【勝木 渥さんのメールより転載(注釈つき)】
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」参考人*説明より
*児玉龍彦(東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
「杉並病」問題で知り合った、「杉並市民連絡会」の★★さんが、「女たちの戦争と平和資料館」MLでまわってきたものだという下記のメールを転送して来られましたので、紹介します。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会 での
「放射線の健康への影響」参考人(児玉龍彦 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長) 説明より
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=41163&media_type=wb
国会審議テレビ中継のビデオが観られます。
ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo&feature=player_embedded
(文章起こし)
次に児玉参考人にお願いいたします
私は東京大学アイソトープセンター長の児玉ですが 3月15日に大変に驚愕いたしました。
私ども東京大学には27ヵ所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染の責任を負っております。それで、私自身は内科の医者でして東大病院の放射線の除染などにずっと、数十年かかわっております。
3月15日に、ここの図にちょっと書いてあるんですが、我々最初に午前9時ごろ東海村で5μシーベルトという線量を経験しまして、それを第10条通報という文科省に直ちに通報いたしました。
その後東京で0.5μシーベルトを超える線量が検出されました。これは一過性に下がりまして、次は3月22日に東京で雨が降り、0.2μシーベルト等の線量が降下し、これが今日に至るまで高い線量の原因になっていると思っています。
それでこの時に枝野官房長官が「さしあたって健康に問題はない」という事をおっしゃいましたが、私はその時に実際はこれは大変な事になると思いました。
何故かというと、現行の放射線の障害防止法というのは高い線量の放射線物質が少しあるものを処理することを前提にしています。この時は総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。
ところが今回の福島原発の事故というのは100キロメートル圏で5μシーベルト、200キロメートル圏で0.5μシーベルト、さらにそれを超えて足柄から静岡のお茶にまで及んでいる事は今日みなさん全てがご存じのとおりであります。
我々が放射線障害を診る時には、総量をみます。それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか、はっきりした報告は全くされておりません。
そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。
さらに恐るべきことにはこれまでの治験で原爆による放射線の残存量と原発から放出されたものの放射線の残存量は一年に至って原爆が1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない
― つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様、原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が、まず考える前提になります。
そうしますと、我々システム生物学というシステム論的にものを見るやり方でやっているんですが、現行の総量が少ない場合には、ある人にかかる濃度だけを見ればいいのです。
しかしながら、総量が非常に膨大にありますと、これは粒子です、粒子の拡散は非線形という科学になりまして、我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料というのは、要するに砂粒みたいなものが合成樹脂みたいな物の中に埋め込まれています、―
これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子が沢山放出されるようになります。
そうしたものが出てまいりますと、どういうようなことが起こるかが今回の稲藁の問題です。
たとえば、岩手のふじわら町では稲藁57000ベクレル/kg、宮城県のおおさき17000ベクレル/kg、南相馬市16000ベクレル/kg、白河市97000ベクレル/kg、岩手64000ベクレル/kg
ということで、この数字というのは決して同心円上にはいかない、どこでどういうふうに落ちているかはその時の天候、それから、その物質がたとえば水を吸い上げたかどうか。
それで、今回の場合も私は南相馬に毎週700?行って、東大のアイソトープセンター、現在まで7回の除染をやっておりますが、南相馬に最初に行った時には1台のカウンターしかありません。農林省が通達を出したという3月19日には、食料も水もガソリンも尽きようとして南相馬市長が痛切な訴えをウエブに流したのは広く知られているところであります。そのような事態の中で通達1枚出しても誰も見る事が出来ないし誰も知ることができません。稲藁がそのような危険な状態にあるという事は全く農家は認識されていない。農家は飼料を外国から買って、何10万と負担を負って、さらに、牛にやる水は実際に自分たちと同じ地下水を与えるようにその日から変えています。そうすると、我々が見るのは、何をやらなければいけないかというと、まず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません。
我々が5月下旬に行った時先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど、実際には米軍から20台の個人線量計がきていました。しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている、これが現地の状況です。
そして先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというものではなしに、今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています。
何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか、3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します。
第2番目です
私の専門は小渕総理の時から内閣府の抗体医薬品の責任者でして、今日では最先端研究支援というので30億円をかけて抗体医薬品にアイソトープを付けて癌の治療にやる、すなわち、人間の体の中にアイソトープを打ち込むという仕事が私の仕事ですから、内部被曝問題に関して一番必死に研究しております。
そこで内部被曝がどのように起きるかという問題を説明させていただきます。
内部被曝というものの一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います、ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。これが、細胞分裂をする時には二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります。この過程のところがものすごく危険です。
そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては放射線障害は非常な危険をもちます。さらに大人においても増殖が盛んな細胞、たとえば放射性物質を与えると髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮の、これらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります。
それで私どもが内部に与えた場合に具体的に起こるので、知っている事例を上げます。
これは実際には、一つの遺伝子の変異では癌は起こりません。最初の放射線のヒットが起こった後にもう1個の別の要因で癌の変異が起こるという事、これはドライバーミューテーションとかパッセンジャーミューテーションとか細かい事になりますが、それは参考の文献を後ろに付けてありますので、それを後で、チェルノブイリの場合やセシウムの場合挙げてありますのでそれを見ていただきますが、まず一番有名なのはα線です。
プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいるというのを聞いて、私はびっくりしましたが、α線はもっとも危険な物質であります。それはトロトラスト肝障害というので、私ども肝臓医はすごくよく知っております。
要するに内部被曝というのは、先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうものは全く意味がありません。
I131は甲状腺に集まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。これらの体内の集積点をみなければ、全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません。
トロトラストの場合の、このちょっと小さい数字なんで大きい方は後で見て欲しいんですが、これは実際に、トロトラストというのは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ1930年ごろからは日本でも用いられましたが、その後20~30年経つと肝臓がんが25%から30%に起こるという事がわかってまいりました。最初のが出てくるまで20年というのは何故かというと、最初にこのトロトラスト、α線核種なんですが、α線は近隣の細胞を傷害します。その時に一番やられるのはP53という遺伝子です。我々は
今ゲノム科学というので、人の遺伝子、全部配列を知っていますが、一人の人間と別の人間は大体300万箇所違います。ですから、人間同じとしてやるような処理は、今日では全く意味がありません。いわゆるパーソナルライフメディスンというやり方で、放射線の内部障害をみる時も、どの遺伝子がやられて、どういう風な変化が起こっているか、という事をみるということが原則的な考え方として大事です。
トロトラストの場合は第一段階ではP53の遺伝子がやられて、それに次ぐ第2第3の変異が起こるのが20~30年後かかり、そこで肝臓がんや白血病が起こってくるという事が証明されております。
次にヨウ素131 、これヨウ素はみなさんご存じのとおり甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は、成長期の甲状腺形成期が最も特徴的であり小児におこります。しかしながら、1991年に最初ウクライナの学者が「甲状腺がんが多発している」というときに、日本やアメリカの研究者はネイチャーに「これは因果関係が分からない」ということを投稿しております。何故そんな事を言ったかというと、1986年以前のデータがないから統計学的に優位だという事を言えないということです。しかし、統計学的に優位だという事がわかったのは、先程も長瀧先生からお話しがありましたが20年後です。20年後に何がわかったかというと、86年から起こったピークが消えたために、これは過去のデータが無くても因果関係があるという事がエビデンス(evidence証拠・根拠)になった。ですから、疫学的証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまで大体証明できないです。
ですから今 我々に求められている「子どもを守る」という観点からは、全く違った方法が求められます。
そこで今行われているのは、ここには国立のバイオアッセイ研究センターという化学物質の効果をみる福島昭治先生という方が、ずっとチェルノブイリの尿路系に集まる物を検討されていまして、福島先生たちがウクライナの医師と相談、集めて500例以上の、前立腺肥大の時に手術をしますと、膀胱もとれてきます。これをみまして検索したところ、高濃度汚染地区、尿中に6ベクレル/?という微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも、増殖性の前癌状態、我々からみますとP38というMAPキナ
ーゼとNF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)というシグナルが活性化されているんですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率に上皮内のがんができているという事が報告されております。
それで、この量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2~13ベクレル 、7名で検出されているという事が既に報告されている事であります。
