の属僚まで、「賄賂」が横行しているといい、何か物を頼もうとすると、「袖の下」をつかませなくてはならない。掴ませれば、話は早いと言われている。どうも、小泉首相は、そのことを百も承知して、中国に麻胡麻擂り外交をしたくなかったようである。
これも中国3000年の歴史を振り替えれば、明らかなことではあった。中国人の心のなかに、いまでも「朝貢外交」という意識が残っているものとみえる。中国には、「東夷西戎南蛮北狄」という周辺国を蔑視する言葉がある。中国人にとって、日本は依然として「東夷」(ひがしのえびす)つまり、東の方の野蛮人なのだ。こうした意識は、中国に行った日本人が少なからず感ずることである。いかに貧しくとも、何しろ「中華大帝国」である。中国を訪問するとき、忘れてはならないのが、「お土産」だ。それも、「現金」に限る。このことを怠れば、何度も日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝を追及され続け、「誠意を行動で示せ」と脅迫されるのである。
もう一つ、日本軍の「南京大虐殺」について、被害者の人数が、当初、20万人だったのが、50万人になり、2000万人になり最近は3000万人という数字も飛び出してきている。これは、「白髪三千丈」の国のことだから、だんだんとオーバーになっているという見方もあるけれど、もっと大事なことを見過ごしてはならない。それは、「八路軍」を率いた毛沢東「蛮行」を、日本軍の仕業にしているのではないかということである。その張本人が、「江沢民」であったことも思い出そう。
中国・北京政府は、「抗日戦線」で日本に勝利したのは、「中共軍」であると言い触らしているけれど、昭和20年8月15日の終戦当時、日本に勝利したのは、国民党の蒋介石総統率いる「中華民国」の政府軍であった。内戦を経て、中華人民共和国が誕生するのは、昭和24年10月1日のことで毛沢東が主席に就任している。 この内戦の間、国民党政府軍と共産軍とが激しく戦い、多くの戦死者を出し、とくに毛沢東が、同胞を虐殺している事実に目を向けなくてはならない。このことについて、拓殖大学海外事情研究所に勤務された佐藤慎一郎先生が、「毛沢東の運命-毛沢東に見られる人間学」と題する論文まなかで、以下のように記述されている。
「毛沢東は、国民党の湯恩伯将軍に、『政治の要諦は、悪人を如何にコントロールするかにある』と、直接語っている。
毛沢東のこの冷酷無情な人間不信の哲学こそが、彼の革命を成功させている。彼は革命の名において、驚く可き数にのぼる。同じ民族を犠牲にしている。
一九七一年八月十二日、米上院法制委員会の治安関係諸法適用調査小委員会(イースランド小委員長)では、『中国共産党下における人的犠牲』と題する報告の中で、
『一九二七年以降の第一次内戦から、文化大革命に至るまで、中国共産党を通じて、政治粛清や強制労働などの犠牲となった中国人は、計三千四百三十万人ないし、六千二百五十三万人に達する』(昭和四六・九、『師と友』、各時期における詳細な数字は、略記) と驚くべき数字を報告している。
また、他の書籍においては、『中国の共産主義者たちの残虐行為』として、一九四九年の土地改革から一九六八年までの文化大革命に至るまでに、『殺された人々の数』として、
『六千六百四万人』
と云う数字をあげている。(『毛沢東主義の暴政の真実』、二~三頁、各時期における詳細な数字は略記)
更にまた米南フロリダ大学国際関係研究所長リチャード・レ・ウォーカーは、『中国革命における人的犠牲』として、詳細な分析とともに、次のような数字をあげている。
『一九二七年の第一次国共内戦から、一九六六年に開始された文化大革命に至るまでに、革命の名において犠牲にされた中国民族は、最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人』
と、発表している。
要するに、毛沢東革命とは、自らの同胞を殺し抜いた『血ぬられた革命』とでも言うべきものであろう。
一九七四年五月八日、中国共産党の中央機関紙『人民日報道』は、『革命暴力万歳』という長文の論文を登載して、暴力を賛美し、暴力こそ共産主義の本質であると称賛している」
