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芥川賞作家の宇能鴻一郎さん死去、90歳…官能小説や食に関するエッセーも

2024年09月16日 23時06分13秒 | 文化と芸能




芥川賞作家の宇能鴻一郎さん死去、90歳…官能小説や食に関するエッセーも
9/10(火) 11:41配信



読売新聞オンライン
宇能鴻一郎さん




芥川賞作家の宇能鴻一郎さん死去、90歳…官能小説や食に関するエッセーも
9/10(火) 11:41配信




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読売新聞オンライン
宇能鴻一郎さん


 芥川賞を受賞し、官能小説でも人気を博した作家の宇能鴻一郎(うの・こういちろう、本名・鵜野広澄=うの・ひろずみ)さんが8月28日、心不全で死去した。90歳だった。告別式は近親者で済ませた。


【動画】旅を旅して、宇能鴻一郎「味な旅 舌の旅」から


 札幌市生まれ。東大大学院在学中の1961年に「光りの飢え」が芥川賞候補となり、翌62年、漁村の鯨捕りなどを土俗的に描いた「鯨神(くじらがみ)」で芥川賞を受賞。野性的なエネルギーに満ちた作風は、文壇小説の枠を破る才能と評価された。70年代からは「女ざかり」など官能小説を多く発表した。グルメとしても知られ、食に関するエッセーなども多かった。





 芥川賞を受賞し、官能小説でも人気を博した作家の宇能鴻一郎(うの・こういちろう、本名・鵜野広澄=うの・ひろずみ)さんが8月28日、心不全で死去した。90歳だった。告別式は近親者で済ませた。


【動画】旅を旅して、宇能鴻一郎「味な旅 舌の旅」から


 札幌市生まれ。東大大学院在学中の1961年に「光りの飢え」が芥川賞候補となり、翌62年、漁村の鯨捕りなどを土俗的に描いた「鯨神(くじらがみ)」で芥川賞を受賞。野性的なエネルギーに満ちた作風は、文壇小説の枠を破る才能と評価された。70年代からは「女ざかり」など官能小説を多く発表した。グルメとしても知られ、食に関するエッセーなども多かった。





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夕暮れの境内で

2024年09月16日 17時40分05秒 | 日々の出来事




夕闇が早くなりますね⭐
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アオモミジの猛暑日

2024年09月16日 15時05分18秒 | 日々の出来事
七夕ですが、すでに厳しい暑さです


7/17/2024
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「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"

2024年09月16日 13時05分18秒 | 皇室のこと








「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"





8/3(土) 8:17配信



プレジデントオンライン
全国高校総合体育大会(高校総体)の自転車競技を観戦される秋篠宮ご夫妻=2024年7月26日、福岡県北九州市の北九州メディアドーム[代表撮影] - 写真=時事通信フォト


■相次いで報じられる「東大推薦入学」に思うこと


 秋篠宮家の悠仁さまが筑波大附属高3年となられ、大学の進学先に注目が集まっています。お母様の紀子さまが東大への推薦入試に熱心でらっしゃるとされ、さまざまな意見が国民の間から出ています。


【写真】学習院大学正門


 ですが学習院出身の私は思います。東大推薦入学を狙うより、海外の名門大学を目指されたほうがよろしいのでは、と。


 これは学習院で紀子さまの1年後輩、秋篠宮さまの2年後輩に当たり、『学習院女子と皇室』(新潮新書、2023)を書いた私から、僭越ながら紀子さまへのお手紙です。


■「国母」としての責任感


 紀子さまは学習院が「お好き」~女子中・高等科に下賜された「御歌」


 紀子さま、私は学習院女子中・高等科および大学と、あなた様の1年後輩におりました。学内では福祉活動に従事する厚生委員会に所属され、微笑みを絶やさず共同募金の呼びかけをされていたお姿を覚えています。


 学習院大学で私は、法学部政治学科に進み、同じ学科の秋篠宮さま(当時は礼宮さま)の2年後輩であり、お二人が所属していらしたサークル「自然文化研究会」のご様子も垣間見ておりました。学習院生にとって皇族方は学内でよくお見かけする身近な存在で、当時は天皇陛下(当時は浩宮さま)のお姿もよく拝見しました。