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我々アイソトープ総合センターでは、現在まで毎週700キロメートル、大体一回4人づつの所員を派遣しまして、南相馬市の除染に協力しております。南相馬でも起こっている事は、全くそうでして、20k,30kという分け方が全然意味がなくて、その幼稚園ごとに細かく測っていかないと 全然ダメです。 それで現在20kから30k圏にバスをたてて、1700人の子どもが行っていますが、実際には避難、その、南相馬で中心地区は海側で学校の7割で比較的線量は低いです、ところが30キロ地点の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早く辞めさせてください。
いま、その一番の障害になっているのは、強制避難でないと保証しない ―
参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っていますが ―
これは分けて下さい。保障問題と、この線引きの問題と、子どもの問題は 直ちに分けて下さい。子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします
それからもう一つは、現地でやっていますと、除染というものの緊急避難的除染と公共的除染をはっきり分けて考えていただきたい。緊急避難的除染を我々もかなりやっております、たとえばここの図表に出ておりますこの滑り台の下、滑り台の下は小さい子が手をつくところですが、この滑り台に雨水がザーッと流れてきますと毎回濃縮します。右側と左側とズレがあって、片側に集まっていますと平均線量1μのところだと10μ以上の線量が出てきます。それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはいけません
それからさまざまな苔が生えているような雨どいの下、ここも実際に子どもが手をついたりしているところなのですが、そういうところは、たとえば高圧洗浄機を持って行って苔を払うと2μシーベルトが0.5μシーベルトまでになります。だけれども、
0.5μシーベルト以下にするのは非常に難しいです。
それは、建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、空間線量として1か所だけ洗っても全体をやる事は非常に難しいです。ですから、除染を本当にやるという時に、いったいどれだけの問題がありどれ位のコストがかかるかという事を、イタイイタイ病の一例で挙げますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなんですがそのうち1500ヘクタールまで、現在除染の国費が8000億円投入されております。もし、この1000倍という事になれば、いったいどのくらいの国費の投入が必要になる
のか。
ですから私は4つの事を緊急に提案したいと思います。
第1に、国策として、食品、土壌、水を、日本が持っている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を用いて、もう、半導体のイメージ化は簡単です、イメージ化にして流れ作業にして、シャットしていってやるということの、最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善して下さい。これは今の日本の科学技術力で全く可能です。
2番目 、緊急に、子どもの被ばくを減少させるために、新しい法律を制定して下さい。私のやっている、現在やっているのは、すべて法律違反です。現在の障害防止法では、各施設で扱える放射線量、核種等は決められています
。東大の27のいろんなセンターを動員して、現在南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限など得ておりません。車で運搬するのも違反です。しかしながら、お母さんや先生方に高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから、今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております。受け入れも法律違反、全て法律違反です。
このような状態を放置しているのは、国会の責任であります。全国には、例えば国立大学のアイソトープセンターはゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところは沢山あります。そういうところが手足を縛られたままで、どうやって国民の総力を挙げて子どもが守れるのでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります。
国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬(⇒)
第3番目、国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい。これは、たとえば 、東レだとかクリタだとかさまざまな化学メーカー、千代田テクノとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店とか様々なところは、放射線の除染などに対してさまざまなノウハウを持っています。こういうものを結集して現地に直ちに除染研究センターを作って、実際に何10兆円という金額がかかるのを、いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を、私はすごく持っております。
(⇒)もありません。どうやって除染を本当にやるか、7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか 、
以上です
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=
★★さんへのメールには、次のことも書かれていました。
続きを読むに初めて聞いた専門用語など、少し調べて書きました。
アイソトープ
ひとことで言うと原子は、地球上のすべてのものを構成する目には見えない小さな粒のこと。
カリウム、鉄、酸素、炭素などたくさんの種類があって、それぞれの役目を果たして活躍しているのです。
そしてその中に、化学的性質は同じでも、重さが少しだけ違う原子(元素)があります。
これらの元素を同位元素(アイソトープ)と呼びます。
同位元素の中には「活発な状態の原子」から「落ち着いた状態の原子」に変わろうとする時に放射線を出す放射性同位元素(ラジオアイソトープ)というものがあります。
自然界には、ウラン、ラジウム、カリウムなど約90種類の元素があり、一方同位元素は原子炉などで人工的に作り出されているものを含めると約2,000種類以上もあります。
ちなみに放射線を出すアイソトープを含んだ物質を放射性物質、放射線を出す能力を、放射能といいます。
抗体医薬品
がん細胞などの特定の細胞だけを狙い撃ちにする抗体を利用した医薬品。抗体医薬品とは、特定の細胞や組織(物質や分子)にだけ効果がある抗体を利用した医薬品のことです。
抗体医薬品は、がん細胞などの表面に出ている、異物であること示す目印(抗原タンパク質)を ピンポイントでねらい撃ちするため、治療効果と副作用の軽減が期待できます。
そのため、効果的かつ副作用の少ないがん治療が可能になることが期待されています。
トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆に次ぐ大規模な放射線による健康障害をもたらした。
体内に注入されたトロトラストは肝臓や骨髄などに沈着しα線を長年月にわたって放出する。
数十年経過後、肝がん、肝硬変や白血病を発症し、死亡率も高いことが明らかにされている。
福島 昭治(ふくしましょうじ)
食品安全委員会添加物専門調査会座長、中央労働災害防止協会日本バイオアッセイ研究センター所長、名古屋市立大学医学部卒。医学博士。
大阪市立大学大学院医学研究科長兼医学部長、都市環境病理学教授等を経て現職。
化学物質の発がん性、特にリスクアセスメントを研究領域とし、発がん物質のしきい値、ヒト発がん物質ヒ素の実験的証明、がんの化学予防などについて焦点を絞って研究。また
、実験的膀胱発がんおよび膀胱の病理、特にチェルノブイリ事故後の膀胱病変を追究している。著書多数。
MAPキナーゼ
分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(英:Mitogen-activated Protein Kinase)
全身の細胞に広く発現しており、様々な細胞の機能発現において重要な働きをしている。
単にMAP(マップ)キナーゼと略して呼ばれることが多い。
NF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー )
NF-κBは免疫反応において中心的役割を果たす転写因子の一つであり、 急性および慢性炎症反応や細胞増殖、アポトーシスなどの数多くの生理現象に関与している。
NF-κB活性制御の不良はクローン病や関節リウマチなどの炎症性疾患をはじめとし、
癌や敗血症性ショックなどの原因となり、特に悪性腫瘍では多くの場合NF-κBの恒常的活性化が認められる。 さらにNF-κBはサイトメガロウイルス (CMV)
やヒト免疫不全ウイルス (HIV) の増殖にも関与している。
【〔訂正〕トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆に次ぐ大規模な放射線による健康障害をもたらした。
体内に注入されたトロトラストは肝臓や骨髄などに沈着しα線を長年月にわたって放出する。
数十年経過後、肝がん、肝硬変や白血病を発症し、死亡率も高いことが明らかにされている。
ここで、《二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。 》の行末にある句点 ” 。”
はつけるべきではありませんでした。私のごく単純な思い違いによるものでした。訂正後は
トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆…… 】
答弁質疑応答続編(文章起こしはまだです。)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=LunV27H3oW8#at=777
国会審議テレビ中継のビデオです。
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」参考人*説明より
*児玉龍彦(東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)
「杉並病」問題で知り合った、「杉並市民連絡会」の★★さんが、「女たちの戦争と平和資料館」MLでまわってきたものだという下記のメールを転送して来られましたので、紹介します。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=
2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会 での
「放射線の健康への影響」参考人(児玉龍彦 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長) 説明より
http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.php?deli_id=41163&media_type=wb
国会審議テレビ中継のビデオが観られます。
ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo&feature=player_embedded
(文章起こし)
次に児玉参考人にお願いいたします
私は東京大学アイソトープセンター長の児玉ですが 3月15日に大変に驚愕いたしました。
私ども東京大学には27ヵ所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染の責任を負っております。それで、私自身は内科の医者でして東大病院の放射線の除染などにずっと、数十年かかわっております。
3月15日に、ここの図にちょっと書いてあるんですが、我々最初に午前9時ごろ東海村で5μシーベルトという線量を経験しまして、それを第10条通報という文科省に直ちに通報いたしました。
その後東京で0.5μシーベルトを超える線量が検出されました。これは一過性に下がりまして、次は3月22日に東京で雨が降り、0.2μシーベルト等の線量が降下し、これが今日に至るまで高い線量の原因になっていると思っています。
それでこの時に枝野官房長官が「さしあたって健康に問題はない」という事をおっしゃいましたが、私はその時に実際はこれは大変な事になると思いました。
何故かというと、現行の放射線の障害防止法というのは高い線量の放射線物質が少しあるものを処理することを前提にしています。この時は総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります。
ところが今回の福島原発の事故というのは100キロメートル圏で5μシーベルト、200キロメートル圏で0.5μシーベルト、さらにそれを超えて足柄から静岡のお茶にまで及んでいる事は今日みなさん全てがご存じのとおりであります。
我々が放射線障害を診る時には、総量をみます。それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか、はっきりした報告は全くされておりません。
そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます。
