田兒之浦從 十六夜日記
廿五日、菊川を出でゝ、今日は大井川といふ河を渡る。水いとあせて、聞ゝしには違ひてわづらひ無し。河原幾里とかや。いと遥か也。水の出でたらん面影、推し量らる。 思ひ出づる都と...
十六夜日記 不破の関
十六夜日記 今日は、十六日の夜なりけり。いと苦しくて、うち臥しぬ。いまだ月の光かすかに残りたる明ぼのに、守山を出でて行く。野洲川渡る程、先立ちて行旅人の駒の足音ばかりさやかに...
千五百番歌合 秋四 七百九十七~八番 書写者不明断簡コレクション
心詞いづれもいとよろしく侍べし。 七百九十七番 左 左大臣 苔のうへにあらし吹しくから錦たゝまくおしきもりのかげ哉 右 定家朝臣 ...
千五百番歌合 秋四 七百八十九~九十番 書写者不明断簡コレクション
侍らじ。 七百八十九番 左 小侍従 なるこひく鳥羽田のおもの夕まぐれいろ/\にこそかぜもみえけれ 右 三宮 影やど...
千五百番歌合 秋四 七百八十七~八番 書写者不明断簡コレクション
あまりめづらしきつゞきにや。 右哥たづねつるなどいはゞみわのすぎむらよし 野のはななどやきゝなれて侍らむ。ものげなき はじのたち枝ばかりはなにのゆへにかとあやしくや き...
田兒之浦從 東関紀行 田子の浦
東関紀行 今宵は更にまどろむ間だになかりつる草の枕のまろぶしなれば、寝覚もなき暁の空に出ぬ。岫が崎といふなる荒磯の、岩のはざまを行過るほどに、沖津風はげしきに、うちよする波も...
東関紀行 不破の関
音に聞し醒が井を見れば、蔭暗き木の下岩ねより流れ出る清水、あまり涼しきまですみわたりて、誠に身にしむばかりなり。余熱いまだつきざる程なれば、往来の旅人おほく立寄てすゞみあへり。...
田兒之浦從 海道記 富士川
海道記 十四日、蒲原ヲ立テ遥ニ行バ、前路ニ進ミ先立賓ハ、馬ニ水飼テ後河ニサガリヌ。後程ニサガリタル己ハ、野ニ草敷テマダコヌ人ヲ先ニヤル。先後アレバ行旅ノ習モ思シラレテ打過ルホ...
田兒之浦從 富士川の合戦
富士川合戦 治承4年(1180年)、都から伊豆に流されていた源頼朝は、以仁王の平氏追討の令旨を受けて挙兵すると、都から派遣された平氏軍と富士川を挟んで対峙し...
承久の変 ニッポンドットコム記事
承久の乱(上):政子の演説が御家人を動かす、「幕府分裂」を読み違えた後鳥羽上皇(11) 将軍・源実朝の非業の死を契機に、幕府と朝廷の対立は決定的となった。後鳥羽...