この論文のなかで、とくに注目して欲しいのは、「革命の名において犠牲にされた中国民族は、最高最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人」という下りである。中国・北京政府が、「日本軍によって虐殺された中国人の数」をだんだんと増やしているのと並列させてみると、毛沢東革命の犠牲者の数のことを言っているのではないかと思えるほどである。もしかしたら、毛沢東革命下の共産党による虐殺を「日本軍の仕業」としてすり替えようとしているのではないかと疑いが濃厚になってくる。
なるほど、中国共産党政権の「正当性」を国民に植えつけるのに「毛沢東革命下の共産党による虐殺」は、どうしても隠蔽しなくてはならない。ついでに、「日本軍の仕業にしてしまえ」と策謀をめぐらしたとしてもおかしくはない。毛沢東に殺された人々の遺族の多くが、まだ健在だからである。
北京政府は、日本との間で、「歴史の共同研究」をすることで合意したと言われているけれど、この点は、しっかりと正確に記述してもらわないと「ニセの歴史書」をつくることになる。毛沢東革命の誤り、文化大革命の誤りは、正しく「犯罪的な誤りであった」と記述し、中国共産党自ら、中国人に謝罪と損害賠償をしてもらう必要がある。
自民党の武部幹事長、公明党の冬柴幹事長が、21日、中国を訪問し、北京政府の唐家セン国務委員、中国共産党の王家瑞・対外連絡部長と会談した。唐家セン国務委員、王家瑞・対外連絡部長ともに、「血塗られた中国共産主義革命」を指導し、多数の中国民族を虐殺した毛沢東の遺志を受け継いでいる中国の要人である。胡錦濤国家主席をはじめ、最高幹部らも同様である。彼らは中国共産主義革命を終えたわけでも、放棄したわけでもない。「日中関係」を見ていく場合、このことを念頭においておく必要がある。
中国・北京政府が、日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝などにイチャモンをつけてくる真の理由と目的は、公式には表明されていないので、一体、何が不満なのか首を傾げている国民は少なくない。
だが、中国人が最大の価値を置いているのが「カネ」であることに気づけば、考えるまでもなく、「カネが欲しい」のである。それを正面切って言うといかにも卑しくなるから、婉曲にナゾをかけて相手に悟らせようとする。日本人は、案外に鈍感だから、「はっきり言ってくれないと分からない」などと真意を聞き出そうとする。 中国人は、むかしから「現世利益」しか信じない民族である。それに輪をかけて、霊や魂を信じない「唯物史観」に立つマルクス・レーニン主義の共産主義体制を維持している。霊や魂を信じていない中国人が、東条英機元首相らの「御霊」が、見えるはずはないのに、「御霊」の存在を前提とするような非難や批判を繰り返すというのは、奇妙な話である。となれば、日本人の弱みを突く、単なる言いがかりにすぎず、卑怯極まりない。
中国は、上は共産党、北京政府から、下は、末端の属僚まで、「賄賂」が横行しているといい、何か物を頼もうとすると、「袖の下」をつかませなくてはならない。掴ませれば、話は早いと言われている。どうも、小泉首相は、そのことを百も承知して、中国に麻胡麻擂り外交をしたくなかったようである。
これも中国3000年の歴史を振り替えれば、明らかなことではあった。中国人の心のなかに、いまでも「朝貢外交」という意識が残っているものとみえる。中国には、「東夷西戎南蛮北狄」という周辺国を蔑視する言葉がある。中国人にとって、日本は依然として「東夷」(ひがしのえびす)つまり、東の方の野蛮人なのだ。こうした意識は、中国に行った日本人が少なからず感ずることである。いかに貧しくとも、何しろ「中華大帝国」である。中国を訪問するとき、忘れてはならないのが、「お土産」だ。それも、「現金」に限る。このことを怠れば、何度も日本の教科書問題や首相の靖国神社公式参拝を追及され続け、「誠意を行動で示せ」と脅迫されるのである。