さらに恐るべきことにはこれまでの治験で原爆による放射線の残存量と原発から放出されたものの放射線の残存量は一年に至って原爆が1000分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない
― つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様、原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が、まず考える前提になります。
そうしますと、我々システム生物学というシステム論的にものを見るやり方でやっているんですが、現行の総量が少ない場合には、ある人にかかる濃度だけを見ればいいのです。
しかしながら、総量が非常に膨大にありますと、これは粒子です、粒子の拡散は非線形という科学になりまして、我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料というのは、要するに砂粒みたいなものが合成樹脂みたいな物の中に埋め込まれています、―
これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子が沢山放出されるようになります。
そうしたものが出てまいりますと、どういうようなことが起こるかが今回の稲藁の問題です。
たとえば、岩手のふじわら町では稲藁57000ベクレル/kg、宮城県のおおさき17000ベクレル/kg、南相馬市16000ベクレル/kg、白河市97000ベクレル/kg、岩手64000ベクレル/kg
ということで、この数字というのは決して同心円上にはいかない、どこでどういうふうに落ちているかはその時の天候、それから、その物質がたとえば水を吸い上げたかどうか。
それで、今回の場合も私は南相馬に毎週700?行って、東大のアイソトープセンター、現在まで7回の除染をやっておりますが、南相馬に最初に行った時には1台のカウンターしかありません。農林省が通達を出したという3月19日には、食料も水もガソリンも尽きようとして南相馬市長が痛切な訴えをウエブに流したのは広く知られているところであります。そのような事態の中で通達1枚出しても誰も見る事が出来ないし誰も知ることができません。稲藁がそのような危険な状態にあるという事は全く農家は認識されていない。農家は飼料を外国から買って、何10万と負担を負って、さらに、牛にやる水は実際に自分たちと同じ地下水を与えるようにその日から変えています。そうすると、我々が見るのは、何をやらなければいけないかというと、まず、汚染地で徹底した測定が出来るようにするという事を保証しなくてはいけません。
我々が5月下旬に行った時先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど、実際には米軍から20台の個人線量計がきていました。しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて、我々が行って教えてあげて実際に使いだして初めて20個の測定が出来るようになっている、これが現地の状況です。
そして先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというものではなしに、今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています。
何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか、3か月経ってそのような事が全く行われていない事に私は満身の怒りを表明します。
第2番目です
私の専門は小渕総理の時から内閣府の抗体医薬品の責任者でして、今日では最先端研究支援というので30億円をかけて抗体医薬品にアイソトープを付けて癌の治療にやる、すなわち、人間の体の中にアイソトープを打ち込むという仕事が私の仕事ですから、内部被曝問題に関して一番必死に研究しております。
そこで内部被曝がどのように起きるかという問題を説明させていただきます。
内部被曝というものの一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います、ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。これが、細胞分裂をする時には二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります。この過程のところがものすごく危険です。
そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては放射線障害は非常な危険をもちます。さらに大人においても増殖が盛んな細胞、たとえば放射性物質を与えると髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮の、これらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でして、そういうところが放射線障害のイロハになります。
それで私どもが内部に与えた場合に具体的に起こるので、知っている事例を上げます。
これは実際には、一つの遺伝子の変異では癌は起こりません。最初の放射線のヒットが起こった後にもう1個の別の要因で癌の変異が起こるという事、これはドライバーミューテーションとかパッセンジャーミューテーションとか細かい事になりますが、それは参考の文献を後ろに付けてありますので、それを後で、チェルノブイリの場合やセシウムの場合挙げてありますのでそれを見ていただきますが、まず一番有名なのはα線です。
プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいるというのを聞いて、私はびっくりしましたが、α線はもっとも危険な物質であります。それはトロトラスト肝障害というので、私ども肝臓医はすごくよく知っております。
要するに内部被曝というのは、先程から一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうものは全く意味がありません。
I131は甲状腺に集まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。これらの体内の集積点をみなければ、全身をいくらホールボディースキャンやっても全く意味がありません。
トロトラストの場合の、このちょっと小さい数字なんで大きい方は後で見て欲しいんですが、これは実際に、トロトラストというのは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ1930年ごろからは日本でも用いられましたが、その後20~30年経つと肝臓がんが25%から30%に起こるという事がわかってまいりました。最初のが出てくるまで20年というのは何故かというと、最初にこのトロトラスト、α線核種なんですが、α線は近隣の細胞を傷害します。その時に一番やられるのはP53という遺伝子です。我々は
今ゲノム科学というので、人の遺伝子、全部配列を知っていますが、一人の人間と別の人間は大体300万箇所違います。ですから、人間同じとしてやるような処理は、今日では全く意味がありません。いわゆるパーソナルライフメディスンというやり方で、放射線の内部障害をみる時も、どの遺伝子がやられて、どういう風な変化が起こっているか、という事をみるということが原則的な考え方として大事です。
トロトラストの場合は第一段階ではP53の遺伝子がやられて、それに次ぐ第2第3の変異が起こるのが20~30年後かかり、そこで肝臓がんや白血病が起こってくるという事が証明されております。
次にヨウ素131 、これヨウ素はみなさんご存じのとおり甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は、成長期の甲状腺形成期が最も特徴的であり小児におこります。しかしながら、1991年に最初ウクライナの学者が「甲状腺がんが多発している」というときに、日本やアメリカの研究者はネイチャーに「これは因果関係が分からない」ということを投稿しております。何故そんな事を言ったかというと、1986年以前のデータがないから統計学的に優位だという事を言えないということです。しかし、統計学的に優位だという事がわかったのは、先程も長瀧先生からお話しがありましたが20年後です。20年後に何がわかったかというと、86年から起こったピークが消えたために、これは過去のデータが無くても因果関係があるという事がエビデンス(evidence証拠・根拠)になった。ですから、疫学的証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまで大体証明できないです。
ですから今 我々に求められている「子どもを守る」という観点からは、全く違った方法が求められます。
そこで今行われているのは、ここには国立のバイオアッセイ研究センターという化学物質の効果をみる福島昭治先生という方が、ずっとチェルノブイリの尿路系に集まる物を検討されていまして、福島先生たちがウクライナの医師と相談、集めて500例以上の、前立腺肥大の時に手術をしますと、膀胱もとれてきます。これをみまして検索したところ、高濃度汚染地区、尿中に6ベクレル/?という微量ですが、その地域ではP53の変異が非常に増えていて、しかも、増殖性の前癌状態、我々からみますとP38というMAPキナ
ーゼとNF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)というシグナルが活性化されているんですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率に上皮内のがんができているという事が報告されております。
それで、この量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2~13ベクレル 、7名で検出されているという事が既に報告されている事であります。
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我々アイソトープ総合センターでは、現在まで毎週700キロメートル、大体一回4人づつの所員を派遣しまして、南相馬市の除染に協力しております。南相馬でも起こっている事は、全くそうでして、20k,30kという分け方が全然意味がなくて、その幼稚園ごとに細かく測っていかないと 全然ダメです。 それで現在20kから30k圏にバスをたてて、1700人の子どもが行っていますが、実際には避難、その、南相馬で中心地区は海側で学校の7割で比較的線量は低いです、ところが30キロ地点の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早く辞めさせてください。
いま、その一番の障害になっているのは、強制避難でないと保証しない ―
参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っていますが ―
これは分けて下さい。保障問題と、この線引きの問題と、子どもの問題は 直ちに分けて下さい。子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします
それからもう一つは、現地でやっていますと、除染というものの緊急避難的除染と公共的除染をはっきり分けて考えていただきたい。緊急避難的除染を我々もかなりやっております、たとえばここの図表に出ておりますこの滑り台の下、滑り台の下は小さい子が手をつくところですが、この滑り台に雨水がザーッと流れてきますと毎回濃縮します。右側と左側とズレがあって、片側に集まっていますと平均線量1μのところだと10μ以上の線量が出てきます。それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはいけません
それからさまざまな苔が生えているような雨どいの下、ここも実際に子どもが手をついたりしているところなのですが、そういうところは、たとえば高圧洗浄機を持って行って苔を払うと2μシーベルトが0.5μシーベルトまでになります。だけれども、
0.5μシーベルト以下にするのは非常に難しいです。
それは、建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、空間線量として1か所だけ洗っても全体をやる事は非常に難しいです。ですから、除染を本当にやるという時に、いったいどれだけの問題がありどれ位のコストがかかるかという事を、イタイイタイ病の一例で挙げますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなんですがそのうち1500ヘクタールまで、現在除染の国費が8000億円投入されております。もし、この1000倍という事になれば、いったいどのくらいの国費の投入が必要になる
のか。
ですから私は4つの事を緊急に提案したいと思います。
第1に、国策として、食品、土壌、水を、日本が持っている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を用いて、もう、半導体のイメージ化は簡単です、イメージ化にして流れ作業にして、シャットしていってやるということの、最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善して下さい。これは今の日本の科学技術力で全く可能です。