 「キャンパスの恋」を実らせて紀子さまは幸せな結婚をされ、眞子さま、佳子さまとお二人の内親王に恵まれたご一家のご様子は、報道を通じてお見かけするだけになりましたが、紀子さまはお幸せそうに見えました。


 それが変わられてきたのは、悠仁さまがお生まれになってからでしょうか。未来の天皇をお育てになる「国母」としての責任感を持たれたのでしょう。大変な重責、プレッシャーであろうとご推察申し上げます。


■「学習院に進むべき」とは思わないけれど…


 ただ私には、その重責がなぜ「東大」に結びつくのかがよく分からないのです。さまざまな国民の声を振り切って、推薦入学に邁進されているように見えますが、これは何のためなのでしょうか。


 悠仁さまが過去の皇族方の慣例を破り、学習院に進学されなかったのは、それほどおかしなことではありません。戦前の学習院は宮内省の傘下にあり、皇族の進学が義務付けられていました。


 ですが戦後は一般の私立学校となり、皇族に進学の義務はなくなりました。それでも皇族が学習院に進む慣習は残っていたわけですが、悠仁さまのこれまでの進路は、それを破った「英断」でもありました。


 もしかしたら、秋篠宮さまのお決めになったことでしたでしょうか。私は紀子さまご自身が、今も学習院を「お好き」で、大切にしていらっしゃると信じています。学習院女子中・高等科の施設内で私は、紀子さまが下賜された和歌が掲示されているのを拝見しました。


 一般の方が入れない場所ですので詳細は申し上げませんが、色紙に達筆な毛筆で書かれた、女性皇族らしい目線でお謡いになられた内容に感銘を受けました。


■学習院と雅子さまのご縁


 そして学習院大学において、実は皇后の雅子さまも深いご縁があったことはご存じでしょうか。


 1986~87年頃、私が在籍していた法学部の国際法の教授(故人)が、東大法学部在学中だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)をお招きした学生向けの講演会があったのです。


 文学部でいらした紀子さまはご存じなかったかもしれませんが、教授が雅子さまのお父様で、外交官でいらした小和田恒氏と親しく、雅子さまをご幼少時から見てこられた、というご縁からでした。会場は国際関係の仕事を志す学生たちでいっぱいでした。


 雅子さまは当時、外務省入省が決まったばかりでした。聞けば米国の著名なアイビーリーグの大学複数に合格され、その中からハーバード大を選び、国際経済学を学ばれ、卒論が優等賞を得るほど優秀な成績でご卒業。外交官を目指すために東大3年次に編入されました。この編入試験も相当な倍率だったと伺います。


 そして外交官試験に合格。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時期でもあり、雅子さまは美人でバリバリのキャリアウーマン、外交官としての将来を語られるお姿には、眩しい位の存在感がありました。


 私たち学生の拙い質問に分かり易く答えて下さり「本当に優秀な女性は違うなあ」と感じたことを覚えています。


■彬子さまとオックスフォード大学「博士号」


 そして三笠宮家の彬子さまは、学習院大学文学部在学中に交換留学でオックスフォード大学に留学され、大学卒業後に再度渡英、大英博物館における日本美術の研究のために5年間を費やし、博士号を取得されました。


 その手記『赤と青のガウン』(PHP文庫)を拝読しますと、海外で日本のように護衛がつかない中、一人で生活を切り盛りし、少しずつ研究の道を切り拓かれていかれた様子がユーモア溢れる筆致で描かれ、読者をひきつけます。

 ネット上で話題になったことによる復刊だそうですが、女性皇族による瑞々しい青春の記録は、多くの人々の共感を呼び、ベストセラーとなっているのはご存じのとおりです。


 彬子さまが留学記を書かれたのは、本書によれば寛仁親王のご指示だったそうです。


 当初は修士を取るための2年間の留学予定が、指導教授の勧めにより博士号取得の5年間に延ばすにあたり、「長期間海外に出て公務をしない以上、それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務があると考えておられた」(本書から)ことでお許しを頂けたそうです。寛仁親王ご自身もオックスフォード大に留学され、その手記を出版されていた、というご縁もあったのでしょう。


