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三島由紀夫の筆、石原慎太郎を政界へ…石原の遺品に書簡6通「世の有象無象を御覧になることを望みます」

2025年02月24日 11時03分55秒 | 文化と芸能




三島由紀夫の筆、石原慎太郎を政界へ…石原の遺品に書簡6通「世の有象無象を御覧になることを望みます」
2/24(月) 5:00配信







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読売新聞オンライン
作家の三島由紀夫(1964年撮影)


 作家の三島由紀夫(1925~70年)が石原慎太郎(1932~2022年)に宛てた書簡計6通が、石原の関係先から見つかった。うち1通は、三島が自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)で自決する3年前に送ったもので、当時、若手作家として活躍していた石原にとって、政界進出という大きな決断をするうえで重要なものだった。石原は後年、著作で書簡の存在に触れていたが、実物が確認されたのは初めて。


【写真】三島由紀夫から石原慎太郎に宛てた書簡


石原慎太郎氏(1967年撮影)


 書簡は、石原の遺族が遺品を整理する中で発見された。1967年3月の書簡は、病気療養中の石原に対する見舞状だ。〈小生このごろ、とみに、日本の現情、日本の将来について心配になること多く、いつか貴兄をつかまへて、天下国家を論じたいと思うてゐた矢先の御発病で残念でした〉と、三島が年下の信頼できる友人と話をしたがっていたことがうかがえる。


 一方でこの書簡は、石原にとって意義深いものだった。〈病気を一つの静観のチャンスとされ、世の有象無象のあわただしい動きをしばらく冷たく御覧になることを望みます〉という三島のアドバイスに、石原は深く心を打たれた。98年に刊行した書籍「法華経を生きる」で石原は、書簡のおかげで〈執筆以外の時間には瞑目(めいもく)しながら心いくまで世の中を一人で睥睨(へいげい)し(中略)次の参議院選全国区への立候補を決心した〉などと、この書簡をきっかけに政界進出を決断したことを明かしている。


 親しく交流していた三島と石原だが、やがて意見の相違が目立つようになる。三島が自衛隊駐屯地で自決した70年11月の5か月前には、三島が新聞紙上で「公開状」を発表し、自民党に在籍しながら党を批判していた石原の姿勢を非難。石原が紙面で反論したこともあった。


 三島由紀夫の研究で知られる井上隆史・白百合女子大教授(日本近代文学)は、「時代や社会を向こうに回して原稿用紙のマスを埋めてゆくという創作姿勢において、両者は共通していた。やがて政治や天皇をめぐり対立するが、それは接近した同極の磁石が激しく反発しあうのに似た現象で、書簡はその経緯をうかがわせる貴重な資料だ」と語る。


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