2番目 、緊急に、子どもの被ばくを減少させるために、新しい法律を制定して下さい。私のやっている、現在やっているのは、すべて法律違反です。現在の障害防止法では、各施設で扱える放射線量、核種等は決められています
。東大の27のいろんなセンターを動員して、現在南相馬の支援を行っていますが、多くの施設はセシウムの使用権限など得ておりません。車で運搬するのも違反です。しかしながら、お母さんや先生方に高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから、今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております。受け入れも法律違反、全て法律違反です。
このような状態を放置しているのは、国会の責任であります。全国には、例えば国立大学のアイソトープセンターはゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところは沢山あります。そういうところが手足を縛られたままで、どうやって国民の総力を挙げて子どもが守れるのでしょうか。これは国会の完全なる怠慢であります。
国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬(⇒)
第3番目、国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい。これは、たとえば 、東レだとかクリタだとかさまざまな化学メーカー、千代田テクノとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから竹中工務店とか様々なところは、放射線の除染などに対してさまざまなノウハウを持っています。こういうものを結集して現地に直ちに除染研究センターを作って、実際に何10兆円という金額がかかるのを、いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を、私はすごく持っております。
(⇒)もありません。どうやって除染を本当にやるか、7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか 、
以上です
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=
★★さんへのメールには、次のことも書かれていました。
続きを読むに初めて聞いた専門用語など、少し調べて書きました。
アイソトープ
ひとことで言うと原子は、地球上のすべてのものを構成する目には見えない小さな粒のこと。
カリウム、鉄、酸素、炭素などたくさんの種類があって、それぞれの役目を果たして活躍しているのです。
そしてその中に、化学的性質は同じでも、重さが少しだけ違う原子(元素)があります。
これらの元素を同位元素(アイソトープ)と呼びます。
同位元素の中には「活発な状態の原子」から「落ち着いた状態の原子」に変わろうとする時に放射線を出す放射性同位元素(ラジオアイソトープ)というものがあります。
自然界には、ウラン、ラジウム、カリウムなど約90種類の元素があり、一方同位元素は原子炉などで人工的に作り出されているものを含めると約2,000種類以上もあります。
ちなみに放射線を出すアイソトープを含んだ物質を放射性物質、放射線を出す能力を、放射能といいます。
抗体医薬品
がん細胞などの特定の細胞だけを狙い撃ちにする抗体を利用した医薬品。抗体医薬品とは、特定の細胞や組織(物質や分子)にだけ効果がある抗体を利用した医薬品のことです。
抗体医薬品は、がん細胞などの表面に出ている、異物であること示す目印(抗原タンパク質)を ピンポイントでねらい撃ちするため、治療効果と副作用の軽減が期待できます。
そのため、効果的かつ副作用の少ないがん治療が可能になることが期待されています。
トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆に次ぐ大規模な放射線による健康障害をもたらした。
体内に注入されたトロトラストは肝臓や骨髄などに沈着しα線を長年月にわたって放出する。
数十年経過後、肝がん、肝硬変や白血病を発症し、死亡率も高いことが明らかにされている。
福島 昭治(ふくしましょうじ)
食品安全委員会添加物専門調査会座長、中央労働災害防止協会日本バイオアッセイ研究センター所長、名古屋市立大学医学部卒。医学博士。
大阪市立大学大学院医学研究科長兼医学部長、都市環境病理学教授等を経て現職。
化学物質の発がん性、特にリスクアセスメントを研究領域とし、発がん物質のしきい値、ヒト発がん物質ヒ素の実験的証明、がんの化学予防などについて焦点を絞って研究。また
、実験的膀胱発がんおよび膀胱の病理、特にチェルノブイリ事故後の膀胱病変を追究している。著書多数。
MAPキナーゼ
分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(英:Mitogen-activated Protein Kinase)
全身の細胞に広く発現しており、様々な細胞の機能発現において重要な働きをしている。
単にMAP(マップ)キナーゼと略して呼ばれることが多い。
NF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー )
NF-κBは免疫反応において中心的役割を果たす転写因子の一つであり、 急性および慢性炎症反応や細胞増殖、アポトーシスなどの数多くの生理現象に関与している。
NF-κB活性制御の不良はクローン病や関節リウマチなどの炎症性疾患をはじめとし、
癌や敗血症性ショックなどの原因となり、特に悪性腫瘍では多くの場合NF-κBの恒常的活性化が認められる。 さらにNF-κBはサイトメガロウイルス (CMV)
やヒト免疫不全ウイルス (HIV) の増殖にも関与している。
【〔訂正〕トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆に次ぐ大規模な放射線による健康障害をもたらした。
体内に注入されたトロトラストは肝臓や骨髄などに沈着しα線を長年月にわたって放出する。
数十年経過後、肝がん、肝硬変や白血病を発症し、死亡率も高いことが明らかにされている。
ここで、《二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線。 》の行末にある句点 ” 。”
はつけるべきではありませんでした。私のごく単純な思い違いによるものでした。訂正後は
トロトラスト
二酸化トリウムコロイドを主剤とするX線
造影剤トロトラストは、わが国では広島、長崎の原爆…… 】
答弁質疑応答続編(文章起こしはまだです。)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=LunV27H3oW8#at=777
国会審議テレビ中継のビデオです。
平和を共に築こう - 日本とカザフスタン 若者達の絆 9/19
ヒロシマ、ナガサキ、セミパラチンスクの核兵器によるヒバクシャ。
チェルノブイリ、そしてフクシマの原発事故によるヒバクシャ。
世界に広がる核兵器、世界に広がる原発。
この事業では、カザフスタン・ツアー2011 に参加した大学生を中心に、核廃絶に向けた次世代からのメッセージを発信します。また当日の基調講演には、平岡敬元広島市長をお迎えしご講演いただきます。
■カザフスタン・ツアー2011 について
かつて核による被害を受けた歴史を持つ日本とカザフスタンの若者が、国を越えて平和運動を継続させることは、核廃絶への思いを世界に発信する大きなアクションの一つとなる。その思いから、国際交流グループ“CANVaS”は、これまで多くの方々の協力を得て、両国の若者による国際交流、平和活動を国内外で続けてきた。その繋がりをさらなる平和運動の活性化に活かすべく、2011 年夏に4 度目となるカザフスタンへのツアーを実施。
事業内容:
日 時 2011年 9月19日(月・祭日) 14:00 - 16:00
会 場 広島平和記念資料館 東館地下1階 メモリアルホール
参 加 費 無料
内 容
1. オープニング カザフスタン留学生による民族舞踊
2. 基調講演 「ヒロシマ、セミパラチンスク、フクシマから何を学ぶか」
平岡 敬(元広島市長、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト名誉会長)
広島市長退任後から毎年、カザフスタンを訪れ旧ソ連の核実験場周辺被害者の被曝証言調査を広島大学の専門家とともに行っている。また、一貫して人間の立場に沿った救援と核廃絶の為に多くの講演を行い若者たちの平和への活動を呼びかけている。
3. カザフスタン・ツアー2011 参加者報告
大学生(広島大学,広島修道大学,日本大学),CANVaS
4. 意見交換
主催:国際交流グループ “CANVaS”, 日本大学 国際関係学部 国際交流学科 安元ゼミ,ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト, 日本ユーラシア協会広島支部, 広島市女性団体連絡会議,安芸コスモス・ゾンタクラブ, 広島高校生平和ゼミナール
後援: 在日カザフスタン共和国大使館
協賛: 多山報恩会, 広島友の会
ヒロシマ、ナガサキ、セミパラチンスクの核兵器によるヒバクシャ。
チェルノブイリ、そしてフクシマの原発事故によるヒバクシャ。
世界に広がる核兵器、世界に広がる原発。
この事業では、カザフスタン・ツアー2011 に参加した大学生を中心に、核廃絶に向けた次世代からのメッセージを発信します。また当日の基調講演には、平岡敬元広島市長をお迎えしご講演いただきます。
■カザフスタン・ツアー2011 について
かつて核による被害を受けた歴史を持つ日本とカザフスタンの若者が、国を越えて平和運動を継続させることは、核廃絶への思いを世界に発信する大きなアクションの一つとなる。その思いから、国際交流グループ“CANVaS”は、これまで多くの方々の協力を得て、両国の若者による国際交流、平和活動を国内外で続けてきた。その繋がりをさらなる平和運動の活性化に活かすべく、2011 年夏に4 度目となるカザフスタンへのツアーを実施。
事業内容:
日 時 2011年 9月19日(月・祭日) 14:00 - 16:00
会 場 広島平和記念資料館 東館地下1階 メモリアルホール
参 加 費 無料
内 容
1. オープニング カザフスタン留学生による民族舞踊
2. 基調講演 「ヒロシマ、セミパラチンスク、フクシマから何を学ぶか」
平岡 敬(元広島市長、ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト名誉会長)
広島市長退任後から毎年、カザフスタンを訪れ旧ソ連の核実験場周辺被害者の被曝証言調査を広島大学の専門家とともに行っている。また、一貫して人間の立場に沿った救援と核廃絶の為に多くの講演を行い若者たちの平和への活動を呼びかけている。
3. カザフスタン・ツアー2011 参加者報告
大学生(広島大学,広島修道大学,日本大学),CANVaS
4. 意見交換
主催:国際交流グループ “CANVaS”, 日本大学 国際関係学部 国際交流学科 安元ゼミ,ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト, 日本ユーラシア協会広島支部, 広島市女性団体連絡会議,安芸コスモス・ゾンタクラブ, 広島高校生平和ゼミナール
後援: 在日カザフスタン共和国大使館
協賛: 多山報恩会, 広島友の会
8.28さようなら上関原発全国集会
2011年08月16日
上関原発に反対する運動として、「さようなら原発1000万人アクション」とも関連して、長崎市の爆心地公園及び広島市の平和記念公園を出発し、上関町まで街宣活動をおこなう「上関原発建設反対キャラバン」が行われます。キャラバンの最終日には上関町において、「8.28さようなら上関原発全国集会(仮称)」を開催し、脱原発社会の実現に向けたスタートを切ります。
●キャラバン行動
【長崎コース】 8/16(火)長崎県・爆心地公園スタート、佐賀、福岡を通り8/28に山口県・上関町到着
【広島コース】 8/26(金)広島県・平和記念公園スタート、8/28(日)に山口県・上関町到着
●8.28さようなら上関原発全国集会
日時:8月28日(日)13:30~15:30
場所:山口県熊毛郡上関町・「室津埋め立て地」
主催:原発に反対する上関町民の会、上関原発を建てさせない祝島島民の会、
原水爆禁止山口県民会議、長島の自然を守る会
内容:主催団体あいさつ/講演/連帯あいさつ/集会宣言/デモ行進
交通:山陽本線「柳井駅」下車。「柳井駅」より上関行きバスに乗車(防長交通)
「室津」下車(写真は祝島より原発予定地長島を望む。)
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2011年08月16日
上関原発に反対する運動として、「さようなら原発1000万人アクション」とも関連して、長崎市の爆心地公園及び広島市の平和記念公園を出発し、上関町まで街宣活動をおこなう「上関原発建設反対キャラバン」が行われます。キャラバンの最終日には上関町において、「8.28さようなら上関原発全国集会(仮称)」を開催し、脱原発社会の実現に向けたスタートを切ります。
●キャラバン行動
【長崎コース】 8/16(火)長崎県・爆心地公園スタート、佐賀、福岡を通り8/28に山口県・上関町到着
【広島コース】 8/26(金)広島県・平和記念公園スタート、8/28(日)に山口県・上関町到着
●8.28さようなら上関原発全国集会
日時:8月28日(日)13:30~15:30