もう一つ、日本軍の「南京大虐殺」について、被害者の人数が、当初、20万人だったのが、50万人になり、2000万人になり最近は3000万人という数字も飛び出してきている。これは、「白髪三千丈」の国のことだから、だんだんとオーバーになっているという見方もあるけれど、もっと大事なことを見過ごしてはならない。それは、「八路軍」を率いた毛沢東「蛮行」を、日本軍の仕業にしているのではないかということである。その張本人が、「江沢民」であったことも思い出そう。
中国・北京政府は、「抗日戦線」で日本に勝利したのは、「中共軍」であると言い触らしているけれど、昭和20年8月15日の終戦当時、日本に勝利したのは、国民党の蒋介石総統率いる「中華民国」の政府軍であった。内戦を経て、中華人民共和国が誕生するのは、昭和24年10月1日のことで毛沢東が主席に就任している。 この内戦の間、国民党政府軍と共産軍とが激しく戦い、多くの戦死者を出し、とくに毛沢東が、同胞を虐殺している事実に目を向けなくてはならない。このことについて、拓殖大学海外事情研究所に勤務された佐藤慎一郎先生が、「毛沢東の運命-毛沢東に見られる人間学」と題する論文まなかで、以下のように記述されている。
「毛沢東は、国民党の湯恩伯将軍に、『政治の要諦は、悪人を如何にコントロールするかにある』と、直接語っている。
毛沢東のこの冷酷無情な人間不信の哲学こそが、彼の革命を成功させている。彼は革命の名において、驚く可き数にのぼる。同じ民族を犠牲にしている。
一九七一年八月十二日、米上院法制委員会の治安関係諸法適用調査小委員会(イースランド小委員長)では、『中国共産党下における人的犠牲』と題する報告の中で、
『一九二七年以降の第一次内戦から、文化大革命に至るまで、中国共産党を通じて、政治粛清や強制労働などの犠牲となった中国人は、計三千四百三十万人ないし、六千二百五十三万人に達する』(昭和四六・九、『師と友』、各時期における詳細な数字は、略記) と驚くべき数字を報告している。
また、他の書籍においては、『中国の共産主義者たちの残虐行為』として、一九四九年の土地改革から一九六八年までの文化大革命に至るまでに、『殺された人々の数』として、
『六千六百四万人』
と云う数字をあげている。(『毛沢東主義の暴政の真実』、二~三頁、各時期における詳細な数字は略記)
更にまた米南フロリダ大学国際関係研究所長リチャード・レ・ウォーカーは、『中国革命における人的犠牲』として、詳細な分析とともに、次のような数字をあげている。
『一九二七年の第一次国共内戦から、一九六六年に開始された文化大革命に至るまでに、革命の名において犠牲にされた中国民族は、最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人』
と、発表している。
要するに、毛沢東革命とは、自らの同胞を殺し抜いた『血ぬられた革命』とでも言うべきものであろう。
一九七四年五月八日、中国共産党の中央機関紙『人民日報道』は、『革命暴力万歳』という長文の論文を登載して、暴力を賛美し、暴力こそ共産主義の本質であると称賛している」
この論文のなかで、とくに注目して欲しいのは、「革命の名において犠牲にされた中国民族は、最高最低推計三千四百三十万人から、最高推定六千三百七十八万四千人」という下りである。中国・北京政府が、「日本軍によって虐殺された中国人の数」をだんだんと増やしているのと並列させてみると、毛沢東革命の犠牲者の数のことを言っているのではないかと思えるほどである。もしかしたら、毛沢東革命下の共産党による虐殺を「日本軍の仕業」としてすり替えようとしているのではないかと疑いが濃厚になってくる。
なるほど、中国共産党政権の「正当性」を国民に植えつけるのに「毛沢東革命下の共産党による虐殺」は、どうしても隠蔽しなくてはならない。ついでに、「日本軍の仕業にしてしまえ」と策謀をめぐらしたとしてもおかしくはない。毛沢東に殺された人々の遺族の多くが、まだ健在だからである。
北京政府は、日本との間で、「歴史の共同研究」をすることで合意したと言われているけれど、この点は、しっかりと正確に記述してもらわないと「ニセの歴史書」をつくることになる。毛沢東革命の誤り、文化大革命の誤りは、正しく「犯罪的な誤りであった」と記述し、中国共産党自ら、中国人に謝罪と損害賠償をしてもらう必要がある。