 結果として『赤と青のガウン』を通じ、国民は皇族を身近な存在に感じ、そのイメージを大きくアップされることになったのは間違いありません。


 彬子さまは現在、大学で教鞭を取られながら公務に励まれており、ご留学の成果を存分に発揮されておられます。


■東大ではなく、海外の大学を検討されてはいかがか


 つらつらと書いて参りましたが、申し上げたいのは、悠仁さまには東大ではなく、海外の大学を目指されるという選択肢もおありではないか、ということです。


 雅子さまのキャリアと比較するのは酷かとは思います。ですが東大は、やはり明治時代の旧帝大時代までさかのぼれば、近代国家を創るための人材、官僚を中心に要請する大学だったルーツがあり、雅子さまは外交官試験を受けるために編入されました。


 今は多岐にわたる学びが得られる名門大学ですが、果たして悠仁さまはそこで何を学び、そこで得た知識何に生かそうとされておられるのでしょうか。研究者との共著で書かれたという「トンボ論文」の今後は、東大でなければならない学びなのでしょうか。


 「トンボ論文」は素晴らしい実績ですが、皇族でいらしたからこそ成しえた「特権」ではないでしょうか。一般人が立ち入れない赤坂御用地で、研究者を2人も従え、学術雑誌に掲載もされましたが、普通の高校生にはまず出せない実績でしょう。


 果たしてお一人の力でどこまで貢献されたのか。おそらく推薦入試で面接があるならば、担当教授はどこまでがご本人の貢献によるものなのか、すぐに見抜いてしまうでしょう。


■皇族の「特権」と見られても仕方がない


 そもそも入試は試験であれ推薦であれ、個人の力で挑むものです。近年は裕福な家庭の子女ほど教育にお金をかけ、推薦入試でも家族ぐるみでスポーツや音楽など課外活動の実績作りに励む、という家庭も多くみられます。


 いっぽう金銭的に余裕がない家庭の子女は不利という状況も生まれてしまいます。


 こうした生徒たちは国公立大を目指すのが一般的です。私は、貧しい母子家庭で苦学して東大に入学し、奨学金を得てアルバイトで生活費を稼いで卒業、今は社会人として成功している卒業生を知っています。


 できればそうした志願者、そして普通の家庭からも来る志願者たちの入学機会を「特権」を使うことで奪わないでいただきたい、と失礼ながら考えてしまいます。入試には定員があり、1人が入れば誰かが落ちてしまうからです。


■静かな環境で学ぶことの重要性


 そして海外の大学です。雅子さまはハーバード大ご卒業、彬子さまはオックスフォード大博士です。


 最近では進学校から海外の大学に進学する生徒たちも増えつつあります。『赤と青のガウン』によれば、彬子さまは英国では、日本のように常に誰かが傍にいる、という生活ではなく、基本的に研究、自炊や旅行の手配など全てお一人でされておられました。女王殿下と将来の天皇である親王殿下は違うかもしれませんが、海外では国際性を身に付けるとともに一人で物事を行う自立心が養われるように思います。そうした環境にこそ、悠仁さまは置かれるべきではないのでしょうか。


 おりしも天皇・皇后両陛下が英国をご訪問されたばかりです。もし英国の名門大に進まれたら「ウィンザー城構内に生息するトンボ研究」といった、日本の皇族の悠仁さまにしかできそうにない研究も、実現するかもしれません。米国ならば「ホワイトハウス敷地内に生息するトンボ研究」でしょうか。彬子さまのように、英語で、独力で論文を書かれるのならば、真に立派な成果となるでしょう。


■悠仁さまのお気持ちを、どうか大切にしてほしい


 そして、もしかしたら海外の大学の方が「入り易い」という側面があるかもしれません。「海外の大学入試の方が、学力そのものより個人の成果を見てくれる。“未来の天皇”である悠仁さまならば、どこでも入れるのでは」(米アイビーリーグ大学の卒業生)といった見方もあります。私が客員研究員として在籍していた米コロンビア大学には「世界各国の王族や有力者、政治家の子女が在籍している」という未確認の噂がたくさんありました。ですから、この卒業生の言うことも一理あるのかもしれません。