場所:山口県熊毛郡上関町・「室津埋め立て地」
主催:原発に反対する上関町民の会、上関原発を建てさせない祝島島民の会、
原水爆禁止山口県民会議、長島の自然を守る会
内容:主催団体あいさつ/講演/連帯あいさつ/集会宣言/デモ行進
交通:山陽本線「柳井駅」下車。「柳井駅」より上関行きバスに乗車(防長交通)
「室津」下車(写真は祝島より原発予定地長島を望む。)
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2011年8月6日 8月9日 平和宣言
広島 平和宣言
平和宣言広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平 和 宣 言
66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。――「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです。」
ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。――「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた。」
原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。――「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。…『ごめんなさい』…。」
それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。
被爆者は、様々な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇らせました。
その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。
私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取組を強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。
今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。
私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。
平成23年(2011年)8月6日
広島市長 松井 一實
長崎市 平和宣言
長 崎 平 和 宣 言
今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。
一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。
長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。
世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。
1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。
2011年(平成23年)8月9日
長崎市長 田上 富久
The City of Hiroshima
PEACE DECLARATION
August 6, 2011
Sixty-six years ago, despite the war, the people of Hiroshima were leading fairly normal lives. Until that fateful moment, many families were enjoying life together right here in what is now Peace Memorial Park and was then
one of the city’s most prosperous districts. A man who was thirteen at the time shares this: “August fifth was a Sunday, and for me, a second-year student in middle school, the first full day off in a very long time. I asked a good friend from school to come with me, and we went on down to the river. Forgetting all about the time, we stayed until twilight, swimming and playing on the sandy riverbed. That hot mid-summer’s day was the last time I ever saw him.”
The next morning, August sixth at 8:15, a single atomic bomb ripped those normal lives out by the roots. This description is from a woman who was sixteen at the time: “My forty-kilogram body was blown seven meters by
the blast, and I was knocked out. When I came to, it was pitch black and utterly silent. In that soundless world, I thought I was the only one left. I was naked except for some rags around my hips. The skin on my left arm had
peeled off in five-centimeter strips that were all curled up. My right arm was sort of whitish. Putting my hands to my face, I found my right cheek quite rough while my left cheek was all slimy.”
Their community and lives ravaged by an atomic bomb, the survivors were stunned and injured, and yet, they did their best to help each other: “Suddenly, I heard lots of voices crying and screaming, ‘Help!’ ‘Mommy, help!’
Turning to a voice nearby I said, ‘I’ll help you.’ I tried to move in that direction but my body was so heavy. I did manage to move enough to save one young child, but with no skin on my hands, I was unable to help any more.
…‘I’m really sorry.’ …”
Such scenes were unfolding not just here where this park is but all over Hiroshima. Wanting to help but unable to do so—many also still live with the guilt of being their family’s sole survivor.
Based on their own experiences and carrying in their hearts the voices and feelings of those sacrificed to the bomb,
the hibakusha called for a world without nuclear weapons as they struggled day by day to survive. In time, along with other Hiroshima residents, and with generous assistance from Japan and around the world, they managed to bring their city back to life.
Their average age is now over 77. Calling forth what remains of the strength that revived their city, they continue to pursue the lasting peace of a world free from nuclear weapons. Can we let it go at this? Absolutely not. The time has come for the rest of us to learn from all the hibakusha what they experienced and their desire for peace.
Then, we must communicate what we learn to future generations and the rest of the world.
Through this Peace Declaration, I would like to communicate the hibakusha experience and desire for peace to each and every person on this planet. Hiroshima will pour everything we have into working, along with Nagasaki,
to expand Mayors for Peace such that all cities, those places around the world where people gather, will strive together to eliminate nuclear weapons by 2020. Moreover, we want all countries, especially the nuclear-armed states, including the United States of America, which continues its subcritical nuclear testing and related experiments, to pursue enthusiastically a process that will abolish nuclear weapons. To that end, we plan to host an international conference that will bring the world’s policymakers to Hiroshima to discuss the nuclear non-proliferation regime.
The Great East Japan Earthquake of March eleventh this year was so destructive it revived images of Hiroshima 66 years ago and still pains our hearts. Here in Hiroshima we sincerely pray for the souls of all who perished and strongly support the survivors, wishing them the quickest possible recovery.
The accident at Tokyo Electric Power Company’s Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the ongoing threat of radiation have generated tremendous anxiety among those in the affected areas and many others. The trust the Japanese people once had in nuclear power has been shattered. From the common admonition that“nuclear energy and humankind cannot coexist,” some seek to abandon nuclear power altogether. Others advocate extremely strict control of nuclear power and increased utilization of renewable energy.
The Japanese government should humbly accept this reality, quickly review our energy policies, and institute concrete countermeasures to regain the understanding and trust of the people. In addition, with our hibakusha aging, we demand that the Japanese government promptly expand its “black rain areas” and offer more comprehensive and caring assistance measures to all hibakusha regardless of their countries of residence.
Offering our heartfelt condolences to the souls of the A-bomb victims, reaffirming our conviction that “the atomic bombing must never be repeated” and “no one else should ever have to suffer like this,” we hereby pledge to do everything in our power to abolish nuclear weapons and build lasting world peace.
MATSUI Kazumi
Mayor
The City of Hiroshima
Nagasaki Peace Declaration
This March, we were astounded by the severity of accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station operated by the Tokyo Electric Power Company, Inc., after the occurrence of the Great East Japan Earthquake and ensuing tsunami. With some of the station’s reactors exposed to the open air
due to explosions, no residents are now to be found in the communities surrounding the station.
There is no telling when those who have been evacuated because of the radiation can return home.
As the people of a nation that has experienced nuclear devastation, we continued the plea of “No More Hibakusha!” How has it come that we are threatened once again by the fear of radiation?
Have we lost our awe of nature? Have we become overconfident in the control we wield as human beings? Have we turned away from our responsibility for the future? Now is the time to discuss thoroughly and choose what kind of society we will create from this point on.
No matter how long it will take, it is necessary to promote the development of renewable energies in place of nuclear power in a bid to transform ourselves into a society with a safer energy base.
Many people once believed the myth of the safety of nuclear power plants, from some moment in the past to the occurrence of the nuclear power station accident in Fukushima.
What about the more than 20,000 nuclear weapons in the world?
Do we still believe that the world is safer thanks to nuclear deterrence? Do we still take it for granted that no nuclear weapons will ever be used again? Now seeing how the radiation released by an accident at just a single nuclear power station is causing such considerable confusion in society,
we can clearly understand how inhumane it is to attack people with nuclear weapons.
We call upon all people in the world to simply imagine how terrifying it would be if a nuclear weapon hundreds of times more powerful than the Hiroshima and Nagasaki atomic bombs were to be exploded in the sky above our cities.
While intense heat rays would melt human beings and anything else nearby, horrific blast winds would fling buildings through the air and crush them instantly. A countless number of charred bodies would be scattered among the ruins. Some people would hover between life and death, while
others would suffer from their injuries. Even if there were survivors, the intense radioactivity would prevent any rescue efforts. Radioactive substances would be carried far away by the wind to all
corners of the world, resulting in widespread contamination of the earth’s environment, and in affecting people with a plague of health effects for generations to come.
We must never allow anyone in the future to experience such agony. Nuclear weapons are never needed. No reason can ever justify human beings possessing even one nuclear weapon.
In April 2009, President Barack Obama of the United States of America stated in his speech in Prague, the Czech Republic, that the U.S. will seek “a world without nuclear weapons.” Such a
concrete goal presented by the most powerful nuclear weapons state raised expectations all over the world. While some positive results have certainly been achieved, such as the conclusion of an agreement between the U.S. and Russia on the reduction of nuclear weapons, no significant progress has been observed since. In fact, there has even been a regressive trend, such as the
implementation of new nuclear simulation tests.
We call for U.S. President Obama to demonstrate his leadership toward realizing “a world without nuclear weapons,” and to never disappoint the people in the atomic-bombed cities or anywherethroughout the world.
2
The time has come for international society, including the nuclear weapons states of the U.S.,
Russia, the United Kingdom, France and China, to launch efforts toward the conclusion of the Nuclear Weapons Convention (NWC), which aims for complete abolishment of all nuclear weapons.
As the government of the only nation to have endured atomic bombings, the Japanese government must strongly promote such efforts.
We urge once again that the Japanese government act in accordance with the ideals of peace and renunciation of war prescribed in the Japanese Constitution. The government must work on enacting the Three Non-Nuclear Principles into law and establishing the Northeast Asian Nuclear
Weapon-Free Zone to ensure complete denuclearization of Japan, South Korea and North Korea.
The Japanese government must also enhance relief measures that correspond with the reality for aging atomic bomb survivors.
This year, at the United Nations Office in Geneva, the city of Nagasaki will exhibit materials concerning the catastrophes of the atomic bombings, in cooperation with the United Nations, the Japanese government and the city of Hiroshima. We hope that many people around the world learn about the atrocity and cruelty of the devastation by the atomic bombings.
We encourage all of you who seek “a world without nuclear weapons” to also organize an atomic bombing exhibition, even if it is a small-scale event, in your own cities in cooperation with Nagasaki. We look forward to photography panels of the atomic bombings being exhibited in streets all over the world. It is our hope that you join hands with people from the atomic-bombed cities and extend the circle of peace so all people can live a humane life.
On August 9, 1945 at 11:02 a.m., Nagasaki was destroyed by an atomic bomb. From the ruins, we have accomplished our restoration as a city of peace. We hope that people in Fukushima will never give up and that people in the affected areas of eastern Japan never forget that across the world are
friends who will always be behind them. We sincerely hope that the affected areas will be restored and that the situation with the nuclear power plant accident settles down as soon as possible.
We offer our sincere condolences on the deaths of all the victims of the atomic bombings and the Great East Japan Earthquake, and together with the city of Hiroshima, pledge to continue appealing to the world for the complete elimination of nuclear weapons.
Tomihisa Taue
Mayor of Nagasaki
August 9, 2011
Декларация Мира Нагасаки
События, произошедшие в марте этого года – Великое Восточно-японское землетрясение и последовавшая за ним крупная авария на атомной электростанции «Фукусима-1» электроэнергетической компании «Токио Дэнрёку» – глубоко потрясли нас. Обнажившийся после взрыва реактор, опустевшие посёлки вокруг. Люди покинули свои дома из-за радиации и неизвестно,когда вернутся назад. Почему же нашу страну, пострадавшую от атомной бомбардировки и взывавшую «да не будет
больше жертв ядерного взрыва!», снова охватил ужас перед радиацией?
Может быть, мы забыли страх перед силами природы? Или слишком понадеялись на способность человека их контролировать? Не забыли ли мы об ответственности перед будущим? Какое общество мы хотим построить? Пришло время основательно задуматься над этими проблемами и сделать,наконец, выбор. Хотя и потребуется длительное время для перехода к обществу с более безопасными,чем атомная, видами энергии, необходимо продолжать поиски альтернативных источников энергии .
А что можно сделать с ядерными запасами по всему миру в количестве более 20 тыс. единиц?
До возникновения аварии на АЭС Фукусимы многие люди верили в миф о безопасности атомной энергии. Не уверились ли мы в том, что именно благодаря сдерживающей силе ядерного оружия обеспечивается безопасность мира, и что ядерное оружие никогда не будет применено? Сейчас мы видим, какой хаос превносит радиация в общество из-за аварии на одной АЭС. Мы должны ясно осознавать, каким антигуманным было бы нападение на людей с применением ядерного оружия.
Люди мира, задумайтесь. Представьте весь ужас того, что над вами может взорваться ядерная бомба, мощность которой будет в несколько сотен раз превышать мощность бомб,
сброшенных на Хиросиму и Нагасаки. Представьте сильное тепловое излучение, расплавляющее всё вокруг : и людей, и предметы; ужасную ударную волну, разбивающую и расплющивающую здания; бесчисленное множество обугленных трупов, разбросанных повсюду; искалеченных и находящихся на грани жизни и смерти людей. Если даже кто-то и выживет, то из-за сильной радиации к ним никто не сможет прийти на помощь.
Радиактивные вещества, поднятые в воздух, будут разнесены ветром на дальние расстояния, и загрязнение распространится по всей Земле. На протяжении нескольких десятилетий люди будут страдать от последствий. Ни в коем случае нельзя допустить такого будущего для следующих поколений. Ядерное оружие человечеству не нужно, и нет оснований для его хранения.
В апреле позапрошлого года в Праге, Чехия, американский президент Обама заявил о стремлении к «миру без ядерного оружия». Это заявление крупнейшей в мире ядерной державы вселило надежду в людей во всём мире. Заключенный между США и
Россией «Договор о сокращении ядерного оружия» свидетельствует о достижении определённых результатов, однако после этого не наблюдается никакого прогресса в данном
направлении, а даже наоборот было проведено новое пробное испытание ядерного оружия.
Президент Обама, мы просим Вас не разочаровывать как пострадавших от атомной бомбардировки, так и остальных людей во всем мире и призываем взять на себя руководство по осуществлению идеи создания «мира без ядерного оружия».