 上記のことから、悠仁さまに海外の大学に進むという選択肢はあるような気がするのです。


 来年ご入学にはもう準備が間に合わないかもしれません。ですが再来年に挑戦することでもよいのではないでしょうか。できればその場合、寛仁親王が彬子さまに仰ったように「それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務がある」と思います。


 何も無理をして東大にこだわる必要はありません。視野を広くお持ちになり、悠仁さまが何をされたいのか、その成果を国民にどう報告し、還元されるかをお考えになって頂くのが「国母」のお役目と私は考えています。






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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社) がある。
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これもまた>医学部受験「地域枠入試」の知られざる実態

2024年09月16日 03時05分25秒 | 受験のこと

本当に救済か?医学部受験「地域枠入試」の知られざる実態

長期に渡る医学部受験。わが子はしっかり勉強しているのか、今年こそ合格できるのか…心配が積もるばかりです。最新の大学情報・勉強法・メンタルケアの方法を知り、親子ともども、来たる日に備えましょう。


1/21/2020

医学部受験の最新情報を配信する『集中メディカ』より厳選した記事をお届けする本連載。今回のテーマは、医療業界で問題となっている「地域枠入学試験」について。 医療従事者の確保のため始まった地域枠入試制度
 
◆医学部受験 「地域枠」の現状

地方医療現場の課題である「医師不足」を解消するため、全国の自治体では「地域枠入学試験」制度を設け、将来郷土で働いてくれる若手医師の育成に力を入れています。6年間で3000万円台にも上る医学部学費を一手に引き受けるこの制度は、地方の学生が優遇されているように見えます。

その一方で、「最低9年間は地方病院で従事しなければならない」「在学期間中の返還・中途退職の場合は高金利で弁済しなければならない」という、学生に対する縛り付けの厳しさも課題になっています。

経済的な理由で医学部進学が難しかった受験者にとっては、新たな可能性が拓ける良心的な制度であるとはいえ、賛否両論です。

◆一般家庭からも医学部進学が容易に

地方における医師不足や診療科の偏在の問題を受け、厚生労働省は「地域枠入学試験」(以下、地域枠)を導入、各自治体・大学に参画を呼びかけました。

地元出身者はもちろんのこと、他地域出身者でも、地方医療従事に意欲的な医学部志願者を対象とした奨学金制度です。医学部を卒業し医師免許を取得したあと、自治体が指定する医療機関に一定期間従事すれば、奨学金が免除されます。

この地域枠の導入により、地方の医師不足が解消されるとともに、経済的な理由で医学部進学が厳しかった一般家庭からの受験者にも、希望の光が射しました。

地域枠を導入する医学部は、2008年度では33大学でしたが、次第に全国へと広がり、2016年度には71大学に増加、現在ではほとんどの医学部がこの地域枠を導入しています。

たとえば栃木県の自治医科大学では、卒業後9年間、学生の出身県内の指定公立病院等にて勤務することを条件に学費が全額免除されます。

授業は、CTやMRIのような設備がない状況下で行う身体初見を想定した内容で、インフラの整っていないへき地における症状の診断、緊急性の判断を行える医師の育成がなされています。学生たちの住まいは全寮制で、寮費は月額8000円程度。安価で食事がとれる食堂や勉強室なども完備されており、志高い学友とともに、医師試験へ前向きに取り組める環境が整えられています。

◆入試では、本人の地方医療への意欲を重視

地域枠の入試では、筆記試験のほか面接も重視されるので、地方医療従事に意欲的な受験生は合格しやすいといわれます。

たとえば、島根大学の地域枠入試では、「生まれ育った地域が島根県内のへき地等に該当し、将来、そのへき地における医療に貢献する強い意志のある者」を受験対象としています。地域の医療機関や福祉施設での実習が受験資格として義務づけられており、出身地にある医療機関と福祉施設で実習をするとともに、各施設長の面接評価、さらには市町村長による面接を受ける必要もあります。地域医療に貢献する強い意志があるか、医師としての資質を備えているかが確認されます。



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