В настоящее время всё мировое сообщество, и в первую очередь ядерные державы, такие как США, Россия, Великобритания, Франция и КНР, должны прилагать все усилия для заключения «Конвенции о запрещении ядерного оружия» (NWC). Мы требуем у правительства Японии, страны, пострадавшей от атомной бомбардировки, изо всех сил стремиться к этому.
Мы обращаемся к правительству Японии с просьбой действовать в согласии с конституцией, основанной на антивоенных и мирных концепциях, продолжать работу над узакониванием «3-х безъядерных принципов» и над созданием «Безъядерной зоны Северо-Восточной Азии», которая включала бы Японию, Южную и Северную Кореи,обеспечив им статус безъядерных стран. Кроме того, мы просим позаботиться о качественном улучшении помощи пожилым жертвам атомной бомбардировки.
В этом году город Нагасаки совместно с ООН, правительствами Японии и города Хиросима в Европейской штаб-квартире ООН в Женеве проводит выставку, повествующую о трагедии атомного взрыва. Мы хотим, чтобы как можно больше людей во всем мире узнали об ужасе и жестокости разрушительной силы атомной бомбы.
Все, кто желает «мира без ядерного оружия», давайте организовывать, пусть даже небольшие, выставки, посвящённые трагедии атомного взрыва, в своих городах при сотрудничестве с городом Нагасаки; выставлять стенды с фотографиями последствий ядерного взрыва. Встав плечом к плечу с пострадавшей страной, давайте объединимся для создания мирной человеческой жизни для всех.
9 августа 1945 года 11 часов 2 минуты город Нагасаки был разрушен атомной бомбой.
Но он восстал из пепла и стал городом мира. Жители Фукусимы, не теряйте надежды!
Жертвы Восточно-японского землетрясения, весь мир поддерживает вас!
От всего сердца мы желаем вам скорейшего восстановления и успешной ликвидации аварии на АЭС. Мы глубоко сожалеем о погибших в результате атомной бомбардировки и во время
Восточно-японского землетрясения и заявляем, что вместе с городом Хиросима мы будем продолжать взывать к миру о полном уничтожении ядерного оружия.
9 августа 2011 года
Мэр города Нагасаки Тауэ Томихиса
広島 平和宣言
平和宣言広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平 和 宣 言
66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。――「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです。」
ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。――「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた。」
原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。――「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。…『ごめんなさい』…。」
それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。
被爆者は、様々な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇らせました。
その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。
私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取組を強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。
今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。
また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。
日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。
私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。
平成23年(2011年)8月6日
広島市長 松井 一實
長崎市 平和宣言
長 崎 平 和 宣 言
今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。
自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。
福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。
一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。
長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。
「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。
世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。
1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。
2011年(平成23年)8月9日
長崎市長 田上 富久
The City of Hiroshima
PEACE DECLARATION
August 6, 2011
Sixty-six years ago, despite the war, the people of Hiroshima were leading fairly normal lives. Until that fateful moment, many families were enjoying life together right here in what is now Peace Memorial Park and was then
one of the city’s most prosperous districts. A man who was thirteen at the time shares this: “August fifth was a Sunday, and for me, a second-year student in middle school, the first full day off in a very long time. I asked a good friend from school to come with me, and we went on down to the river. Forgetting all about the time, we stayed until twilight, swimming and playing on the sandy riverbed. That hot mid-summer’s day was the last time I ever saw him.”
The next morning, August sixth at 8:15, a single atomic bomb ripped those normal lives out by the roots. This description is from a woman who was sixteen at the time: “My forty-kilogram body was blown seven meters by
the blast, and I was knocked out. When I came to, it was pitch black and utterly silent. In that soundless world, I thought I was the only one left. I was naked except for some rags around my hips. The skin on my left arm had
peeled off in five-centimeter strips that were all curled up. My right arm was sort of whitish. Putting my hands to my face, I found my right cheek quite rough while my left cheek was all slimy.”
Their community and lives ravaged by an atomic bomb, the survivors were stunned and injured, and yet, they did their best to help each other: “Suddenly, I heard lots of voices crying and screaming, ‘Help!’ ‘Mommy, help!’
Turning to a voice nearby I said, ‘I’ll help you.’ I tried to move in that direction but my body was so heavy. I did manage to move enough to save one young child, but with no skin on my hands, I was unable to help any more.
…‘I’m really sorry.’ …”
Such scenes were unfolding not just here where this park is but all over Hiroshima. Wanting to help but unable to do so—many also still live with the guilt of being their family’s sole survivor.
Based on their own experiences and carrying in their hearts the voices and feelings of those sacrificed to the bomb,
the hibakusha called for a world without nuclear weapons as they struggled day by day to survive. In time, along with other Hiroshima residents, and with generous assistance from Japan and around the world, they managed to bring their city back to life.
Their average age is now over 77. Calling forth what remains of the strength that revived their city, they continue to pursue the lasting peace of a world free from nuclear weapons. Can we let it go at this? Absolutely not. The time has come for the rest of us to learn from all the hibakusha what they experienced and their desire for peace.
Then, we must communicate what we learn to future generations and the rest of the world.
Through this Peace Declaration, I would like to communicate the hibakusha experience and desire for peace to each and every person on this planet. Hiroshima will pour everything we have into working, along with Nagasaki,
to expand Mayors for Peace such that all cities, those places around the world where people gather, will strive together to eliminate nuclear weapons by 2020. Moreover, we want all countries, especially the nuclear-armed states, including the United States of America, which continues its subcritical nuclear testing and related experiments, to pursue enthusiastically a process that will abolish nuclear weapons. To that end, we plan to host an international conference that will bring the world’s policymakers to Hiroshima to discuss the nuclear non-proliferation regime.
The Great East Japan Earthquake of March eleventh this year was so destructive it revived images of Hiroshima 66 years ago and still pains our hearts. Here in Hiroshima we sincerely pray for the souls of all who perished and strongly support the survivors, wishing them the quickest possible recovery.
The accident at Tokyo Electric Power Company’s Fukushima Daiichi Nuclear Power Station and the ongoing threat of radiation have generated tremendous anxiety among those in the affected areas and many others. The trust the Japanese people once had in nuclear power has been shattered. From the common admonition that“nuclear energy and humankind cannot coexist,” some seek to abandon nuclear power altogether. Others advocate extremely strict control of nuclear power and increased utilization of renewable energy.
The Japanese government should humbly accept this reality, quickly review our energy policies, and institute concrete countermeasures to regain the understanding and trust of the people. In addition, with our hibakusha aging, we demand that the Japanese government promptly expand its “black rain areas” and offer more comprehensive and caring assistance measures to all hibakusha regardless of their countries of residence.
Offering our heartfelt condolences to the souls of the A-bomb victims, reaffirming our conviction that “the atomic bombing must never be repeated” and “no one else should ever have to suffer like this,” we hereby pledge to do everything in our power to abolish nuclear weapons and build lasting world peace.
MATSUI Kazumi
Mayor
The City of Hiroshima
Nagasaki Peace Declaration
This March, we were astounded by the severity of accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station operated by the Tokyo Electric Power Company, Inc., after the occurrence of the Great East Japan Earthquake and ensuing tsunami. With some of the station’s reactors exposed to the open air
due to explosions, no residents are now to be found in the communities surrounding the station.
There is no telling when those who have been evacuated because of the radiation can return home.
As the people of a nation that has experienced nuclear devastation, we continued the plea of “No More Hibakusha!” How has it come that we are threatened once again by the fear of radiation?
Have we lost our awe of nature? Have we become overconfident in the control we wield as human beings? Have we turned away from our responsibility for the future? Now is the time to discuss thoroughly and choose what kind of society we will create from this point on.
No matter how long it will take, it is necessary to promote the development of renewable energies in place of nuclear power in a bid to transform ourselves into a society with a safer energy base.
Many people once believed the myth of the safety of nuclear power plants, from some moment in the past to the occurrence of the nuclear power station accident in Fukushima.
What about the more than 20,000 nuclear weapons in the world?
Do we still believe that the world is safer thanks to nuclear deterrence? Do we still take it for granted that no nuclear weapons will ever be used again? Now seeing how the radiation released by an accident at just a single nuclear power station is causing such considerable confusion in society,
we can clearly understand how inhumane it is to attack people with nuclear weapons.
We call upon all people in the world to simply imagine how terrifying it would be if a nuclear weapon hundreds of times more powerful than the Hiroshima and Nagasaki atomic bombs were to be exploded in the sky above our cities.
While intense heat rays would melt human beings and anything else nearby, horrific blast winds would fling buildings through the air and crush them instantly. A countless number of charred bodies would be scattered among the ruins. Some people would hover between life and death, while
others would suffer from their injuries. Even if there were survivors, the intense radioactivity would prevent any rescue efforts. Radioactive substances would be carried far away by the wind to all
corners of the world, resulting in widespread contamination of the earth’s environment, and in affecting people with a plague of health effects for generations to come.
We must never allow anyone in the future to experience such agony. Nuclear weapons are never needed. No reason can ever justify human beings possessing even one nuclear weapon.
In April 2009, President Barack Obama of the United States of America stated in his speech in Prague, the Czech Republic, that the U.S. will seek “a world without nuclear weapons.” Such a
concrete goal presented by the most powerful nuclear weapons state raised expectations all over the world. While some positive results have certainly been achieved, such as the conclusion of an agreement between the U.S. and Russia on the reduction of nuclear weapons, no significant progress has been observed since. In fact, there has even been a regressive trend, such as the
implementation of new nuclear simulation tests.
We call for U.S. President Obama to demonstrate his leadership toward realizing “a world without nuclear weapons,” and to never disappoint the people in the atomic-bombed cities or anywherethroughout the world.
2
The time has come for international society, including the nuclear weapons states of the U.S.,
Russia, the United Kingdom, France and China, to launch efforts toward the conclusion of the Nuclear Weapons Convention (NWC), which aims for complete abolishment of all nuclear weapons.
As the government of the only nation to have endured atomic bombings, the Japanese government must strongly promote such efforts.
We urge once again that the Japanese government act in accordance with the ideals of peace and renunciation of war prescribed in the Japanese Constitution. The government must work on enacting the Three Non-Nuclear Principles into law and establishing the Northeast Asian Nuclear
Weapon-Free Zone to ensure complete denuclearization of Japan, South Korea and North Korea.
The Japanese government must also enhance relief measures that correspond with the reality for aging atomic bomb survivors.
This year, at the United Nations Office in Geneva, the city of Nagasaki will exhibit materials concerning the catastrophes of the atomic bombings, in cooperation with the United Nations, the Japanese government and the city of Hiroshima. We hope that many people around the world learn about the atrocity and cruelty of the devastation by the atomic bombings.
We encourage all of you who seek “a world without nuclear weapons” to also organize an atomic bombing exhibition, even if it is a small-scale event, in your own cities in cooperation with Nagasaki. We look forward to photography panels of the atomic bombings being exhibited in streets all over the world. It is our hope that you join hands with people from the atomic-bombed cities and extend the circle of peace so all people can live a humane life.
On August 9, 1945 at 11:02 a.m., Nagasaki was destroyed by an atomic bomb. From the ruins, we have accomplished our restoration as a city of peace. We hope that people in Fukushima will never give up and that people in the affected areas of eastern Japan never forget that across the world are
friends who will always be behind them. We sincerely hope that the affected areas will be restored and that the situation with the nuclear power plant accident settles down as soon as possible.
We offer our sincere condolences on the deaths of all the victims of the atomic bombings and the Great East Japan Earthquake, and together with the city of Hiroshima, pledge to continue appealing to the world for the complete elimination of nuclear weapons.
Tomihisa Taue
Mayor of Nagasaki
August 9, 2011
Декларация Мира Нагасаки
События, произошедшие в марте этого года – Великое Восточно-японское землетрясение и последовавшая за ним крупная авария на атомной электростанции «Фукусима-1» электроэнергетической компании «Токио Дэнрёку» – глубоко потрясли нас. Обнажившийся после взрыва реактор, опустевшие посёлки вокруг. Люди покинули свои дома из-за радиации и неизвестно,когда вернутся назад. Почему же нашу страну, пострадавшую от атомной бомбардировки и взывавшую «да не будет
больше жертв ядерного взрыва!», снова охватил ужас перед радиацией?
Может быть, мы забыли страх перед силами природы? Или слишком понадеялись на способность человека их контролировать? Не забыли ли мы об ответственности перед будущим? Какое общество мы хотим построить? Пришло время основательно задуматься над этими проблемами и сделать,наконец, выбор. Хотя и потребуется длительное время для перехода к обществу с более безопасными,чем атомная, видами энергии, необходимо продолжать поиски альтернативных источников энергии .
А что можно сделать с ядерными запасами по всему миру в количестве более 20 тыс. единиц?
До возникновения аварии на АЭС Фукусимы многие люди верили в миф о безопасности атомной энергии. Не уверились ли мы в том, что именно благодаря сдерживающей силе ядерного оружия обеспечивается безопасность мира, и что ядерное оружие никогда не будет применено? Сейчас мы видим, какой хаос превносит радиация в общество из-за аварии на одной АЭС. Мы должны ясно осознавать, каким антигуманным было бы нападение на людей с применением ядерного оружия.
Люди мира, задумайтесь. Представьте весь ужас того, что над вами может взорваться ядерная бомба, мощность которой будет в несколько сотен раз превышать мощность бомб,
сброшенных на Хиросиму и Нагасаки. Представьте сильное тепловое излучение, расплавляющее всё вокруг : и людей, и предметы; ужасную ударную волну, разбивающую и расплющивающую здания; бесчисленное множество обугленных трупов, разбросанных повсюду; искалеченных и находящихся на грани жизни и смерти людей. Если даже кто-то и выживет, то из-за сильной радиации к ним никто не сможет прийти на помощь.
Радиактивные вещества, поднятые в воздух, будут разнесены ветром на дальние расстояния, и загрязнение распространится по всей Земле. На протяжении нескольких десятилетий люди будут страдать от последствий. Ни в коем случае нельзя допустить такого будущего для следующих поколений. Ядерное оружие человечеству не нужно, и нет оснований для его хранения.
В апреле позапрошлого года в Праге, Чехия, американский президент Обама заявил о стремлении к «миру без ядерного оружия». Это заявление крупнейшей в мире ядерной державы вселило надежду в людей во всём мире. Заключенный между США и
Россией «Договор о сокращении ядерного оружия» свидетельствует о достижении определённых результатов, однако после этого не наблюдается никакого прогресса в данном
направлении, а даже наоборот было проведено новое пробное испытание ядерного оружия.
Президент Обама, мы просим Вас не разочаровывать как пострадавших от атомной бомбардировки, так и остальных людей во всем мире и призываем взять на себя руководство по осуществлению идеи создания «мира без ядерного оружия».
В настоящее время всё мировое сообщество, и в первую очередь ядерные державы, такие как США, Россия, Великобритания, Франция и КНР, должны прилагать все усилия для заключения «Конвенции о запрещении ядерного оружия» (NWC). Мы требуем у правительства Японии, страны, пострадавшей от атомной бомбардировки, изо всех сил стремиться к этому.
Мы обращаемся к правительству Японии с просьбой действовать в согласии с конституцией, основанной на антивоенных и мирных концепциях, продолжать работу над узакониванием «3-х безъядерных принципов» и над созданием «Безъядерной зоны Северо-Восточной Азии», которая включала бы Японию, Южную и Северную Кореи,обеспечив им статус безъядерных стран. Кроме того, мы просим позаботиться о качественном улучшении помощи пожилым жертвам атомной бомбардировки.
В этом году город Нагасаки совместно с ООН, правительствами Японии и города Хиросима в Европейской штаб-квартире ООН в Женеве проводит выставку, повествующую о трагедии атомного взрыва. Мы хотим, чтобы как можно больше людей во всем мире узнали об ужасе и жестокости разрушительной силы атомной бомбы.
Все, кто желает «мира без ядерного оружия», давайте организовывать, пусть даже небольшие, выставки, посвящённые трагедии атомного взрыва, в своих городах при сотрудничестве с городом Нагасаки; выставлять стенды с фотографиями последствий ядерного взрыва. Встав плечом к плечу с пострадавшей страной, давайте объединимся для создания мирной человеческой жизни для всех.
9 августа 1945 года 11 часов 2 минуты город Нагасаки был разрушен атомной бомбой.
Но он восстал из пепла и стал городом мира. Жители Фукусимы, не теряйте надежды!
Жертвы Восточно-японского землетрясения, весь мир поддерживает вас!
От всего сердца мы желаем вам скорейшего восстановления и успешной ликвидации аварии на АЭС. Мы глубоко сожалеем о погибших в результате атомной бомбардировки и во время
Восточно-японского землетрясения и заявляем, что вместе с городом Хиросима мы будем продолжать взывать к миру о полном уничтожении ядерного оружия.
9 августа 2011 года
Мэр города Нагасаки Тауэ Томихиса